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吹きゆく風と、沈む夢【完結】 ブログトップ
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―エピローグ― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

「リイルアード殿下万歳!」
「王太子妃殿下、万歳!」

 そんな声がそこかしこからあがっていた。
 クシュア暦一五六二年三月十七日のことである。
 この日、イセナーダ王国の王都では、第一王子リイルアードとエヴァランス公爵家の娘であるラティアの婚礼の儀が執り行われた。
 本来、昨年の四月に行われる予定であったのだが、妃となるラティアの両親たる公爵夫妻が暗殺されたことにより延期の運びとなったのである。もっとも、ラティアは一年程前から城内に部屋を与えられ行儀作法などを学んでいたので、近く婚礼が執り行われることは衆知の事実ではあった。
 早朝より婚礼の儀は城内で厳粛に行われ、今しがた終了したところである。
 儀式の後、騎士と魔術師らによって厳重に警備された王都の大通りを、城から王家の先祖が眠る霊廟まで、婚礼の報告のため二人で歩いて行くのがこの国のしきたりだ。
 その姿を一目見ようと、王都には朝から大勢の民衆が詰め寄せていた。イセナーダ王国では、王家に属する者の姿を目にする機会はとても少ないのだ。
 城門が開き、大勢の供を従えて、美しい婚礼衣装を纏った一組の男女が姿を現す。
 王子は、純白の上下服の上に細かい金糸の刺繍が入った朱色のローブを纏っていた。その額を飾るのは彼の髪よりも色の薄い白金製のサークレットで、それは王位継承者の証でもある。濃青の瞳はいつもどおり冷たく澄んでいたが、彼の整った眉目は何故か淋しげにも見えた。
 隣に立つ妃は、やはり純白の丈の長いドレスで身を包んでいる。その衣装の裾には白金糸の刺繍が施してあり、日の光を反射してまばゆく煌いていた。二の腕までを隠す白い布地の手袋をはめているものの、羽織った同色の薄手の肩布から透ける白い肩が何とも寒々しく頼りない。彼女の腰まで流れる長い黒髪には淡い桃色の小花が散らしてあり、その上からかけられた白いヴェールが良く映えていた。
「太陽の神と、月の女神のようだ」
 居並ぶ民衆の誰かが口にした通り、二人が並んで立つ様はとても華やかである。
 けれども、王太子妃たるその女性は今にも泣き出しそうな表情をしていた。
 それは、喜びのためでは決してなく。故に、隣に立つ王子の表情を淋しげに曇らせるのだ。

「綺麗だな、あいつ」
 群衆の波にもまれながら、ぽつりと呟く男がいた。
 その男の隣に立つ中年の男が「ああ」と相槌をうつ。中年の男に肩車された七、八歳の少女は、美しい花嫁の姿にはしゃいでいた。
「おねえちゃん。きれいだねぇ」
「こらルフィ。もう、おねえちゃんだなんて呼んじゃいかんのだぞ」
 養父がそう注意するが、子供には理解の出来ないことだ。
 少女は黒い瞳を不満そうに細めて、中年の男の濃茶色の髪を思いきり引っ張った。痛みのため、眉をしかめながら、男――アスエルは隣に立つ長身の男に眼をやる。
 彼は、懐かしむような表情に諦めの色を混ぜて。普段の彼からはとても想像することの出来ない、優しい薄い水色の瞳で花嫁を見つめていた。
「綺麗、だよな」
 そしてもう一度、小さくそう呟く。
 彼ら三人は現在、北の大国バルゼに住んでいた。
 父娘は田舎の小さな町に。リギアは、この世界の理不尽な魔族差別を覆そうと語る集団のもとに。別々に暮らしている。
 二ヶ月ほど前にアスエルがラティアの婚礼話を聞きつけ、一目でも見たいと願ったリギアは転移魔法を駆使してイセナーダにやって来たのだ。
 別れた日から一年余月が過ぎて、幼さの残る風貌をしていたラティアは別人のように大人びていた。憂いを帯びた淡緑の瞳に、胸をえぐられるかのような痛みを覚える。
「ラティア……」
 そんな彼らの前を、ゆっくりと行列が進んで行く。
 花嫁は王子と眼をあわせることなく、ただ前のみを見つめ歩いていた。それは、決してラティアにとって幸せな結婚と言えるものではないのだろう。
「けれど、他に、どうすれば良かったのか」
 苦しげな独白は、群衆の声にかき消されていった。
 王子が手を引く花嫁の姿が、彼らの前を通り過ぎる。リギアはただ静かにその姿を見送った。
「行くか? 長居はお互いに都合が悪いだろ」
 肩車をしていた娘を一度地面に降ろし、今度は軽々と抱き上げてアスエルが問う。
 お互いに追われている身だ。リギアは死亡したとされているが、万が一見つかって騒ぎにでもなった場合には王子にまで類が及ぶ。
「そうだな。こんな日には、暗殺者の出も多いだろうしな」
 彼女の姿を見られるのも、これが最後となるだろう。リギアはそんな思いを抱きながら振り返り、ラティアの姿を目にやきつけようとした。
 その瞬間……彼は心臓がはねあがる思いで、我知らず小さく声を漏らした。
「ラティア」
 どういうわけか、ラティアが眼を見開いてこちらを振り返っている。
 二人の視線が、空中で遠く絡み合った。
 駆け寄って抱きしめたい。そんな衝動を、リギアはどうにか押さえ込む。
 そんなことをしては、自分は勿論のことラティアの命も危ないのだ。だから彼は、きつく両手を握りしめ呪文を唱えた。
 左手で印を結び、右手でアスエルとルフィに触れる。
「愛している。幸せに、なれ」
 姿を消す最後の一瞬に。壊れそうな脆い笑みを浮かべ、リギアは言った。
 その脳裏に、彼女の今にも泣き出しそうな、崩れてしまいそうな儚い笑顔がやきついて離れない。

「どうしたのだ?」
 突然、はじかれたように振り返りその動きを止めた妻である女性に、リイルアードはそう問いかけた。
 この行列を従えて、長時間留まることは許されない。
「リギア」
 呆然とした様子のラティアがそう呟くのを耳にして、リイルアードは表情を固くした。そして、少々乱暴に妻の腕を引く。
 はっと我に返ったラティアは、悲しげに俯いて小刻みに首を振ってみせた。
「何でもありません、殿下。幻を見ただけです」
 よそよそしいその口調に、リイルアードが唇を噛みしめる。
 あの日から、ラティアは決して自分に対する態度を崩そうとはしなかった。城内の、他の誰にも壁を作り、心を開く様子はない。
 もどかしいような想いに駆られることもあったが、リイルアードは後悔はしていない。
(何者からも彼女を守る。この剣にかけて、誓おう)
 いつかリギアに言ったあの言葉は飾りではない。
 傍らで守ることが出来るのであれば。夫でなくとも、騎士であればそれで良い。
 その思いを噛みしめながら自嘲的に唇を歪めると、リイルアードは恭しくラティアの手を取り再び歩き出した。
 それを振り払うことはなく導かれるままに歩むラティアの、淡緑の瞳が涙で濡れている。
 金色の肩より少し長い髪。冷たく優しい薄い水色の瞳。見紛うことのない、長身の愛しい人の幻は何と告げたか。
(私も、愛している。あなただけを)
 彼女は心の中だけで哀しく呟いた。
(でも、幸せになんてなれない。なってはいけない)
 けれども、誓ったから。生きて行くと、彼に誓ったから。
 隣に立つ人の優しさを受け入れて、彼女は己の道を進んでいく。

 群衆の歓声を遠く聞きながら、ラティアはゆっくりと微笑んだ。


 罪のために。
 お互いの、罪を償うために。
 二人。
 離れて、生きて行くのだ。



 その数ヶ月後、エヴァランス公爵であるラティアの兄、シルヴァルト=フィリス=エヴァランスが反逆罪で捕われた。
 本来ならば死罪とされる罪だが、王太子妃の兄という立場から彼は死罪を免れ、城の片隅にある塔の上で生涯を送ることとされた。
 彼の幼い息子の後見人にはリイルアードが進んで起ち、その妻は事実上公爵家の館に幽閉される事となる。
 その全てを仕組んだのはリイルアードであり、反逆の濡れ衣を着せたのも彼だった。しかし、その真相を知る者は、イセナーダ王国には誰一人としていなかった。

