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5.凍てつく予感 ―2― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

「なぁ、リギア。俺は……昔、逃れられないものなんてないと思ってたんだ」
 不意に、アスエルが呟いた。
 伝言を聞いてすぐにやってきたアスエルは、リギアの寝ている寝台の脇に椅子を寄せ、何も訊かず何も言わずに黙って座っていた。
 夕食の時間にルフィとラティアを伴い、リイルアードがやってきた。その後、二人が自分達の宿泊している宿へ帰るときも、アスエルはリギアの傍を離れなかった。二人を送って帰って来たリイルアードに「今夜は俺が付き添うから」と告げ、今に至る。
 何も言わず、ただ傍にいる。それが、何故だろうか、とても嬉しい。そんな快い沈黙の中、まどろみから眼を醒ました彼に、アスエルはそう呟いた。
 夜更け。夜鳥の静かな鳴き声だけが、暗闇の中に響いている。
「え?」
 何故か懐かしく聞こえるその声に、リギアは半身を起こして問い返した。
「その気になれば、いつでも逃れられると思っていた」
 彼の言葉に含まれる悲しい響きに、リギアは微かに眼を細める。
「おまえはもう気付いているだろうが……俺は昔、暗殺者だった。言い訳のつもりじゃないがな、物心ついた頃から暗殺者となるべくして育てられていた。だから、罪悪感なんてなかったんだ。その仕事が、俺にとっては当たり前の事だったから。けれど、一人立ちして、色んな奴らと触れ合って、時には俺が殺した奴の知り合いなんかにも会って」
 アスエルは一旦言葉を切り、唇を噛みしめながら虚空を睨みつけた。
「自分がしてはならないことをしていると、悟ったんだ。それからは地獄だったぜ? どのくらい前だったか――九年は経つか。ギルドを抜けて神殿に通ってみたり、色々してみたけれどな。もう、たまんなくて、気が狂いそうになる事もあった。どうしようもなくなっていた頃、ルフィを拾ったんだ。二年くらい前だ。無垢な娘だったけれど、紫の眼をしていた。明らかに魔族なのに恐れるような力なんて持っていなくて、親も名前もなく、ゴミみたいに扱われていた。放っておけばギルドに連れて行かれ暗殺者として育てられるのが目に見えていた。罪滅ぼしのつもりで俺はあいつを拾った。……それで、逃れられると思っていた」
 自虐的に笑い、彼は諦めたような笑みを浮かべて小さく首を横に振る。月の光に照らされて、その薄茶の瞳が不思議な輝きを放っていた。
「でも駄目だったよ。罪悪感は日々増していくんだ。悪夢も増えていく。自分が、誰かを大切に思えば思うほど苦しいんだ。俺が殺した奴にも、きっとそんな相手がいた。そいつらはどんな思いをしたのだろう。そんなことを考えてしまう」
 四十を過ぎた壮年の男は、苦く呟いて軽く眉間を寄せる。
「俺は、これから先も影に怯えながら生きて行くんだ。それだけが、今の俺に出来る償いだからな。生涯、この悪夢を背負って生きて行く」
 自嘲的に歪んだ唇から放たれる言葉は、意外にもきっぱりとしていた。
 アスエルがそれきり黙りこんだので、室内は再び沈黙に支配される。ややあって、リギアが重たい息を吐き出した。薄い水色の瞳で、力なくアスエルの眼を見つめる。
「何で、俺に、そんなことを」
 困惑を隠せない声で問うと、アスエルは寂しげな笑みを見せた。
「話しておくべきだと思ったんだ。おまえは俺と同じ匂いがする。だからこそ、伝えておきたい。どれだけあがいても、悲しみを憎しみでごまかす事は出来ないし、犯した過ちを消す事も出来ない。だから、逃れようなんて思うな。どうせ逃れられない。俺たちは、過去を見つめて生きていかないとならないんだ」
「アスエル……知っていたのか?」
 リギアは潤んだ瞳でアスエルを見つめ、縋るように彼の袖を掴む。そして、彼の瞳の中に肯定の色を見た後、リギアはぽつりと呟いた。
「夢を見たんだ」
 独白じみた口調で紡がれる彼の言葉を、アスエルは沈黙して聞いている。
「もう、忘れた記憶だと思っていたのに。とても鮮明だった」
 リギアは彼の服から手を離し、全身の力を抜いて寝台に身体を倒した。
「俺は、魔族なんだ。両親にも疎まれていたのか、屋敷の中で部屋に閉じ込められて育った。五歳くらいの時に、暗殺者によって俺の一族は抹殺された。けれど、俺は、この瞳のおかげで命を助けられた」
 リギアの薄い水色の瞳が揺らぎ、紫の色が混ざる。燭台の火も灯らぬ、月明りだけの部屋の中で、その瞳は異様に煌いて見えた。
「初めはわかっていたはずなんだ。自分が生き延びるために、罪を犯す事を選んだって。それなのに、いつの間にか忘れていた。示された道を歩く事を選んだのは自分なのに、弱さに甘えて抗う事さえしなかったのも自分なのに! 俺の中に残っていたのは怒りや憎しみだけだった」
 忌々しげに吐き捨て、彼は固く眼を閉じる。アスエルは全てを理解したような表情で、優しく彼を見つめていた。
「そんな俺の心を変えてくれたのはラティアなんだ。俺がしている事がどんな事か、気づかせてくれたのはラティアだったんだ」
 爪が、手の平に食い込むほど強く。リギアは己の手を握りしめる。その表情はひどく辛そうで、見ているアスエルの胸までもが痛んだ。

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