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5.凍てつく予感 ―8― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 不意に、クリムゾンの微笑みの種類が変化した。少女らしく愛らしい笑みになったのだ。一瞬、我を忘れて嘆息を漏らすほど、その表情は可憐だった。
 あどけなく無邪気なそれは、暗殺者のものとは思えない。しかし、その紫の瞳は少しも笑ってはいないのだ。
 一体、何人の標的がこの笑顔に惑わされてきたのだろうか。そんなことを思いながら、リギアは短剣を逆手に持ち構えた。
「念のためにききたいんだが、クリムゾン? 俺に与えられた仕事は何だ?」
「暗殺の依頼をこなすこと。標的は、あなたが思っている通りの娘だよ」
 返答を聞き、リギアは短く息を吐きながら一瞬だけ眼を伏せる。彼は、改めて己が過去に犯してきた過ちを突きつけられたような気持ちになっていた。
「なぁ、クリムゾン。人の命を絶つってことは、そんなに簡単なことじゃなかったんだよ」
 無駄とは知りながらも、届かない言葉を少女に向けて囁きかける。
「そう気づいた時に、俺は進む道を引き返すべきだったんだ」
 彼は過ちに気づきながらも、自暴自棄になり罪を重ねてきた自分を恨めしく思った。もしもあの時に違う道へ進んでいたら、ラティアを傷つけることはなかったのだと、思わずにはいられない。
 暗殺者の少女は可愛らしい仕草で小首を傾げながら、唇には彼を嘲笑うかのような笑みを浮かべていた。
「ラティアを殺させはしない! 何があっても、こいつだけは俺が守ってみせる」
 彼の抱く複雑な想いを、この少女に伝えることは出来ないのだ。それを悟ったのか、リギアは諦めにも似た表情で己の短剣を構えなおした。
「馬鹿げてる! ぼくは愛だとかそんな感情は信じない。その心も。そのために振るう力も。何もかも! 大嫌いだ!」
 何故だろうか。少女は今にも泣き出しそうな表情をしていた。そして、印を結びながら荒い調子で呪文を唱える。
【闇に潜みし精霊達よ! 我が願いに従いて、この者を滅せよ!】
 二人を鋭く睨みつけながら印を切り、右手を彼の方に突きつけた。リギアも素早く印を結び、防御のための呪文を唱えた。
 具現した結界は、リギアではなくクリムゾンを包み込む。思いがけぬ彼の行為に、少女は息を飲んだ。
 彼女の精霊魔術が結界の力を上回れば、防護する手段を失った彼は闇に飲まれて魔術の威力を直に受けることになるのだ。
「それ程の自信があるんだ?」
 呟いたクリムゾンの唇に、薄く嘲笑う様な笑みが浮かんだ。
 リギアは自分の結界が決して破られないと確信しているのだろう。こんな戦い方をする人間には、今まで出会ったことがない。
「けれど、ぼくを甘く見ないで欲しいね! この年にして、裏切り者を始末する立場に選ばれた力の持ち主なんだから」
 忌々しげにそう叫び、クリムゾンは結界を突破させるべく力を強めた。リギアは冷淡な瞳で彼女を見つめ、そして唇の左端を僅かに吊り上げる。自嘲的な笑みだった。
「おまえがいくつなのか知らねぇけどな、俺は十の時からその仕事してたぜ」
 嫌悪感を伴って吐き出された言葉に、クリムゾンの目が見開かれる。その瞬間、闇の精霊達が彼女の制御力を振り払った。
 目標を失い暴走する力は、捌け口を求めるように術者である少女に襲い掛かる。
「くぅ……ぁっ……」
 闇色の刃が容赦なく彼女の白い肌を切り裂いた。おびただしい量の朱色の雫が、辺り一面の白い世界を紅く染め変える。
「な、ぜ……」
 がくりと雪の上に倒れ込み、少女はうわ言のように呟いた。失血のために身体を震わせながら、クリムゾンは己の身体かが流れる血液が雪に吸い込まれていく様を見ていた。
「相手の力量を読まないからだ、クリムゾン。おまえの戦い方は、捨て身そのものじゃないか」
 リギアは嘆息しながら、冷たい紫の瞳を彼女に向ける。そして、ゆっくりと近づき傷ましげな表情で少女を見下ろした。
「だって、ぼくには……守らなくてはならないものなんて、何もないんだ」
 視線を反らし、クリムゾンが呟く。その、何もかも諦めたような空虚な響きに、思わずラティアが身震いをした。
 クリムゾンは自分を見つめてくるリギアから眼を反らし、彼の短剣を眼に留めて淡く笑う。
「どうでもいいんだ。何もかも要らないし、皆、みんな大嫌いだ」
 力を失って彷徨う視線が、顔を強張らせて雪の上に膝をついているラティアに定められた。未だ、涙の止まらない彼女を見て、少女の唇が笑みの形をつくりだす。
「自分では気付いていないんだろうけれど。あなたはとても幸せなんだよ、ラティア」
 そうして淡く微笑むだけで、少女の印象は別人のように変化した。
「幸せ……?」
 こんな気持ちを抱えることが? と、小さく呟くラティアに、クリムゾンは小さく頷いて見せた。
「そう、幸せ。あなたは幸せなんだ」
 そして、膝をついて自分の脇に屈みこんだリギアのほうへ両腕を伸ばす。
「リギア、ぼくの心が壊れていると、一番良く分かっていたのは、ぼくだよ。一番恐れていたのも、ぼくなんだ。でも、これで、やっと」
 微笑を絶やさないまま、彼女はリギアの右手を掴んだ。
「何もかも、終わりにする決心がついた」
 突然の彼女の行動に、目を見開くリギアの手から短剣を奪う。
「よせ!」
 彼女が何をしようとしているのか――直感的にそれを悟り、リギアは短剣を彼女の手から奪い返そうとした。
 しかし、ほんの僅かにクリムゾンの動きがそれよりも速い。半身を起こしてまっすぐな視線を二人に馳せ、己の喉元を手に握った短剣で掻き切った。
 少女の手から力が抜けて、短剣が雪の上に滑り落ちる。同時に、視界を紅く染める程のおびただしい量の鮮血が辺りに飛び散った。
 そして、辺り一面の銀世界を、赤く、朱く、塗り替える。
 痙攣と見紛うほど僅かに、少女の唇が力なく言葉を紡ごうとした。喉を切ったためだろう、それは声にはならず空洞を抜ける風のような不気味な音をたてる。
 力を失い倒れこむクリムゾンの背を、咄嗟に差し伸べた腕に抱きとめてリギアは短く息を吐いた。
 ――フィルア。それがぼくの名前。……覚えていてくれたら嬉しい。
 鼓動が止まるその前に、彼の心に少女の声が響く。
「フィルア……」
 少女の首の後ろに腕を回し頭を支えながら呟くと、暗殺者の少女は淡く笑みを浮かべた。そして、そのまま彼女の身体から一切の力が抜けていく。
 絶えなく続くラティアの嗚咽を聞きながら、リギアは固く目を閉じた。

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