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3.過ぎゆく日々の中で ―8― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

「リイルアード=アーグ=ラルゼ=イセナーダ」
 彼は笑みを強め、威厳すら感じさせる声で名乗りをあげた。
「その通りだ。私は、このイセナーダ王国の第一王子だよ。知っているのならば、話が早いな」
「王子が、何故ラティアに構うんだ。あんただって、婚約者がいるだろう。ラティアだって、一年後に結婚するって言ってた。お互いに婚約者がいて、それに、身分だって違うじゃないか。そんな相手についてまわって、どうするんだよ」
 益々大きくなり、もはや怒鳴り声に近いリギアの言葉に、リール――リイルアードは嘲笑をもって答える。
「おまえは、本当に何も知らないのか」
 面白そうに、そして嘲るように己を見つめるリイルアードの顔を睨み付けるうち、リギアの眼から次第に力強さが消えていった。ひどく、嫌な予感がする。この先の言葉を聞いてはならないと、彼の心が警鐘を鳴らしていた。
 しかし、彼にはリイルアードの言葉を遮る事は出来なかった。
「ラティアだ。私の婚約者はラティアだよ」
 彼の中で生まれ密かに育っていた小さな違和感が、一気に膨れ上がる。リギアは耳を塞ぎ、その場から逃げ出したい気持ちに駆られた。
「ラティアは、商人の娘なんだろう……?」
 拳を握り締めたリギアの、その強さとは裏腹に力無く吐き出された言葉に、王子は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「彼女が、私ではなく別の男を見ている事は知っていた。……初めて身分を偽って彼女の元を訪れた時は、ほんの出来心だった。けれども、二度目からは別の理由が出来ていたのだ。彼女に心を開いて欲しいと思っていた。自分が婚約者であると告げて、身構えられたくはなかった。しかし、彼女は私を見てはくれなかった。何故だかわかるか? 彼女の心には既に貴様がいたからだ!」
 それまで平静を装っていたリイルアードが激昂し、叩きつけるように言葉を吐いた。その激しさに、リギアは返す言葉を失くしてその場に立ち尽くす。
「わかるか、リギア。ラティアは事の重大さに気付いてはいないようだが、貴様にならばわかるだろう? 私との婚姻を破棄して逃亡すれば、彼女は反逆罪に問われる事になる。無論、おまえもだ」
「そう、だろうな」
 握り締めた拳の内で爪が皮膚を傷つけたのか、リギアの拳から紅い雫が零れ落ちた。
「ラティアは私が七つの時に定められた相手だ。いずれ、この人と連れ添うのだとずっと思って生きて来た。けれども、その人には既に想う相手がいる。機を見て、私は自分の身分を明かそうとしていた。しかし、私こそがおまえの婚約者なのだと、言うきっかけを奪われてしまった。この虚しさが、おまえにわかるか?」
 積年の恨みとは、こういうものを言うのだろうか。堰を切ったように言葉を放ち続けるリイルアードを見つめ、リギアは思う。
 ラティアの口からは告げられていない事実だった。出会ってからの長い年月、それを隠されてきたのだと思い知り胸が痛む。しかし、己とて全てをラティアに明かしているわけではないのだ。そう思い直す事で、彼はどうにか心を落ち着ける。
「彼女は、五代前に王族から分家した公爵家の娘だ。ラティア=ルナ=エヴァランス。耳にした事くらいはあるだろう?」
 不意にリギアは大きく眼を見開き、凍り付いたように全ての動きを止めた。「高名な家柄だからな」と、続くリイルアードの言葉さえ耳に入らなかった。
「エヴァランス公爵家……だと?」
 震え、掠れる声に、リイルアードははっきりと頷いてやる。
「ああ、そうだ。……リギア。私は、私の責任に於いて、必ず彼女を連れ戻す。年が明けた春に予定されている婚礼の儀までに、必ず彼女を説得してみせる。ラティアを反逆者にするわけにはいかない」
 その声が届いているのかいないのか、リギアは何の反応も返さなかった。瞳は虚ろでぼんやりと冷たい月を見つめている。リイルアードは不審そうに小さく眉を寄せながらも、言いたい事のみを告げて彼に背を向けた。
「その時に、邪魔はしてくれるなよ」
「…………」
 やはり、リギアは何も答えない。焦点の合っていない彼の眼を気に留めたのか、リイルアードは何回も振り返りながら去って行った。
「ラティア……ルナ……エヴァランス?」
 一人、取り残されたリギアは呆けたように呟いて、がくりと雪の上に膝をつく。
「エヴァ、ラン……ス」
 爪から血が滲み出す程に強く、ぎりりと雪を掴みリギアは乾いた笑い声をあげた。滲んだ掌の血が、純白の積雪に鮮やかな色を落とす。

 ――間違った認識で人を傷付けてはいけない、と――

 耳に蘇えるのは、馬車の中で聞いたラティアの言葉だ。どうしてだろうか、遠い昔の出来事のように、彼の脳裏を通り過ぎる。
(金持ちや貴族なんて、みんな同じだと思っていたのに)
 リギアは雪の上に伏し、狂人のように身を震わせて笑い続けた。
(魔族を平気な顔で踏みにじる、人間への、復讐だったのに)
 ふと顔を上げると、先程ラティアが作っていた雪だるまが視界に飛び込んで来る。
「ラティア」

 ――おまえの事が好きなんだ――

 それは、いつかの自分の言葉だ。今思えば、伝える事など許されるはずもなかったのだ。
「ラティア!」

 ――ずっと一緒にいられる――

 一刻もたたぬ前に伝えた言葉が酷く悔やまれる。自分には、それを言う資格などありはしなかった。
(初めから、無理な話だったんだ。なにもかも!)
 くいしばった歯の隙間から鳴咽が漏れる。
「く……はは……っ! ……あははは……っ」
 どうしようもない、やりきれない想いは、ひきつった笑い声となってリギアの唇から放たれた。
「ラティア……ラティア、ラティアっ」
 笑いが、止まらない。痙攣するように、喉から乾いた笑いが漏れた。愛しい人の名を呼ぶ、悲鳴のような細い声が辺りに響き渡る。
 やがて彼は、力なくその場に身を横たえた。いつしか流れ出た涙が頬を伝い落ち、真白き雪を溶かしていく。
「どうして……?」
 繰り返される問いは、きっと永遠に答えを得る事はないのだ。
 底知れぬ虚しさを抱きながら、リギアは笑い続ける。
 お互いに、はじめから偽り続けていた事。何もかもが真実ではなく偽りであった事。それなのに、お互いを愛してしまった事。

 これが、その報い。


 痛々しく虚ろなその声は、夜明け――空が白む頃まで途絶える事はなかった。




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