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5.凍てつく予感 ―1― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 その日、屋敷は喧騒に包まれていた。
 厳重に施錠された部屋から出る事も出来ず、少年はひどく怯えていた。飾り気こそないが、清潔で上質な衣服を纏った五、六歳の少年だ。高い位置にある小さな窓は、かろうじて日の光が差し込む程度。外の様子を窺う事は出来ない。
 彼はいつも一人だった。一人、ただ生かされているだけだった。
 大きな屋敷の中にある、小さな窓が一つきりの隔離された部屋で。大勢の人間が暮らす屋敷の中で、彼の周りには誰もいなかった。身の回りの世話をする者も、彼をまっすぐに見つめる事はなかった。勿論、言葉をかける事など数える程だ。
 本は飽きるほど与えられており、時折、教師として雇われた者も尋ねて来る。文字を読む事は出来るし、声帯にも問題はない。けれども、今年で五歳になる彼は、全く言葉を発しない子供に育っていた。日の光にあたる事が極端に少なく、運動も充分ではない。故に、少年の皮膚は病的なまでに蒼白く、筋肉の発達も遅れているのが見て取れる。
 彼は忌むべき者として、この部屋に隔離されていた。彼を隔離するように命じた両親は、数える程度その部屋に足を運んだだけだ。幼い少年の記憶の中で、いつでも両親の顔は朧げだった。
 少年は感情の乏しい瞳に僅かな不安の色を混ぜ、外の世界と自分をつなぐ唯一と思える扉を見つめた。外で何が起きているのかはわからないが、喧騒は次第に大きく近くなっている。
 広い部屋の中を落ち着きなく歩き回る少年の腕には、彼が持つには大きすぎる竪琴が抱えられていた。それは、数ヶ月前の少年の誕生日に両親が贈ったものだ。弾き方もわからずに、指で弾いて遊ぶのみではあったが、少年はそれを片時も離さずにいた。名匠の手によるもので、弾き手によっては人々を魅了する魔力を持つ竪琴だ。子供の玩具としては、勿体ない代物だった。
 何故だろうか、少年の胸中がざわめいた。しかし、それが不吉な予感なのだと理解できるほど、少年の感情は発達していない。彼は立ち止まり、白銀製の竪琴をきつく抱き締めた。
 ひどく慌しく鍵を回す音が聞こえ、少年は表情を強張らせながら扉を凝視する。男女の叫び声と共に、乱暴に扉が開かれた。その途端、彼の部屋の中に今までに嗅いだことのない強い臭いがたちこめる。彼は見開いたままの眼で開かれた扉の向こう側を見つめ、一歩、後退りをした。
 二つの人影が、部屋に転がり込むようにして入って来る。影の一つは床を這うように少年に向かい、膝立ちの姿勢になって彼をきつく抱き締めた。その反動で少年はよろめき、床に尻餅をつく。自分を抱き締めているのが父親であり、何故かその手が血に濡れている事を理解するのに数秒が必要だった。
「逃げなさい」
 父親は、少年の耳元にそう声を吹き込んだ。精一杯平静を装ってはいるものの、苦しげに掠れた声だった。言葉の意味するところを理解できず微動だにしない息子に、父はもう一度言葉を繰り返す。
「この屋敷に居たら炎に巻かれて死んでしまう。逃げなさい」
 そう言われはしても、少年はどこへ逃げてよいものかわからない。動けずに戸惑いを隠せない瞳で父親を見つめた。
 そうしているうちに、父と共に部屋に飛び込んできたもう一方の影――少年の母親がゆっくりと身を起こす。そして、扉の向こうを見やり何事かを叫んだ。掠れた声で、言葉の内容はわからない。しかし、その絶望が滲み出ているような声音に、少年は背筋が冷え込んでいくのを感じた。
 父の言葉通り逃げ出したいが、身体が竦んで立ち上がることすら出来そうになかった。混乱した少年は、思わず父に縋りついた。これほどに近く、父に触れたことは初めてだった。けれども、父は言葉を返さなかった。少年をきつく抱き締めていた腕の力が緩み、身体の重みが増す。
