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7.未来へと吹きゆく風に ―1― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 月光に祝福され美しく銀に彩られた世界の中を、男が一人、歩いていた。
 なめらかな純白を自らが流す赤い血で穢しながら、ゆっくりと両足を引きずるようにして歩いている。
 彼は、本来ならば動けるはずもない深手の傷を負っていた。背から腹の方へ、左胸を刺し貫かれているのだ。
 血液は留まることを知らぬかのように溢れ出し、銀世界の寒さは容赦なく彼の体力を奪っている。
 既に、感覚と言えるものは彼に残されていなかった。
 それでも、彼は歩き続ける。ただひとり。守りたいと願った少女を、安全な場所へ送り届けるためだけに。
 血にまみれた彼の腕に抱かれた少女は、瞳を閉じて静かに息をしている。それとは対照的な荒い呼吸を繰り返しながら、男は黙々と足を進めた。
 夜鳥の啼く声すらない、吸い込まれそうな静けさが辺りに重く覆いかぶさる。
 彼は、世界から無常にも切り捨てられ、たった一人で孤立してしまったかのような孤独感を感じていた。痛みも寒さも、もうまったく感じなかったが、何故かそれだけは感じていた。
 簡単な止血を施し、魔術で傷口を閉じはしたものの、動けば動くほどに血はあふれて止まらない。更に、魔術を行うために力を込めると、傷口が広がるという悪循環のために、魔術はもう使えなくなっていた。
 けれども、イルクの町にたどり着くまで倒れてしまうわけにはいかないのだ。その一念だけで、彼は歩を進めている。
 既にあがらなくなっている足を、雪の中に沈め重く引きずりながら。気力だけで。
「……くぅっ……」
 しかし、身体が思うように動かなくなるのに、それほどの時間はかからなかった。
 唇は青ざめ、頬は土気色。全身の血が刻々と失われていく脱力感に支配される。気力だけでは、どうしようもない状況もあるのだ。
 彼は雪の深みに足をとられ、もつれるようにして雪上に倒れ込んだ。
「こんな、ところで……」
 右腕でしっかりと少女を抱いたまま、左腕を突っ張り顔を上げる。苦しげに眉を寄せ強張っていた彼の表情が、不意に穏やかなものへと変化した。
「きれ……い、だな」
 血がこびりつき汚れた頬を、涙が一筋流れていく。
 大地を隠す雪と、凍てついた木々。どれもが皆、美しいのだ。永遠に続くかのような雪原と深い森。冷たいはずのその風景が、何故かとても暖かいものに思える。
「俺は……こんな、世界、見てなかった」
 いつだって曇った眼で、淀んだ世界だけを見つめていた。
「吟遊詩人、失格……か?」
 唇に微苦笑を乗せ、彼は意識のない少女に問いかける。
 嘲笑う彼の背には、朱く染まった白い布包みが背負われていた。それは白銀製の竪琴だ。彼が両親から譲り受けたもの。暗殺者ではなく生きていた時間の、唯一の証だった。
 置き去りにしようと一旦は思ったものの、やはり捨て去ることは出来なかった。
「光の中で、ただ、笑っていてほしかったんだ。幸せにしたかった。でも、生きていてくれれば、いい。全て、俺が背負うから。ただ、忘れずにいてくれればいい……」
 彼は声にならぬ声でそう囁きながら、心からの笑みを浮かべ大きく息を吸い込んだ。
 凍てつく空気を、冷たいと感じることすら出来ないのに。何故だろうか、その腕の中の愛しい少女だけは暖かい。そのぬくもりだけは、感じることが出来る。
(このまま、ここで果ててしまおうか)
 そんな思いが心に忍び込んだ。それは、ひどく甘美な誘惑だった。この場に立ち止まるだけで、それは簡単に叶えられるからだ。
(なぁ、ラティア。どう、思う?)
 しばらくの間、少女を見つめ。力を振り絞るように、彼はしっかりと立ち上がった。
 そして再び、雪の中を歩き出す。少女を抱えたまま、思うように動かぬ足を引きずりながら前進する。
(例え、後で恨まれても。後悔しても)
 それでも、と彼は思う。
 生きていて欲しい。ラティアを死なせたくはない。
 その想いが。ただ、それだけが、今の彼を動かしていた。

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