 一方、バルゼの魔族同盟に加担したリギアは、その強力な魔力のために組織の中央に取り込まれる事となる。
 彼は、確実に運命の渦中へ飲み込まれようとしていた。


 そう、齢十五にも満たない、魔族の少年を中心とした、運命のただ中へと――――。


〈了〉

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7.未来へと吹きゆく風に ―7― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 肉を断ち切る耳障りな音が響いた。
 男が一人、断末魔の叫びを上げながら地面に伏し、物言わぬ肉塊と化す。その周囲には、同じように命を絶たれた者達が複数人、無造作に転がっていた。
 あらぬ方向に首が捻じ曲がっている者や、全身を鋭い刃でえぐられたような傷跡のある者。何か、重い物体によって潰されたような状態の者もいた。
 白い雪原を赤く染め上げて倒れ伏す十数人とも、死因は様々のようだ。ただ一つ共通していることは、それが魔力の引き起こしたものであるということだろうか。
 それも決して魔術などではなく、行き場のない魔力が放たれた結果の惨事であることが伺える。それほどに、周囲に満ちる精霊の力は混乱した複雑なものだ。
 魔力の渦の中心には一人の幼い少女がいて、立ちつくす中年の男を庇うように両腕を広げていた。煌く瞳は澄んだ紫で、正気の色では既にない。
 六つになるかならないかという年頃の少女が護ろうとしている男の右腕からは、おびただしい量の血液が流れ出していた。
 止血のために肩口をきつく押さえてはいるものの、あまり効果はないようである。
「パパにいじわるする人はゆるさない! パパを傷つける人はみんなだいきらい!」
 そう舌足らずな口調で叫ぶ少女の眼は、既にこの世界を映してはいないようだった。金の巻き毛が、風も吹いていないのにふわりとなびき、紫銀の光が少女にまとわりつく。
「ルフィ……っ!」
 そうしている間にまた一人、得物を構えた男が地に崩れた。
 中年の男――アスエルは、地に膝をついて背後から養女の小さな身体を抱きしめる。
「もう、いい。俺はもう大丈夫だ! やめるんだ、ルフィ……っ!」
 必死にそう呼びかけてはみても、ひとたび暴走した力はそう易々と収まるものではなかった。
「ルフィ!」
 渾身の力と想いを込めて、養女の名を叫ぶ。
 逃げ去った者も含めて、今、この場で動く存在は彼ら親子の他にはなかった。最後の一人が、倒されたのである。それでも、ルフィの力は収まる気配すら見せない。
「もう、やめてくれ。ルフィ! おまえには、こんなことさせたくないんだ」
 腕の力を強めるアスエルの瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。
 その次の瞬間、唐突に渦巻く力が消え失せルフィの全身から力が抜ける。
「ルフィ?」
 倒れ込む少女の小さな身体を片手で軽々と受け止め、アスエルは素早く辺りを見まわした。ルフィの力の及ばぬところから、誰かが魔術をしかけたのかとも考えるが、ルフィは規則正しい寝息をたてて眠っている様子だ。
 アスエルは魔術的な事象には疎いほうではあるが、これが魔術的な力に干渉されていることは理解できた。殺気は感じられないため、とりあえずは安堵する。
「やっと、みつけた」
 木の影から、微苦笑を浮かべた男が現れた。雪を踏みしめ、よろめきながらこちらへ歩み寄ってくる。
「人が死ぬ思いでイルクについたら誰もいねぇし。置き去りにされたかと思って、へこんだぜ? 伝言くらい残せよな」
 薄い水色の瞳を細め、現れた男は唇に薄く笑みを刻んだ。
「それはこちらの台詞だ、リギア。突然、何の挨拶もなく消えやがって。心配したんだぞ?」
 瞳を陰らせて素直に詫びを入れてから、リギアは口元に軽い笑みを浮かべる。
「宿の主人に聞いたら、何か変な奴らと共に町を出て南の方へ行ったって言うから。まさかと思って追いかけてきたんだ。こんな森の中で何遊んでんだよ」
 その言いようには流石のアスエルもむっとした様子で、唇を曲げて眼を眇めた。
「遊んでたように見えるか、これが。町で奴らに見つかっちまってな。お互い町の中で殺りあうのはどうかってことで、こうなったんだよ。ルフィは俺が殺されそうになったら、ああなっちまった。正直なところ、どうしていいのかわからなくて困ってたんだ。礼を言うよ」
「あれは魔族の力の暴走だ。俺にも覚えがある。……しかし、こいつはかなりの力量なんだな。教えていけば魔術師になれるだろう」
「じゃあ教えてやってくれよ。腕に覚えがあれば何かと安心だから」
 その言葉に頷いてみせながら、リギアはアスエルの右腕に触れる。
「力を抜いて。治癒する」
 呪文と共に、暖かな光がアスエルを包み込んだ。ほっと息をついたアスエルは、ルフィの額に手を当て瞳の色を変えるための呪文を唱えているリギアを見て、小さく叫び声をあげた。彼の血まみれの着衣と、出血が続いている傷口に気付いたのだ。
 良く見れば、リギアの唇に血の気はなく、いつもは気丈なその瞳も虚ろである。
「人を癒す前に自分だろうが!」
 苛立ちを隠せない強いその口調に、リギアは微かに苦笑を浮かべた。
「魔術で出来ることなんて限られているんだ。傷口をふさいで一時的に出血を止めることしか出来ない。だから、無理したり動いたりすればまた傷口は開く。この傷は、背から胸に貫通してるからなぁ……治すにはそれなりに休養が必要かな」
 よろめくようにアスエルにもたれかかり、彼は呟く。近くなったリギアの息が僅かに乱れており、アスエルは胸を突かれるような思いになった。思わず、幼子をあやすように彼の髪を指で梳く。
「それに、魔術を使うために力を込めると傷が悪化して……悪循環」
 安堵感に包まれたリギアはアスエルの肩に額を押し付け、そう言葉を付け足した。
「じゃ、どこか田舎の村で長期休養だな」
 頭に叩き込まれた地図を思い浮かべながら、どの村が適しているかなどと独り言のように呟くアスエルに、リギアは怪訝そうな視線を向ける。
「バルゼへ行くんじゃなかったのか?」
「行くさ。おまえのその怪我が治ったらな」
 最初から決まっていたことのように言い切って、アスエルは養女を抱いていないほうの空いている左腕でリギアを抱き寄せた。
「泣いちまえ、泣いちまえ。そんで少しすっきりしたら、近くの暗殺者の寄り付かねぇような村に移動するぞ」
「アスエル……」
 涙をどうにか堪えるような声音で、リギアは彼の名を囁く。
「ありがとう」
 何も言わずただ傍にあること。それが、今の彼にとっては大いなる救いであった。
「何も、きかないんだな」
 しばらくたって肩の震えが止まってから、リギアはポツリとそう呟いた。彼の身体に己のマントをかけてやりながらアスエルが笑う。
「だいたい、わかっているしな。どこからか飛んで来た手紙を受け取って読んでいた奴が、血相変えて飛び出して行ったから。見当がつくならば敢えて聞く必要もないだろ?」
「…………」
「ほら、しっかりつかまれ」
 ゆっくりとリギアを立ち上がらせた後、彼は左肩でリギアの体重を支え、右腕にルフィを抱えた姿勢で照れたように殊更無愛想な声を出した。
「あんたには、敵わない」
 諦めの混じるリギアの独白に応えることなく、アスエルは曖昧に笑む。
 彼とて、未だ悪夢から逃れられたわけではない。けれども、生きてきた歳月の分だけ心は強くなった。守るべきものをこの手で守り抜くために、必死で強くなった。
 立ち直れるものだと知っているからこそ、ここでリギアを埋もれさせたくはないと彼は思っていた。リギアならば罪を罪だと認め理解した時点で、改められると感じていたからだ。
「両親は、俺を愛していてくれてたのかな」
 唐突に、ぽつりとリギアが呟いた。踏みしめる雪の音に、掠れてしまいそうな小さな声だ。
「愛されてないと思ってたんだ。今までずっとそう思ってきた。でもあの日、彼らは最後に俺のところへ来てくれた」
 慎重に進める足に、確かに踏みしめる雪を感じながらアスエルは柔らかく瞳を和ませた。
「その答えは、おまえが一番良くわかってるだろ?」
「ん……」
 リギアはやっとの思いでそれだけを声にのせ、唇を噛みしめる。鼻の奥がつんとして、今にも涙が零れ落ちそうだった。
 そんな二人の姿を、既に昇りきった昼過ぎの太陽が暖かく照らしている。
 雪を七色に反射させながら……ただ、静かに。


(ラティア。もう二度と、語り合う日は来ないけれど)
 不意に空を仰いで、リギアが大きく息を吐く。
(叶うなら、共に過ごしたかった。けれど、俺の存在がおまえを苦しめ、おまえの存在が俺を追い詰めていく。愛しいと思う心は変わらないのに)
 二人。共に歩めば、傷を付け合うことになる。だからこそ、離れて歩まなくてはならないのだ。
(これで、いいんだよな)
 否と叫ぶ声が、己の中にあることを彼は知っている。
 けれども、リギアは唇に微笑を浮かべた。
(この心も、想いも、全ておまえのものだから)
 「憎しみも、悲しみも全て受け止める」そう思った心に偽りはない。全て受け止めて彼女に葬られるつもりだった。今は、全て受け止めてこの先の未来を歩んでいく覚悟を決めた。それだけの違いだ。
(ラティア)
 空から視線を落とし、彼は行く手を見据えた。
 見渡す限りの銀世界の。
 遙か遠く、果てを見つめた。


 そうして、二人は別々の未来へと歩き出す。
 共に過ごした時間を、想い出という名の過去へと変えて。
 遠い、道のりを歩み始める。

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7.未来へと吹きゆく風に ―6― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

