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5.凍てつく予感 ―6― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 冷笑を張り付かせたまま、リギアは低く腰を落とす。哀れみと酷薄が混ざった色を見とめた瞬間、男は己の眼を疑った。
「なにっ?」
 痛みも何も感じない。けれども、己の左胸には確かに彼の短剣が深く突き刺さっている。
「な? 自分と相手の力量の差すらわかんねぇあんたに、俺が殺られるわけないだろ?」
 短剣を引き抜きながら、リギアは男を自分とは反対方向に蹴り飛ばした。血飛沫が上がる方向が反れ、少量にはなったもののやはり返り血が彼の頬を汚す。服に飛沫した血痕は、彼が好んで着る黒色に紛れた。
「何故……」
 虚ろな瞳で、男はそう呟いた。殺気を感じることもなかった優男にしてやられるとは、思ってもみなかったのだろう。力なく手を彷徨わせた後、がくりと地に膝をつく。純白の雪が、男から流れ出る液体を吸って、朱く禍々しい色に染まっていった。
 驚愕の表情でそれを見つめた後、男は倒れて動かなくなる。ほんの一瞬の間に起こったその出来事を、残り四人の男達とラティアは微動だにせず見つめていた。
「こ、こいつ、詩人なんかじゃねぇぞ!」
 我に返った男のうちの一人がそう叫ぶのを、どこか遠くにラティアは訊く。
(動きが速くて何も見えなかった。でも、こんなことを出来る人は……)
 この人は、何者なのだろうと初めて思った。
 幼い頃に出会った彼は『吟遊詩人』だと名乗り、自分は与えられたその情報を信じていた。けれども、ラティアが知っている彼は、あの屋敷の中でのリギアだけなのだ。目の前で見せられたこの動きが、『吟遊詩人』の動きではないことくらいラティアにも理解できた。
「だったら、何だと思うんだ?」
 人の悪い笑みを浮かべ、リギアは四人の男をゆっくりと順に見回した。そう言われて、彼らは言葉に詰っている。リギアの動きは、剣士や騎士のそれでは決してない。どちらかといえば、自分達と同じ種類のものだ。しかし、リギアを同業者だとは思えなかった。彼らが纏う独特の空気を持っていないのだ。
「そんなことは、どうでもいいんだ! 俺達は、この娘の命さえとれればいい。その邪魔だてをし、おまけに仲間まで殺りやがったんだ。それなりの覚悟はあるんだろうな」
 声を荒げ凄んでみせる男に、リギアは薄く笑って目線を合わせた。
「さぁな?」
 嘲るようなその口調に、彼らの一人が頭に血をのぼらせる。
 強く地を蹴り飛び掛って来る男を構えもせずに一瞥し、リギアは無造作に右手を動かした。肉の裂ける嫌な音が響き、続けて血の飛沫が散る。
 ラティアは耐えられずに両手で口元を覆い、雪の上に膝をついた。少女の眼が固く閉じられているのを横目で確認し、鋭い口調でリギアが声をかける。
「眼を開いていろ! 見てなければ避けることも出来ない。それに、これがおまえのやろうとしていることだ!」
 その言葉に、ラティアは表情を強張らせ震えながら眼を開いた。リギアに言われ、改めて思い知った。自分が行おうとしている復讐は、こういう――人間の命を奪うということなのだ。
 彼女が眼を開くと同時に、首筋に深い傷を負った男が目の前に倒れてきた。真紅に染まった雪と強い血の匂いに、ラティアの意識が遠のきかける。けれども彼女は、必死で己を奮い立たせとどまった。
 震える彼女の目尻に涙が滲んだ。
 怖くて、リギアが怖いのか、今、目にしたものが怖いのか。どちらかはわからないけれども、とにかく怖くて。強張る指先をまわし、己の身体を掻き抱く。
「ほら、どうした? かかって来ないのか?」
 冷たい微笑を男達に向けながら、リギアは右腕を掲げて見せた。
「ならば、こっちから行くぜ?」
 彼が浮かべるのは、昏く澱んだ独特の笑みだ。それに何かを感じたのか、残された三人の男は情けない悲鳴をあげる。そして、一目散に踵を返してその場から逃げ去ろうとした。
 それを途中まで見送り、優しい、いつもの表情に戻ったリギアが、腰を抜かしているラティアを助け起こそうと手を伸べる。
「リギア、あなたは、何者なの?」
 神聖魔術の結界を解いたラティアは、力のなく彼に問うた。
「俺は、俺だよ」
 曖昧な答えと共に悲しげに微笑み、リギアは血で染まった己の手から視線を反らした。その手を取って良いものか迷い、ラティアの視線が宙を彷徨う。
「教えてあげようか?」
 唐突に、陰湿な声が聞こえた。反射的に身構え、リギアは辺りを見回すが声の主の姿は見えない。