 少年は唇を震わせながら、二、三度父親を揺さぶった。唇の形が「父さま」と動くが、乾いた喉からは声が出ない。父から流れ出た血液が、少年の衣服を真っ赤に染め上げていき、彼の顔にはっきりと恐怖が浮かび上がった。
 少年は、二人と扉の間に背を向けて立ち大きく腕を広げている母親を見上げた。母の前には、数人の男がそれぞれの得物を携え立っている。中央に立つ男が短剣を持った右手を振り上げる様が見えた。母の手にも小ぶりの刃物が握られており、彼女は必死でそれを振り回している。しかし、彼女の動きは当然ながら訓練されたものではなく、油断していた男に深手を負わせはしたものの、別の男にあっさりと羽交い絞めにされ動きを封じられてしまった。
 ちらりと母が少年に視線をはしらせる。薄い水色の、哀しげな瞳の色が少年の脳裏にやきついた。身体の自由を封じられた母の首筋に、短剣が押し当てられる。少年の身体は硬直し、顔を背けることも瞳を閉じる事も出来なかった。
 鮮血が辺りに飛び散り、少し離れた場所に立つ少年の髪をべっとりと染め上げる。母を拘束していた男は、彼女の身体が力を失うと同時に無造作に彼女を床に投げ出した。男達は部屋の中を鋭い眼で見回し、少年と父親の方へ足を進める。
「このガキは?」
「知らねぇよ。子爵家にガキがいたなんて初耳だ」
 そんな会話が耳に入り、少年はゆっくりと彼らを振り仰いだ。
「ほぉ……」
 既に動く事のない父親の背に短剣を突き刺した男が、その眼で少年の瞳を凝視している。震える事すら出来ずに、少年は男の瞳を見返していた。
 にやりと笑い、男は父親の背から短剣を抜く。傷口からは僅かな血液が滲んでいた。短剣から飛び散った血が少年と男に降りかかるが、それを気にも留めない様子で男は父の亡骸を蹴り飛ばした。
 そして手を伸ばし、ごつごつした指先で少年の顎を捉える。
「紫の瞳か。魔族だな。隠されて育ったのか」
 心の中で、何かがざわめいているような気がした。男に触れられた部分から、皮膚が腐り落ちていくかのような不快感が湧き上がる。
「いい素材だ。連れて帰るぞ」
 乱暴に腕を掴まれ、少年は無理やりに立ち上がらされた。掴まれた腕が痛み、恐怖と憎しみが同時に少年の心を満たす。少年は無造作に投げ出された父と母の骸を見つめ、小さく唇を震わせた。倒れているのは、自分をこの部屋に幽閉した両親だ。幾度、心の中で恨み言を述べたかわからない相手だ。この部屋を訪れる事とて、数ヶ月に一度程度の薄情な親。それなのに、先程の彼らは自分を助けようとしているかのようだった。
 彼らの裏腹な態度に、幼い彼の頭はひどく混乱し、瞬きする度に涙の粒が頬を滑り落ちた。竪琴をかき抱くようにして、身体をすぼめ瞳を閉じる。
「依頼は子爵家一族だが、どうせ公表されてないだろう。おまえの命は助けてやるよ」
 嘲るような声を聞く少年の唇から、言葉にならない声が発せされた。しばらくぶりに彼が発した声は、我を忘れた狂気の叫びとなったのだ。
 少年の心からは恐怖が消えていた。身体の奥から突き上げるように破壊の衝動が襲ってくる。彼はそれを抑える事が出来なかった。
 少年の周囲に微かな風が沸き起こり、指先には紫銀の光が集う。制御を失った魔力が、鋭い刃をもつ風となって部屋の家具をなぎ倒し、更に金目のものを漁っていた男達を襲った。己の魔力の暴走により破壊される部屋と断末魔の声をあげ倒れる男達を、どこか冷静な面持ちで彼は見つめていた。
 少年の腕を掴んでいた男が、罵声を浴びせながら彼の鳩尾を殴りつける。彼は息を詰まらせその場に膝をついた。すかさずその首筋に手刀を入れ、男が少年の意識を奪う。
「憎め。それでいい。それが正しい。おまえは生涯人間を憎んで生きるんだ」
 遠のく意識の中で聞こえてくる男の言葉は、まるで呪いのようだった。
「魔族差別を。それを作り上げた王族や貴族共を。そして、この世界の全てを憎め。憎んで……その忌まわしい力を放つといい」
 その言葉だけが、彼の心を染めていく。
 力なく、床に倒れこんだ少年の胸には、白銀製の竪琴が抱き締められていた。

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