「伝言を預かっている」
 あまりにも痛々しい彼女の様子に、リイルアードは本来伝えるつもりのなかった言葉を口にしてしまう。
「愛していると。ラティアだけを愛していると、そう言っていた。例え全てが偽りだったとしても、それだけは真実だ……と」
 ラティアの涙腺が再び緩み、止まっていた涙が溢れ出した。無意識に、彼女は己の右頬を指でなぞる。
 快いまどろみの中、リギアに口づけられたような気がしていた。そのぬくもりが、その感触が、未だ残っているような気すらするのに。彼の人がもうこの世界の何処にも存在しないなど、とても信じられない。
「私がこの手で殺めた。恨むならば私を恨め」
 どこか切なさを感じるリイルアードの低い声に、ぼんやりと虚空を見つめていたラティアは慌てた様子で首を横に振った。
「暗殺者は、法により裁かれるべき者です。いかなる場合においても極刑は免れません。……殿下を恨むことなどできるわけもありません」
 頼りない声で呟いてから、ラティアは嗚咽する声が漏れぬように唇を引き結んだ。
「私がいけないんです。一番悪いのは私なんだもの。誰も恨めない」
 その唇の横を、大粒の涙の雫が伝わっていく。
「どちらも選べなかった私の……私に与えられた罰です」
 搾り出すような声で言いながら無理に繕った笑顔は案外と力強く、リイルアードはほっと息をついた。
「私は、リギアを愛していた。けれど、彼が内包するリドルの部分を愛することは出来なかったの。同じようにリドルを憎んでいたけれど、リドルが内包しているリギアを憎むことは出来なかった。そのくせ、両親への罪悪感に囚われて、彼に刃を向けて……彼を追い詰めた。彼の心がどんなに脆いものか、私は知っていたのに」
「ラティア」
「私はリギアが好きよ。それは永遠に変わらないわ。そして、誰よりも彼が憎いの。私が想うのは彼一人。今も、これからも、彼だけをこの心に抱いていく。この世界で、たった一人を憎んで……愛するの」
 微笑を浮かべ静かに涙を流しながら、彼女はきっぱりとそう言いきる。彼女がリイルアードに向けた瞳は、その場に立つ彼を通り過ぎてどこか遠くを眺めているようだった。
「だから婚約は解消してしまって。私はあなたの妻に相応しくないわ」
 その瞳の奥には、強い決意が見て取れる。
「生きてくれと、言っていた」
 やりきれない思いで、彼は呟いた。口にすまいと思っていた言葉が、思わず唇から零れ落ちる。
「私も心からそう願っている。君が私をどう思おうと、私は君が好きだ。手放すつもりはない。例え君が、生涯私を愛してくれなくとも、見つめられることがないとしても。私は、君を愛している。傍にいたい。どれほど理不尽だと誹られても、歪んでいると罵られても。決して、君を離さない。君に憎まれても構わないんだ」
「リール……」
 深く息をついて、ラティアは哀しげに微笑した。
「私はあなたのこと嫌いじゃなかった。好きだったわ。もしかしたら、愛せたのかもしれない。けれど、もう駄目なのよ」
 理不尽な言葉を口にしていると自覚しながら、ラティアは言葉を止めることが出来ない。
「あなたはリギアを殺したのでしょう? 永遠に、私から奪ってしまったの。私は、あなたを恨みはしない。選べなかった私には、あなたを憎む資格すらない。けれど、愛せない。私は、決してあなたを愛せない!」
 感情を叩きつけるように叫んで、彼女は表情を歪ませた。
「それでも、良いのだ」
 自嘲的な笑みを浮かべたリイルアードは、振り払おうとする彼女の手を押さえつけてラティアを抱きすくめる。突き放そうとする少女の肩を強く掴み、互いの呼吸が感じ取れるほど顔を近づた。彼女の唇に己の唇を寄せ、ほんの一瞬だけそれを重ねる。
「君がどのような感情を私に向けていようと構わない。ただ、生きて傍らにいてくれさえすれば、それで……」
 言葉とは裏腹に、ひどく切なく苦しげな声だった。
 その声を聞き、やっとラティアは気付く。あの好青年風の仮面と彼の本質にそれほどの違いはないのだということを。
「これだけはわかってくれ、ラティア」
 彼女の額を己の胸に押し付けるようにして抱き寄せ、リイルアードは小さく囁いた。
「リギアは、立っていることさえ奇跡のような深い傷を負い、それでもなお君を救いたいという一心で雪原を進んでいた。彼の強い願いを無駄にしないでくれ。生きていくことだけは誓って欲しい」
 痛いほどに彼の心が伝わってきて、ラティアはきつく唇を噛みしめる。
 そして、しばらくの沈黙の後。
「リギアにかけて誓うわ。決して自らの命を絶ったりはしない」
 はっきりとした声で、そう誓いをたてた。
 その哀しい声を聞きながら安堵のため息をつき、リイルアードは彼女を抱く腕の力を強める。今度はそれに抗うことをせず、ラティアは彼の腕の中で静かに涙を流していた。

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7.未来へと吹きゆく風に ―5― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 しばらくの後、髪や肌にこびりついた血を流し手渡された衣装をまとったラティアは、隣の部屋の前に立った。
 彼が選んだのだろうか、衣服は淡い草色でラティアの白い肌に良く映える。冬物であるためか配慮なのか、それは露出の少ない衣装だった。
「リール、少し落ち着いたわ。あなたの話を聞かせて欲しいの」
 言葉と共に扉を軽く叩くと、中から入るように促す声が返ってくる。
「入るからね」
 一応そう断ってから、ラティアは扉を開けて室内に身体を滑り込ませた。それと同時に己の眼を疑う。
 リールの服装に、妙な違和感を覚えたのだ。彼が纏っているのは、いつもの少し高価そうな生地の上下服ではない。濃紺色で染め上げた無地の丈が長い上着には、金銀の糸で縫いとりがなされており、その下にあわせて穿いているのは淡い紺色の下穿きで、質素なものであったがやはり銀糸での縫いとりがあった。更にその上から薄紫色の肩布を流し、額には金のサークレットを戴いている。
「リール……?」
 立ち上がってラティアを出迎えた彼は、淡く笑って戸惑う彼女を長椅子に座らせた。寝台の上に無造作においてある彼の剣を眺めながら、彼女はそれに従う。
 その向かいの椅子に腰掛けて、リイルアードは背筋を伸ばし話を切り出した。
「順を追って話していく。君はしっかりと私の話を受け止めて欲しい」
 ゆったりと身を包むような椅子に張られた布地を無意識に手のひらで撫でながら、ラティアは力なく頷いた。それを確認してから、彼が再び口を開く。
「昨晩、リギアから私に、一通の手紙が送られて来た。そこには彼の生まれのことや、君とのこと、君が暗殺者に狙われていることなどが書いてあった。そして、ラティアがいつか必ず自分に刃を向けてくるだろうとも。その時は抵抗せずに殺される。そして、ラティアを私のもとへ転移させるから、それまでは何も言わず見守って欲しいと」
 ラティアは軽く首を横に振り、大きくひとつ溜め息をついた。では、やはり殺してしまったというのだろうか。
 彼の人をこの手で。
 もはや、この世界のどこを探してもあの人はいないのだろうか。笑うことも、悲しむことも、怒ることもないのだろうか。どうしようもない絶望感に胸が詰まる思いだった。
 そんなラティアの様子を見て、リイルアードがきつく唇を噛みしめる。
「何故だろうな。とても嫌な予感がして、私はイルクを飛び出した。そして、その廃屋へ向かう途中で意識のない君を抱えたリギアに会った。君には傷ひとつなかったが、彼はひどい傷を負っていた。放っておいたら、死んでしまいそうだったな」
「どういうこと、なの?」
 虚ろな瞳で、彼女は小さく呟く。どうやら、自分はリギアを殺してはいないようなのだ。しかし、ならば何故リギアはここにはいないのだろうか?
「リギアは何者かによって意識を奪われた君を庇って守り抜いて、その死に至るような傷で雪原を歩いていたのだよ」
 ラティアの疑問に満ちた視線を避けるように、リイルアードは眼を伏せた。月明りの下、彼の青ざめた頬は作り物めいていて歪んだ美しさを誇っていた……そんなことを思い起こしながら。
「雪のやんだ雪原を、彷徨い歩いている彼を見出し、私は君を引き取った」
「引き、とった? あなたに、何の権利が……」
 我知らず責めるような口調になり、そう言い募ろうとしたラティアだったが、リイルアードの鋭い瞳に威圧されるように口を噤んだ。彼の濃青の瞳が、有無を言わさぬ光を放っている。
「私には、そうする当然の権利があったのだよ。今回の旅だってね、君を王都に連れて帰ることが目的だったのだから」
 薄く、笑みを浮かべる彼に対して、不意にラティアは恐怖にも似た感情を抱いた。彼の瞳の奥に、昏い炎がくすぶっているような気すらしたのだ。
「あなたは、誰、なの?」
 掠れた声でやっと問われ、リイルアードは微苦笑した。
「私の名はリイルアード。リイルアード=アーグ=ラルゼ=イセナーダ。……ラティア=ルナ=エヴァランス、君の正式な婚約者だ」
 淀みなく言い放たれたラティアは、さっと表情を強張らせる。
「でん、か? リイルアード様なの?」
「リールで構わない。そういう風に構えられたくなくて、これまで身分を隠してきたのだからな」
 小さく言ってから、リイルアードはゆっくりと立ち上がった。そして、俯いて肩を強張らせたまま長椅子に座っている少女に歩み寄る。
「リールも嘘だったの? 優しそうな顔も、言葉も?」
 絶望感の滲み出るような声で囁くラティアに、彼は困惑したような目線を向けた。
「そうとも言えるが……違うとも言える。表現は異なるにしても、私が君に抱く思いは変わらないのだから」
 軽く頬に触れると、少女はびくりと全身を硬直させる。嘆息してリイルアードは手を引いた。彼女を怯えさせるつもりはない。
「厳しいことを言うようだが。ラティア、もしも君が婚礼を前に逃亡などしたら公爵家はおろかエヴァランスの血に連なる者達全てに制裁が下る。君自身は一生の間、反逆者として追われ一つ所に定住することも出来ないだろう。エヴァランス公爵家は爵位を返上しなければならぬし、それによって、王国内では必ず争乱が起こる。私は、この国の王子としてそれを見過ごすわけにはいかないのだ。無論、君もそうだ。貴族として生を受けたからには、それなりの責任を果たさねばならない。……君には、事の重大さがわかっていなかったようだが?」
 浴びせられるきつい口調に、ラティアは膝の上で固く両手を握り締める。
「君が何の考えもなく起こした行動によって、この国は大きく乱れるところだったのだよ。けれども、私は君を欲していた。だから、内密に君を王都に連れ帰りたかった」
 奥歯が鳴る程に歯をくいしばり、彼女はきつく眼を閉じた。
「私が、浅はかでした。ごめんなさい。何も、考えていなかったの。そんな事、考えたこともなかったの。ただ、好きだと思った人の傍に。共に歩みたいと思ったリギアの傍にいたかった! 願うことはそれだけだった。それだけで、幸せだと思った。一族や王国のことなんて、考えても、みなかった……」
 一気に言葉を吐き出した後、消え入りそうな声で彼女が「お赦し下さい、『殿下』」と呟く。リイルアードは軽く眼を眇め、嘆息と共に小さく首を振った。
「リールで良いと言っている。そう畏まられてしまっては、私の長年の努力が無駄になってしまうだろう」
 遠い眼差しのリイルアードは、口許だけに微笑を浮かべる。彼は初めて彼女の療養先であるリンヒルを訪れたかつての光景を、今でも鮮明に思い出すことが出来た。
「君の心にリギアがいるのは、ずっと昔から知っていた。辛くなかったと言えば嘘になる。それでも私は……」
 そこまでを吐露して、リイルアードは曖昧な笑みを浮かべその先に続く言葉を飲み込んでしまう。「君が好きなんだ」というその一言だけが、口に出せなかった。何故か、ひどく卑怯なことに思えてならなかったのだ。
「ラティア。これを渡しておく」
 想いを断ち切るように口元を引き締めると、リイルアードは懐から小さな皮袋を取り出した。何気なくそれを受け取ったラティアは、袋の中をのぞいた瞬間に目を見開いて身体を凍りつかせる。
「こ、れは」
 一房の金色の髪。それの意味するところをぼんやりと悟る。澄んだ緑の瞳が激しく揺れ動き、皮袋を持つ手が自分では抑えられぬ程に震えた。
 そんな彼女の様子を見て、リイルアードの胸が軽く痛む。けれども彼は、あくまで平静を装い冷たい濃青の瞳をラティアに向けた。
「リギア――リドルの遺髪だ」
「あぁ……」
 聞かされるまでもなく理解していた事柄も、こうして言葉にされたことで現実味が増す。ラティアは嘆息のように息を吐き出すと、皮袋を握りしめて両手で顔を覆った。