 強い力が放たれたことだけを悟り、リギアは咄嗟に呪文を唱えてラティアを抱き寄せた。ラティアも衝撃を覚悟して、リギアにしがみ付いて固く眼を閉じる。
 しかし、痛みや衝撃が彼らを襲うことはなく、代わりに耳を覆いたくなるような断末魔の叫びが聞こえてきた。それは、おそらく先程逃げ出した三人の男のものだ。
「酷いことを」
 呟いて、リギアは唇を噛んだ。
「酷いなんて、面白いことを言うね。彼らはギルドの規律を犯した。だから、始末されて当然なんだよ」
 その声は幼い少女か成長過程の少年のように高く澄んだものだった。少年めいた口調で淡々と語りながら、楽しげに笑い声を漏らす。
「おまえは、誰なんだ?」
 ラティアから手を離さないまま、彼は低くそう誰何した。
「ギルドの者だよ。あなたの真意を確かめてくるよう遣わされたんだ」
 そう答え、声はゆっくりと呪文を唱える。
「ギルドの……」
 苦く呟くリギアの横顔を、ラティアは不安に満ちた瞳で見つめた。
 胸の中にわだかまっている不安と疑いが。少しずつ、少しずつ、膨らんで形を成していく。真実を知りたくないと、無意識に彼女は強く思っていた。
「吟遊詩人リギア。ぼくの質問に応えてくれるよね?」
 呪文の完成と共に現れたのは、長い暗色の金髪を風になびかせた紫眼の少女だった。
 陶磁器のようにすべやかな白い顔を彩る、ふっくらとした薄紅色の頬に艶やかな朱の唇。十四、五歳に見える愛くるしい少女だ。けれども、その容姿をよりひきたてるはずの大きな瞳は冷え切っていて、まるで感情というものが見られない。そのためだろうか、全体的にどこか作り物めいた雰囲気を感じさせた。
 少女から眼を反らせないまま、ラティアは小さく身震いをする。『生きている人形』のようだと頭の片隅で思った途端、紫眼の少女が小さく肩を震わせながら笑った。
「素直な人だね。確かにぼくは人形かもしれないよ。不要な感情は全て捨ててしまったんだから」
 その言葉に息を飲む二人を満足そうに見やり、少女は声の調子を強めて笑う。
「知らなかったの? 魔族には、人の心を読む力を持つ者もいるんだよ。触れて感じる者、心を受ける者、感じ方は様々だけれど。ぼくのこの力はとても弱い方だから、あまり役にはたたないんだけどね。ラティア、あなたのように無防備に心を伝える人のものしか読めないんだ」
 彼女の浮かべる笑みは、とても愛らしく魅力的だ。けれども、瞳と声は負の力を放つかのように凍てついていた。その視線をラティアに留め、少女は唇から軽やかな笑い声を漏らす。
「きれいな人だね。……とても綺麗だ。ねえ、リギア。この人、とても戸惑っているよ? 本当の事が知りたいと思っている。でも、知りたくないとも思っているんだね。何て、素直で幸せそうな心なんだろうね。本当に、綺麗な心――」
 そこまでを一気に言葉にし、少女は笑みを消して両手をきつく握り締めた。同時に、彼女の虚無的な瞳に憎悪のような強い光が灯る。
「粉々に壊してやりたい」
 夢見るようにも見える眼差しで、少女はゆったりと呟いた。
 恐怖から身を竦ませるラティアの肩をそっと抱き、リギアが吐き捨てる。
「狂ってるな」
「そうだよ」
 眼を細めてリギアを見つめながら、少女は気だるそうに応えた。
「ぼくはきっと、狂っている。それは自分でも良くわかっているさ」
 憎悪以外の表情を映さないその瞳に、一瞬だけ哀しみの影が降りる。遠い思いを振り切るように、少女は眼を伏せてから殊更にゆっくりと言葉を紡いだ。
「ぼくはクリムゾンだ。リギア、あなたに質問がある」
 まっすぐに見つめられたリギアは、再度、防御のための結界を張るようにラティアに告げてから、腰に収めた短剣の柄に触れる。
 この少女――クリムゾンは、自分の正体を知っている。その確信から、彼女の要件には察しがついた。しかし、敢て訊ねてみせる。
「何を、訊くように命じられてきた?」
「あなたの真意の確認を。このところ連絡を絶っているが、ギルドから離反するつもりでないのならば、証に仕事をひとつこなしてもらいたい。もしも、離反するつもりであるならば、それなりの覚悟をするように」
(それなりの覚悟……か)
 淡々と伝えられる内容に、リギアの唇に薄い笑みが張り付いた。『裏切り者』は始末される。それがギルドの決まりだった。ならばこの少女は、己に差し向けられた暗殺者なのだろう。外見は可憐な少女であるが、その力が人並み外れて高いことは先程の攻撃で見せ付けられている。
「それでね、ラティア。先程、言いそびれてしまったことだけど」
 残酷さを感じる声で、笑みを浮かべクリムゾンが言った。

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