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4.残酷な記憶 ―4― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 扉の軋む小さな音に、浅いまどろみの中を漂っていたリギアの眉間に僅かな皺が刻まれた。運ばれてきた食事を胃に流し込み薬を飲んだ後、戻ってこないリイルアードを待っているうちに眠ってしまったようだ。
 欠伸をしながら寝返りを打ち、彼は身体を扉の方へ向けた。
 薬のおかげだろうか。何を考えるのも億劫だった頭が、随分とすっきりしている。飲まされた薬はさぞかし高価なものなのだろうと、頭の隅でちらりと考えた。
「リイルア」
「少しは熱が下がったかい?」
 礼を言おうとした彼の言葉に重ねて、リイルアードがそう問うて来る。その口調が、あまりにも先程とは異なっていてリギアは怪訝そうに眉を寄せた。しかし、まだぼんやりとしている思考でも、すぐにそれが何を意味しているかに気付く。
 誰かがいるのだ。猫を被った、好青年風の話し方をしなくてはならない相手が。
 このまま正体を暴露してやるのも面白そうだ、などと思わず考えるリギアだったが、恩義を感じていたこともありどうにか言葉を堪えた。
「おかげさまで、助かった。さっきはろくに礼も言わないで悪かったな」
 当たり障りなく礼を言いながら、リギアはゆっくりと半身を起こす。
「気にすることはないよ。それよりも、まだ薬で熱が下がっているだけなんだから横になっていたほうがいい」
 穏やかな好青年の仮面を被る王子の、隣に立つ少女を見てリギアは一瞬表情を凍らせた。それに気付くことなく、少女――ラティアは心配そうな顔でリギアを覗き込む。
「大丈夫? 朝になっても帰って来ないんだもの。心配したのよ。アスエル達も心配してたわ。ついさっき、高熱を出して倒れているってリールが知らせに来てくれて」
 ラティアの手が、慈しむように優しくリギアの額に触れた。鋭い刃物の切っ先で突かれたかのように胸が痛む。呼吸までもが浅く苦しくなり、リギアは固く眼を閉じた。
「じゃあ、僕はしばらく階下へ行っているよ。用事があったら呼んでくれ」
 リギアの心境などわかるはずもなく、優雅な微笑みを残しリイルアードが部屋を立ち去る。
「熱は、だいぶ下がっているのね?」
 少女の、冬の大気に凍えた冷たい指先が、彼の額から頬へ滑っていった。寝台が僅かに沈み込みリギアが眼を開けると、ごく近くにラティアの顔が見えた。
 彼の涙に濡れた瞳を熱のせいと合点し、少女は気遣うような表情を深める。頬に触れていた手をリギアの首筋にあて、彼女は強い口調で訴えた。
「無茶なこと、しないで」
 熱をもった首筋に、彼女の冷えた手が心地良い。眼を細め、リギアはどこか自嘲的に唇を歪めた。
 胸を締め付ける、どうしようもない想いの理由は二つだ。心を押しつぶしてしまいそうな強い悔恨と、罪悪感。そして、虚しさ。
 リギアは少女を見つめながら、何度か唇を開閉させた。
 何か話そうとして、言葉にならない。そんな様子の彼を、ラティアは戸惑った表情で見つめ返す。
(離れなくては)
 決して離すものかと。そう誓った相手を沈黙したまま見つめながら、リギアはそう強く思った。その反面で、何も告げずに彼女を連れて逃げてしまおうか……そんなことも考えてしまう。
 反逆者として追われるだけならば、それはそんなに恐ろしい事ではない。バルゼ国まで逃れてしまえば、きっと大丈夫だろう。ラティアが望むのならば、そうしても良い。
 しかし、それが甘い夢に過ぎない事を彼は良く理解していた。彼を追う組織は、裏切り者を決して赦しはしない。二つの組織に追われることになるのだ。逃げ場は少なく、平穏な暮らしなど望めないだろう。
