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1.始まりを刻む時 ―1― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 その娘が静かに扉を開けて入って来た瞬間、そこは日頃にはない静寂に包まれた。
 立っている者、座っている者。食べている者、飲んでいる者。その場にいる全ての者が彼女に注目している。
 確かに、場にそぐわぬ女性だった。この酒場はクシュア大陸北側中部の王国、イセナーダの王都にはあるものの、華やいだ表通りに面した店ではない。ならず者達が集まる裏通りの一角にある店だ。
 娘は下町の女達が好んで着るような質素な服を身に纏い、腰まで届く黒髪には何の飾りもつけていなかった。しかし、彼女の瞳は理知的で、何がしかの教育を受けていた事がうかがえる。加えて仕草は紛れもなく上流階級のそれであり、隠しようもなかった。
 この娘が何故町娘などに扮装し、しかも、裏通りに並ぶ店の中でも質の悪い酒場へ足を踏み入れるのか。不躾な視線を彼女に送る客達の眼に浮かぶものは、あからさまな好奇と哀れみだ。
 明らかに世間を知らなそうな、こんな娘が辿る道など知れている。
「訊ねたいことがあるの」
 細い声で、彼女が言った。
 幼さの残る愛らしい容姿の中でただひとつ、淡緑の瞳が気丈に輝いている。
「暗殺者ギルドがある場所を知りたいの。知っている人、こういう所にならばいると思って」
 予想だにしなかった言葉に、その場の皆はざわめいた。可愛らしい娘の唇から放たれるには、物騒すぎる単語だ。
「やめとけよ、お嬢ちゃん。憎い恋敵を消し去りたいんだとしてもだ。あんたみたいな子供、奴らは相手にもしてくれねぇぜ」
 そう話しかけてくる男と、「違いねぇ」と大笑いする男達を睨み付けながら、娘はむっとした様子で言葉を続ける。
「私は、もう十九よ。子供じゃないわ。質問に答えられる人はいないのね?」
 ならば用はない、とばかりに身を翻す彼女の細い肩を、男の大きな手が掴んだ。ぐるりと周りを数人の男に囲まれて、不愉快そうに眉をひそめ彼女が立ち止まる。
「なぁ? せっかくこんな所まで来たんだからよ。酒でも飲んで行けよ」
「そうそう、いくらでも奢ってやるから」
 娘は必死で身を捩り、彼らを振り払おうとするが完全に力負けしていた。
「離してっ!」
 当人は十九と言ってはいるものの、十四、五にしか見えない娘を男達が囲んでいる様子に、哀れむような視線を向けはしても誰も助けに入ろうとはしない。
 この場所ではそれが日常茶飯事だ。だからこそ、下町の娘でも滅多に足を踏み入れるような真似はしない。
「暗殺者ギルドへ行こうってくらいなんだ。覚悟はあるんだろ? あそこは、依頼者を選ぶぜ? 命令を聞くに足らないと判断されたら、即、殺される」
 そう言ってにやにやと笑う男のくすんだ瞳を、疑う事を知らない澄んだ瞳で彼女は見上げた。
「知っているの?」
 男は思わせぶりに笑みを浮かべ、彼女を椅子へ促す。大方の人間が「胡散臭い」と感じるような笑みだったが、彼女はそれには気づかなかった様子だ。
 素直に腰を下ろした娘に杯を手渡し、「話はそれを飲んでからだ」と男は笑みを深くする。
 彼女は少し躊躇ってから杯に口をつけた。何を犠牲にしても暗殺者ギルドを探したい。その一心が彼女を突き動かしていた。
 酒は食事の時に少しならば飲む。少量ならば問題ない。
 そんな安心感もあったかもしれない。
 しかし、勧められた酒を口に含んだ瞬間。今までに嗅いだ事のない、きつい匂いが鼻の奥を刺激する。戸惑いながら嚥下すると、喉から胸、そしてこめかみの辺りが熱を持った。ぐらりと視界が揺らいで、周囲がぼやける。
「な、に?」
 後から喉を灼くような痛みが疾った。激しくむせ返ると、身体が芯から熱くなり思考まで揺らいでしまう。
「な、んで……?」
 薄らいでいく意識の中で、それまで単調に流れていた竪琴の音色が止んだ事だけがはっきりとわかった。明るい曲調で、どこか懐かしい音色を無意識に耳で追っていたのだろう。
(きれい、だったのになぁ。……ざんね……ん)
 心の中でそう呟いたのを最後に、彼女は意識を手放した。


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