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4.残酷な記憶 ―1― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 きっかけは、何だったろうか。
 初めて出会った湖が、とても美しかったことを覚えている。
「お兄さま、たてごとのおけいこをしていたの?」
 無防備にそう訊ねてきたのは、ひどい顔色の子供だった。けれども、その瞳だけは湖にも負けない程の美しい輝きを放っていて。
 魅き込まれるように、澄んでいた。少女と話しているうちに、鼻の奥がつんとしたことを覚えている。何故だろうか、飾り気のない少女の笑顔に涙が出そうになったのだ。
 それは、彼が生きてきた十七年の中で初めて起きた事だった。
 それまで潜めて閉じ込めてきた彼の心が、ゆっくりと溶け出した瞬間だった。

「ラティア……」
 吐息と共にその名を呟いてから、彼ははっと我に返った。覚醒していく意識を感じながら、視線を巡らせる。
 彼が横たわっているのは大きめの寝台のようだが、昨夜は宿に帰った覚えはない。しかも、寝具の質は良く目に映る天井には高価そうな装飾が施されていた。
 どう考えても宿泊代金の高そうな宿で、彼には縁がなさそうだ。
「……だりぃ」
 そこまで思考が辿り着くのに、ひどく時間がかかる。彼は溜め息と共に寝返りをうち、触り心地の良い寝具に頬を寄せた。柔らかい枕とふわふわとした掛け布団に、やはりどこか違和感を感じながら。
 身体がとても熱く、そして寒い。小さく身震いをした彼は、寝台から少し離れた位置にある長椅子に男の人影を見た。ゆったりと長椅子に身を横たえ、毛布を被って眠っているようだ。
「誰だ、てめえ」
 彼は唸るようにそう声を絞り出し飛び起きようとしたが、不意に眩暈に襲われて力なく寝台に倒れ込んだ。
「な、んで……」
 自分の身体が、自分のものでないような。不確かな感覚に彼は戸惑いを隠せない。そんな僅かな音を耳に留めて、長椅子の男は目を覚ましたようだ。
「それだけ、熱が高くてはな。動けないのも道理だろう。まぁ、自業自得というやつだな。しばらくは、大人しくしているがいい」
 低く不機嫌そうに告げてくる声には、聞き覚えがあった。我知らず、リギアは唇を噛み締める。
「おまえの様子が妙だったのでな、あの場所に戻ってみたのだ。そうしたら、おまえが眠っていた。降り積もる雪に半ば埋もれてな。どういうつもりかは知らぬが、死ぬのはやめてくれないか」
 凛とした声が、胸に痛い。ぼやける視界の隅に、銀色と見紛う金の髪が入ってきた。
「そのような去り方をされては、ラティアが気の毒だ」
「うるせぇ。こっちには、こっちの事情があるんだ。安心しろ、死ぬ気なんてない」
 リイルアードと視線を交わさぬようにしながら、彼は投げやりな言葉を紡ぐ。心なしむっとした様子で、リイルアードは大袈裟に溜め息をついて見せた。
「ならば、礼くらい言って見せてはどうなのだ? 私は貴様の生命の恩人なのだぞ」
「一応、そうするのが礼儀だろうな。ありがとよ」
 微塵ほども心のこもっていない礼を面倒くさそうに呟いて、リギアは自嘲的に笑う。
「ところで、何故、おまえはあんなところに倒れていたのだ?」
 心底、不思議そうにリイルアードが訊いてきた。
「おまえには、関係のないことだ」
 王子の質問に深い意味などはないのだろう。けれども、鋭く拒絶するようにそう言って、リギアは王子を睨みつける。
「何だと?」
 無礼な物言いに文句を言おうとして、リイルアードは思わず言葉を飲み込んだ。
 高熱で潤んだ彼の、薄い水色の瞳がひどく冷たい。表情は虚ろで感情を感じられないが、見据えられると背筋が寒くなる。
 我に返って、彼は曖昧な笑みを浮かべた。今、己がこの青年に対して感じた恐怖をごまかすためだ。
「人間にはな、話したくないことの一つや二つあるんだよ。王子様?」
 どこか、人を小馬鹿にしたような口調で、唇を歪めてリギアが言う。
「ふ。高熱で動きが取れない男が口にする言葉ではないな」
 リギアの纏う氷のような空気が和らいだ。それを受けてリイルアードも軽口を叩く。
 不機嫌そうに鼻に皺を寄せたが、それは真実だ。認めるしかなく、リギアは鼻を鳴らして彼に背を向けた。
「宿の者に言って、軽い食事を作らせる。食べ終わったら薬を飲め。おまえの体力次第では、今日の夜には回復するだろう」
 リギアの後姿に向けて言いながら、彼は扉の方へと歩を進める。そして、瞬時迷った後で、無愛想にけれども優しい声音で呟いた。
「昨夜はすまなかった。おまえの心をほんの少しも考えていなかった。即刻立ち去れ、というつもりではなかったのだ。ただ、彼女が私の説得に応じてくれた時には、どうか邪魔をしないで欲しい。それだけだ。私とて、彼女の意に反して彼女を連れ去ることは、最終手段と思っている」
 思いもよらぬ言葉を聞かされ、リギアは驚いて目を見開く。
「わかってるさ。『その時』に邪魔をする程、俺は馬鹿じゃないつもりだ」
 振り返らないまま穏やかにそう答え、どことなく悲しげに微笑した。


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