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7.未来へと吹きゆく風に ―4― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

「ここは……」
 静かに眼を開き瞬きを繰り返した後、少女はひどく戸惑ったようにそう声を上げた。
「ど、こ?」
 ぼんやりとしたまま、辺りを見回す。
 上質な絹に包まれた寝台の上にいるのだと理解するまでに多少の時間が必要だった。室内は暖色系の色味で整えられ、装飾品はあまりないが高価そうなものばかりだ。
 ここしばらくこのような部屋には縁がなかったため、彼女は強烈な違和感を覚える。怪訝に思いながら、彼女は寝返りを打って身を起こした。
「リギア、どこ?」
 そう呼びかけてから、はっと我に返る。
 自分ではどうしようもない程の憎しみと、それを押さえ込もうとする彼に対する愛情。その二つと罪悪感に捕われ、苦しくて。そこから逃げ出すために、目覚めたときに自分の脇に置いてあった短剣を、リギアに向けたのだ。
 今思うと、何故そんな行動に出てしまったのかすらわからない。けれどもあの時、他に道はないと思った痛い程の憎しみは、確かに自分のものなのだ。
 対峙したリギアは、悲しげに笑っていた。その笑みはとても穏やかなものだった。「生きてくれ」と囁かれた気がしていたけれども、それを受け入れるつもりはなかった。
(一緒に逝くよ。私もすぐ、リギアの傍に逝くから。だから、選べない私を許して)
 心の中ではずっとそう唱えていた。
 しかし、その後のことが思い出せない。
 リギアが自分を迎え入れるように、大きく腕を広げて淡く微笑んでいた。そこで、記憶の糸が途切れている。
「ここ、どこかな」
 部屋の中は充分に暖かい。けれども何故か肌寒いような気持ちで、ラティアは無意識に己の肩をかき抱いた。
 覚えのない場所に不安を抱き大きく息を吸い込もうとした瞬間、悲鳴が唇をついて出る。既に乾いて黒ずんだ茶に変色していたが、己の着衣が血にまみれていることに気付いたのだ。
「なに? どうして?」
 旅服の上着をめくりあげ、自らの肌を調べるが傷らしき痕も痛みもない。
「何なの、これ!」
 この血が己のものでないとしたならば、考えられる事は唯一つだ。
「リギア……」
 きつく噛みしめた唇のすぐ脇を、大粒の涙が零れ落ちていった。
 殺して、しまったのだろうか。
 自分は、殺してしまったのだろうか。彼を。
 その思いに、打ちのめされる。殺そうとしていたその相手だというのに、ひどく悲しく心が重かった。
(私は、とても身勝手だわ。身勝手だ)
 リギアに刃を向けた時点で、自分には悲しむ資格などないのだ。けれども、悲しいと思う心をとめることは出来なかった。
 止め処なくあふれる涙を拭うこともなく、ラティアは両手で顔を覆う。何故ここにいるのだろう、と言う疑問は既に消失していた。
 しばらくそのまま涙を流していると、扉の外に重い靴音が響いてくる。足音は扉の前で止まり、彼女はぎくりと身を強張らせ、息を押し殺しながら恐々顔を上げた。
 合図もなく扉が開かれて、長身の人影が入って来る。
「だ、れ?」
 誰何する声は、自分でも驚くほどに細く上ずっていた。
「ああ。気が付いたのか。安心した」
 聞き覚えのある、けれどもどこか違和感のある声が返ってくる。
「身体の具合はどうだ? どこも痛まないか?」
 冷たく突き放すような口調の中に、気遣うような優しい調子が混じっていた。ラティアは涙の残る瞳で、ぼんやりとその人を見つめる。
「リール?」
 近づいてきた長身の男を見て、そう言葉がもれた。けれども、何かが違う。リールはいつも優しく微笑んでいる人だった。このように冷たい表情の人ではなかったはずだ。
 濃青の深い色の瞳と、銀とも見まごう色素の薄い金の髪。それに縁取られた、女性めいた美しい容貌。そのどれもが彼を冷たく見せるものだったが、彼はただ優しく笑っていたのだ。それだけで、彼の印象は優しいものになっていた。
 しかし、今の彼の瞳は冷たく、まるで他の全てを拒んでいるようにも見える。
「リール、だよね?」
 戸惑う彼女の問いかけに、彼は曖昧な笑みだけを返した。
「気がついたなら、服を着替えるといい。君は女性だからね、勝手に着替えさせては失礼だと思ってそのままにしていた。ああ、身体が何ともないのならば、湯浴みをするといい。肌についた血を流せば少しはすっきりする」
 淀みなく言いながら、彼は手に持っていた丸めた布をラティアに手渡す。
 彼女は、いつもとは口調すら異なる彼に戸惑いを深くしながらもそれを受け取った。手にとって見てみると、それは女物の服だ。それも旅服ではなく、町娘達が着る類の服でもない。飾り気はなく、地味な色味のものではあったが、高価な生地を使った衣服だった。
「リール、私どこにいたの? リールは何か知っているの? 知っているなら、お願……っ」
 一気にまくし立てるラティアの唇に己の指を押し当てて、リイルアードは辛そうに眉を寄せた。
「駄目だ。先に湯浴みをして、汚れを落としてきなさい。そうすれば、心も少しは落ち着くだろう。今の君に何を話しても……とうてい受け止められるとは思えない」
 尊大な口調ではあるものの、気遣われている気がしてラティアは眼を細める。それは、快い空気だった。
「リール」
「必ず、話す。だから、少し落ち着いて欲しい」
 彼女の頬に残る涙の痕を拭ってやりながら、そう呟く。
 ラティアは諦めたように小さく頷いた。湯浴みをするような気分ではないが、彼は首を縦に振ってくれそうにない。
「私は彼を、殺したのかな」
 無感動に投げ出された言葉を聞き流し、リイルアードは淡く微笑んだ。
「では、私は隣の部屋に戻っている。湯浴みがすんで落ち着いたなら来ると良い。ああ、浴室はその奥だ」
 部屋の奥にある扉を示したあと、彼はきびすを返す。それを呼び止め、ラティアはぐるりと辺りを見回した。
「ひとつだけ教えて。ここはどこなの?」
「ルウィン。イルクから少し南に下った町だ。その、宿屋だよ」
「そう……」
「では、な」
 それ以上の問いを許さず、ラティアに背を向けて彼は部屋を出て行ってしまう。残されたラティアは、空気すら重たく感じながらもゆっくりと寝台を降りた。
「リギア。あなたを殺してしまったのかな」
 吐き出された声だけが、虚ろに響いて消えていく。