 双眸を伏せ、彼は唇を噛みしめた。苦しげに歪む表情に、ラティアが益々心配そうに眉を寄せる。
「どこか痛い? リギア、横になっていたほうがいいよ。ね?」
 リギアは小さく首を横に振り、心配ないからと言いながら弱々しい笑みを浮かべた。彼女と再び出会った日のことを思い返し、その笑みが微苦笑へと形を変える。彼は、あの日に少女が浮かべた昏い表情を心に刻み込んだ。
(俺には迷う資格すらないんだ)
 心の中でそう呟きながら、彼の腕はラティアを抱き寄せている。その腕の思わぬ力強さに、ラティアが驚いたように身を竦ませた。
「リドルをどうしても探したいか? なぁ、このまま二人で遠くへ行ってしまっては駄目か?」
「リギア?」
 ラティアは大きく眼を見開いて、言葉を失ってしまう。彼女は、彼の懇願するような口調を初めて耳にしたのだ。
 戸惑いを隠せずにいるラティアを、彼は更にきつく抱き締めた。
「二人で、遠くに行こう。ラティア……」
 涙が、零れ落ちた。
「熱、あるよ、リギア」
 リギアが額を押し付けている右肩が、熱く湿っている。ラティアは彼が泣いていることを悟ったが、気づいていないように振舞った。
 彼の金の髪を指で梳き、それからきつく抱き締め返す。
「リギア。今すぐにこの国を出たいのならば、それでもいいよ?」
 己の胸の奥から込み上げてくる想いを、必死で押さえ込みながら彼女はそう呟いた。
 その言葉に、はっと我に返ったリギアが閉ざしていた眼を開く。そして、幸せそうに微笑んだ。その言葉だけで、もう何も望むまいと彼は心から思ったのだ。
「ごめん。何か、少し混乱している。たぶん、熱のせいだ。大丈夫、リドルを探そう。今すぐに逃げる必要なんてないんだ」
 ラティアは一瞬、怪訝そうに眉を寄せた。彼の言葉にどことなく、奇妙な違和感を感じたのだ。しかし、熱が高いせいだろうと、深く追求することはしなかった。
 ラティアを離し、その頬に軽く口付けてから彼は優しく微笑んだ。それから、表情を一転させて真剣そのものの顔になり、言葉を紡ぐ。
「ラティア。好きだ。俺は、おまえのことを愛している。……何があっても。例え、何があっても、それだけは、どうか信じていて欲しい」
 淡く頬を桜色に染めて、ラティアは嬉しそうに笑った。
「うん。信じてる。ずっと」
 リギアは再び溢れそうになる涙を堪えながら、唇に自嘲的な笑みをはりつける。
 仮に、真実を隠しとおして、ラティアと結ばれたにしても。幸せになどなれないだろう。真実は変えられないものだ。隠されていた真実を、もしも知ってしまった時には、隠していた時間の分だけお互いの傷が大きくなるだけなのだ。
 だからこそ。そうなる前に、自分は消えなくてはならない。
 屈託のない笑みを向けてくる少女を見つめながら、そう決意を新たにする。
「ラティア。アスエルを呼んでくれないか? 二人で話がしたいんだ。ついでにリールにも声を掛けてくれ」
 そう頼んでくるリギアの瞳がいつものもので、様々な感情が揺れ動く彼を、心細いような思いで見つめていたラティアは明るく頷いて見せた。
「わかった。行ってくるよ。アスエルがこっち来るなら、私はルフィと一緒にいるね。後で、また来るから、ちゃんと休んでいてね?」
「ああ、大丈夫だ」
 笑顔を残し去って行くラティアの後ろ姿を見送りながら、彼は心の内でひっそりと呟く。
(けれど、どうかお願いだ。もう少しだけ、共に歩ませてくれ)
 ゆっくりと身を倒し眼を閉じる彼の脳裏に、淡い緑の、澄んだ瞳の色がやきついて離れなかった。


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