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6.傷ついた翼 ―7― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 襲いくる炎をものともせず、リギアは無我夢中で足を踏み出した。
 倒れている少女にそっと手を触れて抱き起こすと、彼女の胸元が静かに上下しているのがわかる。気を失っているだけなのだと気づき、安堵の息をついて立ち上がろうとした瞬間、彼の背後から冷たい声が響いた。
「リドル……」
 その凍てつくばかりの声には聞き覚えがある。反射的に、リギアは先程自らに掛けた死と同時に発動する魔術を解除した。
 ラティアを左腕に抱えたまま床を蹴り、高く跳ぶ。
「ラティアに何をした!」
 怒声をあげながら窓際に寄り、リギアは声の主を睨みつけた。射るような彼の視線の先には、一見は無防備そうに見える男が佇んでいる。
 手入れの悪い金の短髪にはっきりとした青い瞳を持つその男は、年の頃は三十半ばに見えるがそれ以外にはこれといった特徴のない男だった。暗殺者ギルドの者で、リギアは数回だけ言葉を交わしたことがある。
「リドル。怒るのは、見当違いではないか?」
 ゆっくりと間合いを詰められて、リギアは窓から外へ転がるように飛び出した。無駄のない動きで、男がそれを追い詰める。
(すぐ、終わらせるから)
 心の中でそうラティアに告げると、リギアは彼女を雪の上に横たえた。まるで吹雪のように強い風を伴って降る雪が彼女に降り積もらないように、己のマントをはずしてかけてやる。
 その傍らに背負っていた竪琴を置いて、顔を上げた彼は雪のために鈍る視界へ神経を集中させた。
「ギルドの命だ。リドル、おまえの腕は殺すには惜しい。今、戻るのならばまだ離反したことは許そう。そこの少女をおまえの手で殺せ。そうすれば、我々はおまえを再び迎え入れる」
 その言葉に失笑のみを返し、彼は両手で複雑な印を結んだ。
【我、大気の中に潜みし闇の精霊へ告ぐ。その黒き刃もて、この者を切り裂かんっ】
 魔術を受け、苦痛に耐える男の低い呻き声を聞きながら、リギアは陰湿な笑みを浮かべる。
「誰が何と言おうが、俺はもうギルドへは戻るつもりはない」
 素早い動作で、腰に吊るした小さな袋からナイフを取り出し、リギアは倒れている男の胸ぐらを掴み自分の方へ引き寄せた。そして、酷薄な笑みを浮かべ男の胸にナイフを突き立てる。敢えて急所をはずしたその一撃に、男の唇から低く呻き声が漏れた。
「この苦痛を永遠に味わうか。今すぐに楽になりたいか。どっちか選ばせてやる。楽になりたいのなら、依頼人の……ラティアを殺せと依頼した奴の名を言え! ああ、舌かんだって無駄だからな? 俺が『儀式』でおまえを救ってやる。そして、おまえの心を残したまま永遠の苦しみを与えてやる」
 飛び散る鮮血を浴び、リギアが口にした言葉はあからさまな脅しだった。魔族は互いの血を飲み交わすことで、相手の命を代償に力を与えることが出来るのだ。相手の望む望まざるに関わらず、『儀式』を交わした相手を支配下に置くことも可能だった。
「頼む、殺してくれ」
 激昂したリギアの瞳が、偽りの色から澄んだ紫へと色を変える。ひどく恐ろしいものを見る目つきで、それを見た男が呟いた。
 魔族への嫌悪が、その表情にありありと浮かんでいる。永遠の苦痛と、魔族の支配下になる屈辱に耐えられないと。怯えたような青い瞳が、雄弁に物語る。リギアはその様子を優しさの欠片もない瞳で、冷ややかに見つめていた。
「ならば言え。依頼人の名を」
 凍てついた冷たい紫の瞳が、あたり一面の銀世界を映して底光りする。男は恐怖と苦痛に喘ぎながら、彼の耳元にその名を告げた。
「なんだって?」
 呆然と呟き、唇を噛みしめたあとで、リギアは男の胸からナイフを引き抜く。そして、約束どおりに男の首筋を迷うことなく切り裂いた。
「まさか……」
 聞かされた名がにわかには信じられず、息の根を止めた男の返り血を浴びながら二、三度小さく首を振る。けれども、そう考えれば納得のいくこともあるのだ。ただ、その理由だけがわからない。
 何故、依頼人がラティアを狙うのか。そんなことをして、何の得があるというのか。男の鮮血で染まった雪が、新たに降り積もる純白のそれに覆われて行く様を見つめながら、彼はきつく唇を噛みしめた。
 胸の奥が痛い。理由はわからないが、泣き出したいような気分だった。
「雪は、いいよな。冷たくて、優しくて。全ての穢れたものを……隠してくれる」
 この穢れた心と血塗られた手をも、消し去ってくれればいい。幾度となく思ったことを、呟いてみる。けれども――。
 リギアは自嘲するように唇を歪め、小さく溜め息をついた。この心は流せないのだ。犯した罪を押し隠すことは出来ても、無に帰すことは出来るはずもない。
 きつく両手を握り締め、彼は雪の積もる地面を殴りつけた。涙が静かに頬をつたい、固く噛みしめすぎて血のにじむ唇の脇をすべり落ちる。
「今更、後悔したって……遅い……」
 時間は、戻せないものなのだ。だからこそ、人はその一瞬を常に選択し続けなければならないのだから。
 不意に、背後に殺気が生まれた。
 廃屋を包み踊り狂う炎が雪に描く緋色の模様を睨み付け、思考の淵へと沈んでいたリギアの反応がわずかに鈍い。
「くっ、……ぁっ」
 小さく呻き、彼は身を仰け反らせた。その背には、深く短剣が刺し込まれている。短剣の切っ先は、彼の胸を貫いていた。

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