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7.未来へと吹きゆく風に ―3― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 微動だにせず眼を閉じているリギアの覚悟を決めた表情を見て、彼は眉間に深く溝を作る。剣を振り上げてなお、目の前にいる男の表情が崩れることはなかった。
 鋭く尖らせていた濃青の瞳を和らげ、リイルアードは微笑する。そして、剣を振り下ろしながら横に薙いだ。
 しばらくの沈黙の後、予想していた痛みも何も襲ってこないことを訝しんでリギアがゆっくりと眼を開く。その表情はひどく戸惑っているようで、思わずリイルアードは相好を崩した。
「斬ら、ないのか?」
 頬を緩めながら剣を鞘に収めている王子に、思わず彼は尋ねてしまう。
「生きていけ。それが、おまえの償いだ。ギルドを抜けるというなら、この国を出て生きていけ。そして一生、己の生み出す影に苦しめばいい。それが、おまえに出来る唯一の償いだろう。その身を挺してラティアを守ったおまえになら、出来ぬことではあるまい? リドルを討ったと公表する。だから、暗殺者ギルドについては案ずることはない」
 毅然と言い放つリイルアードの前で、リギアは俯いて唇を噛んだ。
 ここで命を断たれたほうが、楽なのかもしれないと心のどこかでそう思う。生涯、闇に囚われたまま、日の当たる場所を歩けない。そんな生活になるのだから。
「しかし。ラティアの前にだけは、現れてくれるな。もしも、そのようなことがあった時には、容赦なく斬り捨てさせてもらうぞ」
 ほんの少し表情を険しく変えて、放たれた言葉には素直に頷けた。言われるまでもなく、これより先にラティアの前に姿を現すつもりは彼にはなかった。
「これをおまえの遺髪として、ラティアに渡しておく」
 言いながらリイルアードは、先程、剣を薙いだ折に切り取られた金色の髪を一房束ねて腰に下げている革袋へと押し込んだ。
「やむを得ない場合もあるだろうが、人を殺さずに生きろよ」
「こっちの身が、危うくならない程度にな」
 平時の調子を取り戻したリギアは軽い口調で答えてから、何かを思い出したように眉を寄せる。
「いや。その前に、一人だけは。一人だけ、この手で殺したい男がいる」
 静かに冷ややかな口調で言う彼に、リイルアードは背筋が凍るような思いを抱き思わず眼を見開いた。
「ラティアを殺すように命じた奴だ」
「王国の法で裁く。知っているのであれば、教えて欲しいものだが」
 探るように告げると、リギアは先程までの殺気が幻のように弱々しくうな垂れる。
「それじゃ駄目なんだ。真実を知ればラティアが傷つく」
「傷つく?」
 リイルアードは軽く首を傾けて、与えられている符号を組み立てようとした。しかし、情報が少なすぎて何のことなのか検討もつかない。
「それは、どういうことだ?」
 リギアは当然のように問うてくる彼から視線を反らし、未だ目覚めない少女の顔を覗き込んだ。それから、小声でリイルアードに真実を告げる。
「兄だよ。……シルヴァルト=フィリス=エヴァランス。実の兄が依頼人だ。ラティアだけじゃない、エヴァランス公爵夫妻の暗殺もな」
「そうか。シルヴァルトがな」
 激昂するリギアに対して、リイルアードは何事も聞かなかったかのように落ち着いていた。その様子に気づいたリギアは、思わず眼を眇めて彼を見やる。
「あんた、全然驚かないんだな」
「言ったろう? 我々は、殺人者なのだと。政治的な都合で消えていく存在も多いが、私利私欲のために消される存在も少なくはない。それが肉親とて、例外ではないのだ」
 飄々とした表情で言い放たれ、リギアの眉間に刻まれた皺がよりいっそう深まった。
 彼には肉親という存在が良く理解できない。身近でなかった分、ひどく妬ましく思っていたこともある。それをこんなふうに言い捨てられて、気分が良いはずがない。
「そいつが、ラティアや自分の親を殺して何の得になるっていうんだ」
 怒鳴り散らしたいような心境ではあったが、かろうじてそれを押さえ込み静かにリギアは訊いた。
「シルヴァルトは、かなりの野心家でな。両親の暗殺は、てっとり早く爵位を手に入れるためだろう。彼は自分のおかれていた地位に不満を持っていたようだからな。周囲からの同情もあるだろうから、自分も共に襲われたのだと言えば彼を疑う者は少ない」
 怒りを堪えている様子のリギアを微苦笑を浮かべて見つめ、彼はあくまでも淡々と話を続ける。
「ラティアについては、私にも関りのあることだな。私の妃候補だ。ラティアが第一の候補者で、既に婚礼の日取りも決まってはいる。しかし、彼女は幼い頃に身体が弱かったのでな、万が一の場合にシルヴァルトの妻の妹が第二候補にあがっていた。スペオニール侯爵家。耳にしたことくらいあるだろう? ラティアが大人しく私の妻になれば、彼にとって問題はない。しかし、ラティアは婚礼を目前にして逃走している。このままの状況が続くならば、ラティアを消してしまったほうが良いと思ったのだろう。自分や一族に害をなす前に殺してしまえと言うことだな」
 言葉を聞き進めるうちに、リギアはきつく手を握りしめ身を震わせていた。そんな自分を物珍しげに眺めているリイルアードの冷静さに、胸の奥で何かが弾ける。
「それだけの理由で? ただそれだけで、実の妹を殺そうとするのか?」
 そんなリギアを冷たく一瞥した後、王子は自嘲的な笑みを浮かべた。
「おまえ達と同じだといったろう? 我々とて、罪人の集団なのだよ。それに、庇いたてるわけではないが、ラティアについては納得できないことはない。彼女がこのまま帰らなければ、あの一族はもうお終いだからな」
 リギアは沈黙して、積雪に覆われた地面を睨みつける。嘆息と共にそっと手を伸べて、リイルアードは彼の膝の上の少女を抱き上げた。
「殺すなよ。リギア」
 地に向けられていた虚ろな紫の瞳に見上げられ、彼は己の濃青色の瞳でそれを睨みつける。
「我々のやり方で、決してラティアには知らせずシルヴァルトの身柄を押さえる。二度とラティアには害をなさせない。だから、おまえはもう殺してはならない」
 凛とした言葉にも返事をせず、リギアはただ唇を引き結んだ。その様子に、リイルアードは苛々としながら言葉を続ける。
「リギア。私はおまえのことが憎い。しかしラティアはおまえを愛した。そしておまえはラティアを救った。それだけは、変えられぬ事実なのだ。そのおまえに、これ以上……罪を重ねて欲しくはない」
 そう言うリイルアードの表情は、柔らかいものだった。感情を素直に伝えることの出来ない彼の、精一杯の言葉なのだと理解できる。
 だからこそ、リギアは渋々と頷くことしか出来なかった。決してリギアの身を案じているわけではない。けれども、心からラティアを想っていることは伝わってくる。
 重たい身体を奮い立たせて慎重に立ち上がるリギアに手を差し伸べ、リイルアードは自らが乗ってきた馬をさし示した。
「イルクまで歩いたら傷口が開くだろう。町の近くまで送ってやるから、乗れ」
 命じられるまま、リギアは馬の背に這い上がる。気力も限界に来ているのだろう、既に思考がぼんやりとしていた。身体の感覚が戻ったおかげで、傷の痛みと身を貫くような寒さに息が詰まる。
「あんた、は?」
 疲れきった心にふと沸いた疑問を口にすると、リイルアードは小さく微笑んだ。
「この私に馬を引かせるなど、そう出来るものではないのだぞ?」
 冗談めかして言った後、彼は自分の腕の中で規則正しく呼吸を繰り返す少女の顔を見つめる。そして、彼女が真に望んだものは何であったのかを考えた。
「リギア。おまえは、ラティアを……」
 馬上に顔を向け、言いにくそうに切り出したものの言葉尻が掠れてしまう。そんなリイルアードの質問を悟って、リギアが答えた。
「愛している」
 彼の口調には一分の迷いもなく、その力強さにリイルアードが息を呑む。
「けれど、共には歩めない。俺達は、きっと傷つけ合うことしか出来ないから。傍にいたいと、望むことはできないんだ」
 穏やかに微笑んでいるようにも見えるリギアの表情には、どことなく哀しげな諦めが現れていた。
「遠く、ラティアを想って生きるのも。償いのひとつになるのかな」
 誰にともなく吐き出されたその言葉に、リイルアードは答えない。リギア自身が、答えを望んでいるわけではないことがわかるからだ。
「リギア」
 唇を噛みしめながら、リイルアードはラティアを馬上へと押し上げる。驚いたように眼を見開くリギアに、不機嫌そうな顔で言い訳がましく王子は告げた。
「イルクまで、ラティアを抱いて馬を引いて行くのは、辛いのだ。しっかりと抱いているが良い」
 それが、言葉通りでないことは、容易に察することが出来る。リギアは泣き出したいような気持ちで、受け渡された少女を抱きしめた。
「……ラティア」
 小さく少女の名を囁きながら、リギアは彼女の気性のようにまっすぐな漆黒の髪に触れた。長い髪を一房、指に絡め優しく口付ける。
「永遠なんて、きっとこの世にはないだろう。けれどラティア」
 ちらりと馬上を見やり、嘆息をもらしてからリイルアードが歩き出した。憎んでも足りないこの男だけが、彼が望んでも得られなかったラティアの心を得たのだ。それは誰のせいでもないことは理解していたが、どうしても口惜しさを感じずにはいられない。しかし、この男の存在にラティアが救われていたことも事実だった。
 残り僅か、イルクの町にたどり着くまで。せめて、それだけの間はラティアを恋人の腕の中に。それが、王子の最大の譲歩だった。
(このひと時は、全てを忘れてしまおう)
 自嘲的に唇を歪め、リギアはそっと眼を伏せた。今は唯、この腕の中の暖かなぬくもりだけを感じていたい。今だけは、現実を捨て去ってしまいたい。
 ラティアの青ざめた頬に、それよりも更に血の気のない己の唇を押し当て、リギアは腕の力を強めた。
 それから、黙して馬を引くリイルアードの背に、涙で掠れた声をかける。
「ありがとう」
 リイルアードはぴくりと肩を震わせて、前を向いたまま不機嫌そうに答えた。
「礼を言われるような事をした覚えはない」
 その声は冷たいものだったが、胸には不思議と暖かく響く。
「でも、礼を言いたい気分なんだ」
 泣き笑いのような表情でそう言うと、リイルアードは振り返らないまま大きく肩を竦めて見せた。
「ならば、好きにするが良いさ」
 殊更に冷たく言い放ち、彼は少しだけ歩く速度を遅くする。

