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7.未来へと吹きゆく風に ―3― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 微動だにせず眼を閉じているリギアの覚悟を決めた表情を見て、彼は眉間に深く溝を作る。剣を振り上げてなお、目の前にいる男の表情が崩れることはなかった。
 鋭く尖らせていた濃青の瞳を和らげ、リイルアードは微笑する。そして、剣を振り下ろしながら横に薙いだ。
 しばらくの沈黙の後、予想していた痛みも何も襲ってこないことを訝しんでリギアがゆっくりと眼を開く。その表情はひどく戸惑っているようで、思わずリイルアードは相好を崩した。
「斬ら、ないのか?」
 頬を緩めながら剣を鞘に収めている王子に、思わず彼は尋ねてしまう。
「生きていけ。それが、おまえの償いだ。ギルドを抜けるというなら、この国を出て生きていけ。そして一生、己の生み出す影に苦しめばいい。それが、おまえに出来る唯一の償いだろう。その身を挺してラティアを守ったおまえになら、出来ぬことではあるまい? リドルを討ったと公表する。だから、暗殺者ギルドについては案ずることはない」
 毅然と言い放つリイルアードの前で、リギアは俯いて唇を噛んだ。
 ここで命を断たれたほうが、楽なのかもしれないと心のどこかでそう思う。生涯、闇に囚われたまま、日の当たる場所を歩けない。そんな生活になるのだから。
「しかし。ラティアの前にだけは、現れてくれるな。もしも、そのようなことがあった時には、容赦なく斬り捨てさせてもらうぞ」
 ほんの少し表情を険しく変えて、放たれた言葉には素直に頷けた。言われるまでもなく、これより先にラティアの前に姿を現すつもりは彼にはなかった。
「これをおまえの遺髪として、ラティアに渡しておく」
 言いながらリイルアードは、先程、剣を薙いだ折に切り取られた金色の髪を一房束ねて腰に下げている革袋へと押し込んだ。
「やむを得ない場合もあるだろうが、人を殺さずに生きろよ」
「こっちの身が、危うくならない程度にな」
 平時の調子を取り戻したリギアは軽い口調で答えてから、何かを思い出したように眉を寄せる。
「いや。その前に、一人だけは。一人だけ、この手で殺したい男がいる」
 静かに冷ややかな口調で言う彼に、リイルアードは背筋が凍るような思いを抱き思わず眼を見開いた。
「ラティアを殺すように命じた奴だ」
「王国の法で裁く。知っているのであれば、教えて欲しいものだが」
 探るように告げると、リギアは先程までの殺気が幻のように弱々しくうな垂れる。
「それじゃ駄目なんだ。真実を知ればラティアが傷つく」
「傷つく?」
 リイルアードは軽く首を傾けて、与えられている符号を組み立てようとした。しかし、情報が少なすぎて何のことなのか検討もつかない。
「それは、どういうことだ?」
 リギアは当然のように問うてくる彼から視線を反らし、未だ目覚めない少女の顔を覗き込んだ。それから、小声でリイルアードに真実を告げる。
「兄だよ。……シルヴァルト=フィリス=エヴァランス。実の兄が依頼人だ。ラティアだけじゃない、エヴァランス公爵夫妻の暗殺もな」
「そうか。シルヴァルトがな」
 激昂するリギアに対して、リイルアードは何事も聞かなかったかのように落ち着いていた。その様子に気づいたリギアは、思わず眼を眇めて彼を見やる。
「あんた、全然驚かないんだな」
「言ったろう? 我々は、殺人者なのだと。政治的な都合で消えていく存在も多いが、私利私欲のために消される存在も少なくはない。それが肉親とて、例外ではないのだ」
 飄々とした表情で言い放たれ、リギアの眉間に刻まれた皺がよりいっそう深まった。
 彼には肉親という存在が良く理解できない。身近でなかった分、ひどく妬ましく思っていたこともある。それをこんなふうに言い捨てられて、気分が良いはずがない。
「そいつが、ラティアや自分の親を殺して何の得になるっていうんだ」
 怒鳴り散らしたいような心境ではあったが、かろうじてそれを押さえ込み静かにリギアは訊いた。
「シルヴァルトは、かなりの野心家でな。両親の暗殺は、てっとり早く爵位を手に入れるためだろう。彼は自分のおかれていた地位に不満を持っていたようだからな。周囲からの同情もあるだろうから、自分も共に襲われたのだと言えば彼を疑う者は少ない」
 怒りを堪えている様子のリギアを微苦笑を浮かべて見つめ、彼はあくまでも淡々と話を続ける。
「ラティアについては、私にも関りのあることだな。私の妃候補だ。ラティアが第一の候補者で、既に婚礼の日取りも決まってはいる。しかし、彼女は幼い頃に身体が弱かったのでな、万が一の場合にシルヴァルトの妻の妹が第二候補にあがっていた。スペオニール侯爵家。耳にしたことくらいあるだろう? ラティアが大人しく私の妻になれば、彼にとって問題はない。しかし、ラティアは婚礼を目前にして逃走している。このままの状況が続くならば、ラティアを消してしまったほうが良いと思ったのだろう。自分や一族に害をなす前に殺してしまえと言うことだな」
 言葉を聞き進めるうちに、リギアはきつく手を握りしめ身を震わせていた。そんな自分を物珍しげに眺めているリイルアードの冷静さに、胸の奥で何かが弾ける。
「それだけの理由で? ただそれだけで、実の妹を殺そうとするのか?」