 雪を踏みしめて二人を乗せた白毛の馬を引き、彼はゆっくりと歩を進めた。
 いつの間にか夜は白み、まばゆいばかりの朝日の橙が当たり一面を照らしている。
 それは、まるで……冷たい炎のようだった。

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7.未来へと吹きゆく風に ―2― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 何かを聞きとがめたように顔を上げ、リギアは足を止めた。
 音が雪に吸収されてしまうため、ごく微小な音になってしまっているが、それはおそらく馬の蹄がたてるものだ。
(来たのか?)
 鈍くまとまらない頭で、漠然とそう思う。その瞬間、彼はその場にがくりと膝をついた。己の身体が既に限界を超えていることは承知していた。足は動かず、眼もかすんでいてろくに前が見えないのである。
「駄目、だ」
 こちらへ向かってくる蹄の音の主が、己の求める者である可能性ばかりではないのだ。自らを奮い立たせるように呟きながら、リギアは力の入らない腕で精一杯ラティアを抱きしめた。
 荒くなる呼吸を押さえ込むように息を整えて、次第に近づいてくる物音を待ち受ける。雪を掻く様な音と共に、大きな影が彼と少女を覆った。
「来んな……つったのに、信用ねぇなぁ」
 それが何であるのかを確かめようともせずに、リギアは苦く呟く。振り仰ぐと、見事なまでの白い毛並みの馬の上で、月明りを背に受けたその人は凛として背を伸ばしていた。
「リイル、アード」
 銀に近い彼の髪の色が、今はただ、流れるような光の色に見える。
「ひどい有様だな、リギア」
 嘲るような調子でもなく淡々と言って、リイルアードは身軽に馬から飛び降りた。
「信用の問題ではない。見たところ動けない様子だ。……私が来なければ、町まで辿り着けずに果てていたのではないか?」
「返す言葉もねぇ」
 唇を僅かに歪めて自嘲的に笑い、リギアは小さく嘆息する。
「もう駄目かと、諦めかけていたところだよ」
 冗談ともつかないその言葉を聞きながら、リイルアードは無言でリギアが歩いてきた方向に眼を向けた。朱い血痕が、点々と続いている。それも、かなりの量だ。視線を戻して傷口の様子を見ても、彼が今こうして生きていることすら不思議に思えるほどであった。
「魔族として、俺に与えられたものは、この忌々しい瞳の色と強すぎる生命力なんだよ」
 訝るようなリイルアードの視線に気づいたのか、投げやりにリギアが呟く。
「そうか。ラティアはどうした?」
「大丈夫だ。外傷はないし、呼吸も落ち着いている。気を、失っているだけだ」
 リギアの前に身をかがめると、彼は己が羽織っていたマントをはずしてラティアに掛けた。
「無事で良かった」
 そして頬に触れ、その暖かさに安堵する。
 彼はリギアからの手紙を真夜中近くに受け取った。全ての真相を告げ、それでもきっと婚礼の儀までには戻るから、しばらくの間だけ時間が欲しいと書いてあった。更に、ラティアを狙っている者がおり、暗殺者ギルドがその仕事を請けていること。――そこまでを読んで、リイルアードは動いていた。
 ひどく嫌な予感がしたのだ。胸を掴まれるような息苦しさと、どうしようもない漠然とした不安とに囚われた。
 焦燥感に駆られた彼に黙って待つことなど考えられるわけもなく、奪うように馬を借りてイルクの宿屋を飛び出した。
 外は吹雪だ。けれども、朝まで待とうなどという考えは微塵も浮かばなかった。何度も方向を見失いそうになりながら、馬を駆けるうちに雪がやみ、遠く、木々の向こうに人影を見たのである。
「夜盗にでも襲われたらどうするんだよ、王子のくせに」
「結果論で言えば、襲われなかった。それで問題なかろう」
 供のものすら撒いてきたらしい王子に呆れたような口調で言うと、リイルアードは涼しい顔でそう答えた。それから、大きく息を吸い込み濃青の瞳を尖らせる。
「暗殺者はどうした?」
「ラティアを狙ってきた二人目までは、俺が殺した。ここから先は……あんたに任せる」
 己に向けられた鋭い眼差しを平然と受け止めて、リギアは苦く笑った。
 ラティアとは離れなくてはならない。頭ではわかっていることだ。もう、共に歩くことは出来ないと。
 けれども、心がそれについていかないのだ。
「俺は、もう既に暗殺者ギルドを離反した身だ。けれど、それで、俺の罪が拭われるわけじゃ、ない……」
 捕われた暗殺者は、例えその時に何の『仕事』をしていなくとも死罪。王国の法でそう定められている。
「覚悟は出来ている」
 そう呟くリギアの瞳は、不思議と穏やかな色を見せていた。彼の唇にこびりついた血と、傷口から溢れ出して止まらない血とを交互に見つめ、リイルアードはきつく唇を噛み締める。
「それにしても、見苦しいなりだな。今にも息絶えそうで見ていられぬ」
 吐き捨てるような口調で言いながら、彼はリギアの額に手を触れた。その唇からは神聖語の呪文が流れ出し、虚をつかれたようにリギアが目を見開く。
「あんた、神官……だったのか? 気づかなかった」
「いいから、少し、黙っていろ」
 殊更に冷たく言い放ちリギアを黙らせた後、リイルアードは再び呪文を唱えた。リギアの全身が光に包まれ、ゆっくりとではあるが確実に傷が閉じていく。感覚のなさと身体の重さは変わらなかったが、多少は息苦しさがとれた気がしてリギアはため息をついた。
「止血して軽く傷口をふさいだだけだ。動いたり無理をすれば、傷口は簡単に開く」
 礼を言うリギアに対して無愛想に言い捨てながら、リイルアードは沈んだ様子で視線を落とす。
「リギア。私にはおまえを責める資格などないのだ。おまえ達は、依頼を受けて非合法に殺人を犯す。しかし、我々は合法的に殺人を犯すのだよ。政治的な都合で、時には何の罪もない者までを。……おまえ達と我々の行為自体に差異はない」
 低く抑えられた声で告げられた言葉だったが、リギアはその中に彼の激しい憤りを感じ取っていた。
「亡霊に。決して見えるはずもない存在に囚われそうになる時もある。それは私の罪悪感からくるものだ。逃れることの出来ぬ代物なのだ」
 幾分か自嘲的に笑うその様子を見て、リギアの表情が綻んでいく。立場こそ違えど、この王子は同じ罪と痛みを背負って生きているのだと思い知ったのだ。
「けれど、法は法だろう? あんたは王族で、俺は暗殺者だ」
 言い終えてから、まるで死にたがっているような台詞だと思い至りリギアは微苦笑した。それに頷きながら、リイルアードもつられた様に笑みを見せる。
 彼の手がその腰に帯びた剣の柄に掛かっているのを見て取り、リギアは僅かに眼を細めた。それから、ラティアの髪を優しく撫ぜ、大きく息を吸い込む。
(ラティア。おまえに出会えてよかった。おまえにとって、俺は災難そのものかもしれないけれど。おまえに会えたから、俺は人として死ぬことが出来る)
 小さいながらも耳障りな金属音が響き、顔を上げるまでもなく王子の剣が抜き放たれたことがわかった。
 吸い込んだ息を吐き出しながら、ラティアの顔を脳裏に灼き付けるようにリギアはゆっくりと眼を閉じる。

 鋭く、風を斬る音がした。

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7.未来へと吹きゆく風に ―1― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 月光に祝福され美しく銀に彩られた世界の中を、男が一人、歩いていた。
 なめらかな純白を自らが流す赤い血で穢しながら、ゆっくりと両足を引きずるようにして歩いている。
 彼は、本来ならば動けるはずもない深手の傷を負っていた。背から腹の方へ、左胸を刺し貫かれているのだ。
 血液は留まることを知らぬかのように溢れ出し、銀世界の寒さは容赦なく彼の体力を奪っている。
 既に、感覚と言えるものは彼に残されていなかった。
 それでも、彼は歩き続ける。ただひとり。守りたいと願った少女を、安全な場所へ送り届けるためだけに。
 血にまみれた彼の腕に抱かれた少女は、瞳を閉じて静かに息をしている。それとは対照的な荒い呼吸を繰り返しながら、男は黙々と足を進めた。
 夜鳥の啼く声すらない、吸い込まれそうな静けさが辺りに重く覆いかぶさる。
 彼は、世界から無常にも切り捨てられ、たった一人で孤立してしまったかのような孤独感を感じていた。痛みも寒さも、もうまったく感じなかったが、何故かそれだけは感じていた。
 簡単な止血を施し、魔術で傷口を閉じはしたものの、動けば動くほどに血はあふれて止まらない。更に、魔術を行うために力を込めると、傷口が広がるという悪循環のために、魔術はもう使えなくなっていた。
 けれども、イルクの町にたどり着くまで倒れてしまうわけにはいかないのだ。その一念だけで、彼は歩を進めている。
 既にあがらなくなっている足を、雪の中に沈め重く引きずりながら。気力だけで。
「……くぅっ……」
 しかし、身体が思うように動かなくなるのに、それほどの時間はかからなかった。
 唇は青ざめ、頬は土気色。全身の血が刻々と失われていく脱力感に支配される。気力だけでは、どうしようもない状況もあるのだ。
 彼は雪の深みに足をとられ、もつれるようにして雪上に倒れ込んだ。
「こんな、ところで……」
 右腕でしっかりと少女を抱いたまま、左腕を突っ張り顔を上げる。苦しげに眉を寄せ強張っていた彼の表情が、不意に穏やかなものへと変化した。
「きれ……い、だな」
 血がこびりつき汚れた頬を、涙が一筋流れていく。
 大地を隠す雪と、凍てついた木々。どれもが皆、美しいのだ。永遠に続くかのような雪原と深い森。冷たいはずのその風景が、何故かとても暖かいものに思える。
「俺は……こんな、世界、見てなかった」
 いつだって曇った眼で、淀んだ世界だけを見つめていた。
「吟遊詩人、失格……か?」
 唇に微苦笑を乗せ、彼は意識のない少女に問いかける。
 嘲笑う彼の背には、朱く染まった白い布包みが背負われていた。それは白銀製の竪琴だ。彼が両親から譲り受けたもの。暗殺者ではなく生きていた時間の、唯一の証だった。
 置き去りにしようと一旦は思ったものの、やはり捨て去ることは出来なかった。
「光の中で、ただ、笑っていてほしかったんだ。幸せにしたかった。でも、生きていてくれれば、いい。全て、俺が背負うから。ただ、忘れずにいてくれればいい……」
 彼は声にならぬ声でそう囁きながら、心からの笑みを浮かべ大きく息を吸い込んだ。
 凍てつく空気を、冷たいと感じることすら出来ないのに。何故だろうか、その腕の中の愛しい少女だけは暖かい。そのぬくもりだけは、感じることが出来る。
(このまま、ここで果ててしまおうか)
 そんな思いが心に忍び込んだ。それは、ひどく甘美な誘惑だった。この場に立ち止まるだけで、それは簡単に叶えられるからだ。
(なぁ、ラティア。どう、思う?)
 しばらくの間、少女を見つめ。力を振り絞るように、彼はしっかりと立ち上がった。
 そして再び、雪の中を歩き出す。少女を抱えたまま、思うように動かぬ足を引きずりながら前進する。
(例え、後で恨まれても。後悔しても)
 それでも、と彼は思う。
 生きていて欲しい。ラティアを死なせたくはない。
 その想いが。ただ、それだけが、今の彼を動かしていた。

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6.傷ついた翼 ―8― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

「油断したな、リドル。刺客が一人とでも思ったのか? おまえらしくもない。まぁ、それでも即死の急所を免れたのは、流石と言うべきなのだろうが」
 揶揄するような男の声が、倒れ伏すリギアに浴びせられる。震える腕に必死で力を込め顔を上げた先には、全身を黒いローブで包んだ初老の男が立っていた。
「ふ……くぅっ」
 リギアの背から短剣を抜き、男は容赦なく彼を蹴り飛ばす。
「ラ、ティア」
 先程、自分が息の根を止めた金髪の男の上に、折り重なるようにして倒れ込み、リギアは震える腕を未だ意識の戻らない少女へと伸ばした。
 それをちらりとみやり、初老の男は呆れた様子で小さく首を振る。
「生まれながらにして暗殺者たる資質を持っているというのに、惜しいことだな。たかが、女一人のために。……あの日、殺されるはずだったおまえを拾ってやった恩を忘れたか」
 クズめ、と、男は吐き捨てた。
 溢れる己の血を見つめながら、リギアはもう既に感覚のなくなってきた指先で雪を掴む。
「あの時、あんたに拾われなかったら。あの時、運命のまま殺されていたら。お……れはっ、こんなことには、ならな……。出会わずにっ、すんだ……」
 大きく咳き込むと同時に血の塊を吐き出して、彼はそれでも男を睨みつけた。紫の瞳が鋭く光り、男の黒眼がわずかに揺れる。
「出会わなくて、すんだ」
 かろうじて身体を支えていた腕の力が抜け、地に伏してリギアは動かなくなった。
「卑しい魔族め。育ててやった恩も忘れて、良く吠える」
 せせら笑って、男は短い短髪を右手でかき上げる。そして、リギアに背を向けた。その目線の先には、気を失ったままのラティアがいる。
「お嬢さんに、個人的な恨みなんかはないんだがな」
 そう言いながら構える短剣からは、リギアの血が滴り落ちていた。
 彼の着衣は黒で返り血の色は目立たない。しかし、その短剣から流れる血の朱と、燃え上がる炎の緋が混じり合い、その場はひどく幻想的な印象を作り出していた。
「あいにくと、こっちも仕事でな。まぁ、惚れた男と共に逝けるんだ。ありがたく思えよ」
 にやりと笑う男の表情は、悪魔のようなと言うに相応しいものだ。悪びれるところはなく、それでいて彼の表情は禍々しいのだ。
「簡単な仕事だったな」
 誰にともなく呟いて、眼を閉じたままのラティアの首筋に短剣をあてがおうとした。
 その瞬間。男の周囲の土がぐにゃりと変形して、彼に襲い掛かってきた。
 不意をつかれ、うろたえる男の手首を蔓のように変形した土が捕らえ、締めあげる。
「な……ん、だと?」
 狼狽し、男は掠れた声をあげた。土で出来た蔓の力は凄まじく、骨の折れる嫌な音と共に、彼の手首を本来ならばありえない方向へ曲げてしまう。
「俺が、守るんだ。なんとして、でも」
 まさか、と向けた男の黒眼に、ゆらりと立ち上がって足を引きずりながらこちらへ向かってくる青年が映された。
「生きて、いたのか?」
 信じられない、と小さく呟いて、彼は驚愕に眼を見開く。するとリギアは、自嘲的に笑って自分の瞳を指し示した。
「思ったことはなかったか? 魔族にしては俺の魔力が弱いって。俺が魔族として天から与えられた力は、こんな中途半端な魔力じゃねぇよ。見ての通りのしぶとい生命力だ……」
 血のこびりついた唇で、リギアは「今回はかなりきつかったけどな」といびつに笑う。それを物語るかのように、彼の足元はふらついていた。その様子に、初めこそ動揺していた男も、我に返ったのか余裕の笑みを浮かべて見せる。
「はっ、死に損ないなど眼中にないわ」
「それは、あんたの命を掛けて確かめればいいさ」
 ぐっと唇を噛みしめて力を込め、リギアは素早く印を結んだ。その反動だろうか、左胸の傷口からは新たな血が流れ出している。苦痛に顔を歪めながらも、彼は印を結びきり呪文の完成と共に魔術を解き放った。
 利き腕である右の手首を折られているため、左で短剣を構えている男の周囲を取り巻いている蔓のような土塊が魔術に従い変化する。
 それは、鋭い槍のような形をとり、初老の暗殺者を襲った。
 リギアは白い雪に点々と赤い染みをつけながら、ゆっくりと慎重に彼の方へ歩を進める。その右手には、いつの間にか鋭く研がれた切っ先の小剣が握られていた。
 体中に深手の傷を負いながらも、男は構えを解く様子を見せない。ふと、リギアの口許に微笑みが浮かんだ。
「スフィア」
 生まれ持った名すら知ることのない、育て親の通り名を囁く。
「さっきはあんなふうに言ったが、撤回する。殺されるはずの俺を拾い、育ててくれたことについては礼を言うよ。……これで、あんたと会うのも、最後、だからな!」
 胸を貫通するほどの深い傷を負っているとは思えない素早さで、彼は動いた。本能的な恐怖に表情を強張らせながら、それを受け止めようと男が得物を動かすよりもずっと速く。リギアの小剣が男の左胸を貫く。
 それは、正確に心臓を狙った一撃だった。
「くっ……」
 育ての親の微かな呻き声を聞きながら、彼は小剣を引き抜き更に男の首筋を切り裂く。おびただしい量の血が、辺り一面に飛び散った。
 声もなく崩れ落ちる男を、一瞬だけ哀しい瞳で見つめてから、リギアは足を引きずるようにしてラティアの脇にかがみ込む。
「ラティア」
 薄っすらと雪の積もり始めている己のマントごと彼女を抱き起こすと、彼は泣き出したいような笑い出したいような曖昧な表情になった。
「おまえだけ……。この世界で、おまえだけは、俺が守るよ……」
 そして、未だ目覚めない彼女を折れてしまいそうなほどきつく抱きしめる。
「ラティア……ッ!」