 そんなリギアを冷たく一瞥した後、王子は自嘲的な笑みを浮かべた。
「おまえ達と同じだといったろう? 我々とて、罪人の集団なのだよ。それに、庇いたてるわけではないが、ラティアについては納得できないことはない。彼女がこのまま帰らなければ、あの一族はもうお終いだからな」
 リギアは沈黙して、積雪に覆われた地面を睨みつける。嘆息と共にそっと手を伸べて、リイルアードは彼の膝の上の少女を抱き上げた。
「殺すなよ。リギア」
 地に向けられていた虚ろな紫の瞳に見上げられ、彼は己の濃青色の瞳でそれを睨みつける。
「我々のやり方で、決してラティアには知らせずシルヴァルトの身柄を押さえる。二度とラティアには害をなさせない。だから、おまえはもう殺してはならない」
 凛とした言葉にも返事をせず、リギアはただ唇を引き結んだ。その様子に、リイルアードは苛々としながら言葉を続ける。
「リギア。私はおまえのことが憎い。しかしラティアはおまえを愛した。そしておまえはラティアを救った。それだけは、変えられぬ事実なのだ。そのおまえに、これ以上……罪を重ねて欲しくはない」
 そう言うリイルアードの表情は、柔らかいものだった。感情を素直に伝えることの出来ない彼の、精一杯の言葉なのだと理解できる。
 だからこそ、リギアは渋々と頷くことしか出来なかった。決してリギアの身を案じているわけではない。けれども、心からラティアを想っていることは伝わってくる。
 重たい身体を奮い立たせて慎重に立ち上がるリギアに手を差し伸べ、リイルアードは自らが乗ってきた馬をさし示した。
「イルクまで歩いたら傷口が開くだろう。町の近くまで送ってやるから、乗れ」
 命じられるまま、リギアは馬の背に這い上がる。気力も限界に来ているのだろう、既に思考がぼんやりとしていた。身体の感覚が戻ったおかげで、傷の痛みと身を貫くような寒さに息が詰まる。
「あんた、は?」
 疲れきった心にふと沸いた疑問を口にすると、リイルアードは小さく微笑んだ。
「この私に馬を引かせるなど、そう出来るものではないのだぞ?」
 冗談めかして言った後、彼は自分の腕の中で規則正しく呼吸を繰り返す少女の顔を見つめる。そして、彼女が真に望んだものは何であったのかを考えた。
「リギア。おまえは、ラティアを……」
 馬上に顔を向け、言いにくそうに切り出したものの言葉尻が掠れてしまう。そんなリイルアードの質問を悟って、リギアが答えた。
「愛している」
 彼の口調には一分の迷いもなく、その力強さにリイルアードが息を呑む。
「けれど、共には歩めない。俺達は、きっと傷つけ合うことしか出来ないから。傍にいたいと、望むことはできないんだ」
 穏やかに微笑んでいるようにも見えるリギアの表情には、どことなく哀しげな諦めが現れていた。
「遠く、ラティアを想って生きるのも。償いのひとつになるのかな」
 誰にともなく吐き出されたその言葉に、リイルアードは答えない。リギア自身が、答えを望んでいるわけではないことがわかるからだ。
「リギア」
 唇を噛みしめながら、リイルアードはラティアを馬上へと押し上げる。驚いたように眼を見開くリギアに、不機嫌そうな顔で言い訳がましく王子は告げた。
「イルクまで、ラティアを抱いて馬を引いて行くのは、辛いのだ。しっかりと抱いているが良い」
 それが、言葉通りでないことは、容易に察することが出来る。リギアは泣き出したいような気持ちで、受け渡された少女を抱きしめた。
「……ラティア」
 小さく少女の名を囁きながら、リギアは彼女の気性のようにまっすぐな漆黒の髪に触れた。長い髪を一房、指に絡め優しく口付ける。
「永遠なんて、きっとこの世にはないだろう。けれどラティア」
 ちらりと馬上を見やり、嘆息をもらしてからリイルアードが歩き出した。憎んでも足りないこの男だけが、彼が望んでも得られなかったラティアの心を得たのだ。それは誰のせいでもないことは理解していたが、どうしても口惜しさを感じずにはいられない。しかし、この男の存在にラティアが救われていたことも事実だった。
 残り僅か、イルクの町にたどり着くまで。せめて、それだけの間はラティアを恋人の腕の中に。それが、王子の最大の譲歩だった。
(このひと時は、全てを忘れてしまおう)
 自嘲的に唇を歪め、リギアはそっと眼を伏せた。今は唯、この腕の中の暖かなぬくもりだけを感じていたい。今だけは、現実を捨て去ってしまいたい。
 ラティアの青ざめた頬に、それよりも更に血の気のない己の唇を押し当て、リギアは腕の力を強めた。
 それから、黙して馬を引くリイルアードの背に、涙で掠れた声をかける。
「ありがとう」
 リイルアードはぴくりと肩を震わせて、前を向いたまま不機嫌そうに答えた。
「礼を言われるような事をした覚えはない」
 その声は冷たいものだったが、胸には不思議と暖かく響く。
「でも、礼を言いたい気分なんだ」
 泣き笑いのような表情でそう言うと、リイルアードは振り返らないまま大きく肩を竦めて見せた。
「ならば、好きにするが良いさ」
 殊更に冷たく言い放ち、彼は少しだけ歩く速度を遅くする。

 雪を踏みしめて二人を乗せた白毛の馬を引き、彼はゆっくりと歩を進めた。
 いつの間にか夜は白み、まばゆいばかりの朝日の橙が当たり一面を照らしている。
 それは、まるで……冷たい炎のようだった。

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