 吹雪の深まる中、リギアはその場から動かなかった。
 愛しい少女を抱きしめて、このまま、永遠に眠ってしまいたい。――そんな誘惑が脳裏をよぎる。

 やがて、轟音と共に、廃屋からあがる炎の勢いが膨れ上がった。その次の瞬間には、炎の排出する灰色の煙と雪けむりとを巻き上げながら、木製の廃屋が跡形もなく崩れ落ちる。
 その光景を前に、何故か、リギアの頬を熱い雫が伝わっていった。
 大地を覆う純白の雪が、月を映して銀に。火を反射して朱に煌く。
 その、美しくも恐ろしい光景を。
 彼は、冷たく澄んだ紫の瞳で、ただ無感動に見つめつづけていた。

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6.傷ついた翼 ―7― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 襲いくる炎をものともせず、リギアは無我夢中で足を踏み出した。
 倒れている少女にそっと手を触れて抱き起こすと、彼女の胸元が静かに上下しているのがわかる。気を失っているだけなのだと気づき、安堵の息をついて立ち上がろうとした瞬間、彼の背後から冷たい声が響いた。
「リドル……」
 その凍てつくばかりの声には聞き覚えがある。反射的に、リギアは先程自らに掛けた死と同時に発動する魔術を解除した。
 ラティアを左腕に抱えたまま床を蹴り、高く跳ぶ。
「ラティアに何をした!」
 怒声をあげながら窓際に寄り、リギアは声の主を睨みつけた。射るような彼の視線の先には、一見は無防備そうに見える男が佇んでいる。
 手入れの悪い金の短髪にはっきりとした青い瞳を持つその男は、年の頃は三十半ばに見えるがそれ以外にはこれといった特徴のない男だった。暗殺者ギルドの者で、リギアは数回だけ言葉を交わしたことがある。
「リドル。怒るのは、見当違いではないか?」
 ゆっくりと間合いを詰められて、リギアは窓から外へ転がるように飛び出した。無駄のない動きで、男がそれを追い詰める。
(すぐ、終わらせるから)
 心の中でそうラティアに告げると、リギアは彼女を雪の上に横たえた。まるで吹雪のように強い風を伴って降る雪が彼女に降り積もらないように、己のマントをはずしてかけてやる。
 その傍らに背負っていた竪琴を置いて、顔を上げた彼は雪のために鈍る視界へ神経を集中させた。
「ギルドの命だ。リドル、おまえの腕は殺すには惜しい。今、戻るのならばまだ離反したことは許そう。そこの少女をおまえの手で殺せ。そうすれば、我々はおまえを再び迎え入れる」
 その言葉に失笑のみを返し、彼は両手で複雑な印を結んだ。
【我、大気の中に潜みし闇の精霊へ告ぐ。その黒き刃もて、この者を切り裂かんっ】
 魔術を受け、苦痛に耐える男の低い呻き声を聞きながら、リギアは陰湿な笑みを浮かべる。
「誰が何と言おうが、俺はもうギルドへは戻るつもりはない」
 素早い動作で、腰に吊るした小さな袋からナイフを取り出し、リギアは倒れている男の胸ぐらを掴み自分の方へ引き寄せた。そして、酷薄な笑みを浮かべ男の胸にナイフを突き立てる。敢えて急所をはずしたその一撃に、男の唇から低く呻き声が漏れた。
「この苦痛を永遠に味わうか。今すぐに楽になりたいか。どっちか選ばせてやる。楽になりたいのなら、依頼人の……ラティアを殺せと依頼した奴の名を言え! ああ、舌かんだって無駄だからな? 俺が『儀式』でおまえを救ってやる。そして、おまえの心を残したまま永遠の苦しみを与えてやる」
 飛び散る鮮血を浴び、リギアが口にした言葉はあからさまな脅しだった。魔族は互いの血を飲み交わすことで、相手の命を代償に力を与えることが出来るのだ。相手の望む望まざるに関わらず、『儀式』を交わした相手を支配下に置くことも可能だった。
「頼む、殺してくれ」
 激昂したリギアの瞳が、偽りの色から澄んだ紫へと色を変える。ひどく恐ろしいものを見る目つきで、それを見た男が呟いた。
 魔族への嫌悪が、その表情にありありと浮かんでいる。永遠の苦痛と、魔族の支配下になる屈辱に耐えられないと。怯えたような青い瞳が、雄弁に物語る。リギアはその様子を優しさの欠片もない瞳で、冷ややかに見つめていた。
「ならば言え。依頼人の名を」
 凍てついた冷たい紫の瞳が、あたり一面の銀世界を映して底光りする。男は恐怖と苦痛に喘ぎながら、彼の耳元にその名を告げた。
「なんだって?」
 呆然と呟き、唇を噛みしめたあとで、リギアは男の胸からナイフを引き抜く。そして、約束どおりに男の首筋を迷うことなく切り裂いた。
「まさか……」
 聞かされた名がにわかには信じられず、息の根を止めた男の返り血を浴びながら二、三度小さく首を振る。けれども、そう考えれば納得のいくこともあるのだ。ただ、その理由だけがわからない。
 何故、依頼人がラティアを狙うのか。そんなことをして、何の得があるというのか。男の鮮血で染まった雪が、新たに降り積もる純白のそれに覆われて行く様を見つめながら、彼はきつく唇を噛みしめた。
 胸の奥が痛い。理由はわからないが、泣き出したいような気分だった。
「雪は、いいよな。冷たくて、優しくて。全ての穢れたものを……隠してくれる」
 この穢れた心と血塗られた手をも、消し去ってくれればいい。幾度となく思ったことを、呟いてみる。けれども――。
 リギアは自嘲するように唇を歪め、小さく溜め息をついた。この心は流せないのだ。犯した罪を押し隠すことは出来ても、無に帰すことは出来るはずもない。
 きつく両手を握り締め、彼は雪の積もる地面を殴りつけた。涙が静かに頬をつたい、固く噛みしめすぎて血のにじむ唇の脇をすべり落ちる。
「今更、後悔したって……遅い……」
 時間は、戻せないものなのだ。だからこそ、人はその一瞬を常に選択し続けなければならないのだから。
 不意に、背後に殺気が生まれた。
 廃屋を包み踊り狂う炎が雪に描く緋色の模様を睨み付け、思考の淵へと沈んでいたリギアの反応がわずかに鈍い。
「くっ、……ぁっ」
 小さく呻き、彼は身を仰け反らせた。その背には、深く短剣が刺し込まれている。短剣の切っ先は、彼の胸を貫いていた。

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