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哀歌を詞う、小鳥達【完結】 ブログトップ
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エピローグ [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

 それから、約一年後のクシュア暦一五六二年――。
 セルレインは、クシュア大陸の北東に位置する大国、バルゼ王国にいた。国民から霊峰と称されるアルセルムに辿り着き、そこを根城とした魔族同盟に参加する事となったのだ。
 彼らの人間を敵とする信念は、セルレインの思うものとは大きく異なっていたが、他に身を寄せるべき場所もなく、出て行く事も出来ない。
 どうするべきか、迷ううちに月日は流れ――今に至る。

 彼は隣を歩く妻の横顔をちらりと盗み見た。
「はい?」
 小首を傾げる様にして見上げてくる彼女に微笑みかけ、そっとその手を取る。
「気を付けて。足元、滑りやすそうだ」
「はい」
 日が暮れて薄闇に包まれつつある険しい山道を、二人は寄り添うようにしてゆっくりと下って行った。
「あの、セルレイン様」
 少し遠慮がちに声をかけてくるミレーネに微かな笑みを向けると、彼女は小さく溜め息をつく。山道は、幾分緩やかになっていたが、それでも彼女にとってきつい勾配には違いない。
「ウェリス様が呼んでいました。大事なお話があるそうですの。私は、可愛らしいお客様のお世話をさせていただく事になりましたのよ」
「可愛らしい? それは、まさか」
 彼らの指導者にあたる人物のここ最近の動きと照らし合わせると、否応なく恐ろしい仮定に行き着いてしまう。セルレインは、妻に悟られぬよう頬を強張らせた。そして、やはりここを出て行くべきだろうかと思いながらも、逡巡する。
「どう、なさいましたの?」
 無邪気に訊いてくるミレーネに曖昧な笑みを向け、彼は首を左右に振ってみせた。
「何でもないよ。さぁ、急ごう」
 まだ早い。そう囁く声がセルレインの内にある。今はまだ、何の力も計画もないのだ。ファルクへ戻るわけにはいかない。
 妻の背に手をまわしながら、セルレインはふもとの古城に向かう足を速めた。

 いつの日か。
 祖国、ファルクの大地を再び踏みしめる時を夢に見て。
 彼は、妻と共に歩みを進めていく――。


〈了〉


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第六章.迷走 ―4― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

 国境を越えて、一時間程馬を走らせた隣国セフトの山中で、彼は静かに妻が目覚めるのを待っていた。傾いた弱々しい日の光が、苔むす岩肌の山を控えめに照らしている。灰色にも見える岩の茜色に染まる様は、何故か彼の心に郷愁のような切ない感情を掻き立てた。
 ミレーネに『儀式』を行ってから、もう半日が過ぎている。そろそろ目覚めても良い頃だった。
「もしも、あなたが、私を拒絶したならば」
 それは、考えたくもない未来だった。思うだけで心臓を掴まれたかのように息がつまり、胸が痛む。
 けれども、一番に起こり得る可能性のある未来でもあるのだ。
「ミレーネ」
 セルレインは妻の手を取って己の頬に押し当てながら、祈るようにその名を呟いた。彼女が小さく息を吸い込む度に、ミレーネの金色の髪や睫が揺れる。眠る妻の呼吸の音を聞きながら、彼は静かに瞬きを繰り返した。魔族を受け入れてくれる人間が存在する事を、まだ心のどこかで信じきれずにいる。
「私は君を殺せない。たぶん、操る事すら。本当は、どうすれば良かったのか」
 紫のままの瞳が、込み上げる涙で潤みミレーネの顔がぼやけて歪む。
「わからないんだ! これが、最良なのか、最悪なのかも!」
 胸の内にある言葉をそのまま吐き出して、セルレインは双眸をゆっくりと閉じた。
「ミレーネ。皆、いなくなってしまった。もう、私に残されているのは、君だけなんだ」
 閉じた瞼の端から、一筋の涙が零れ落ちる。恨まれても仕方がないことを自分はしてしまった。そう思いはしても、願う想いは止められない。
「だから、ミレーネ。お願いだ」
 ――私を拒絶しないでくれ。
 一番伝えたいその言葉は、震える唇のせいでうまく紡ぐことが出来ない。涙の雫がミレーネの頬を濡らして、彼女が小さく身じろぎした。
「ミレーネ」
 囁かれる名に反応するように、左手を、己の手を握りしめているセルレインの両手に重ねる。その瞬間、セルレインはびくりと肩を震わせて眼を開き、横たわるミレーネの顔に視線をやった。
「何故、私がセルレイン様を拒絶するなどと思われますの?」
「それは」
 私が魔族だからという言葉は、そのまま喉に飲み下される。ミレーネは大きく息を吸い込んで、ゆっくりと眼を開いた。震える金糸のような睫が、この上なく美しいもののように彼の眼に映る。
 ミレーネは、ふわりと柔らかく微笑むような様子だ。妻の手を放し、セルレインは半ば息を止める様にして、瞳が出会う瞬間を待った。
 その時までに妻の穏やかな笑みを脳裏にやきつけようとでもするかのように、ミレーネを凝視する。彼女の笑顔を最後に見てから、およそ一日も経っていないはずなのに、それは遠い記憶のように思えてならなかった。
「セルレイン様?」
 しかし、彼の予想に反して、ミレーネは何の反応も示さなかった。眉をひそめる事も、怯える事も、驚愕する事すらない。
「姫?」
 思いも寄らないその反応に、戸惑ったのはセルレインだった。訝るように小さく眉を寄せ、眼差しも自然と鋭く尖ってしまう。
 ミレーネは静かに息を吐きながら淡く微笑み、そっと両腕を彼に差し伸べた。それに促されるように、セルレインは妻の背に手を添えて抱き起こす。
「眼は、しっかり見えているかい?」
「ええ、見えています」
「ならば、何故」
 間近に輝くミレーネの左の朱い瞳を見つめ、彼は唇を歪めた。
「この瞳を見て、君は何も思わないのかい?」
「あら」
 驚いたというように眼を見開いてみせてから、彼女は嬉しそうに笑う。
「気付かずに色を変えていたわけではないのですね」
「?」
「でしたら、お話しても良いのかしら。私、ずっと前から存じておりましたの」
 表情を陰らせて、四年前を思い起こしながら、ゆっくりとミレーネが呟いた。
「あの日に、あなたが魔族だと知りました。けれど、セルレイン様があんまり恐いお顔でしたから、言ってはいけないのだと思って知らないふりをしていました。ずっと、あなたから打ち明けて下さる日を待っていましたのよ?」
 秘密を抱えていなくても良いのだと、言葉を続けるうちに実感したのであろう。彼女の憂いを帯びた表情が、次第に晴れ晴れとしたものへ変化していく。
 拍子抜けした様子で、セルレインは幾度か口を開閉させた。悪びれる様子のないミレーネを見ていると、自分の思い悩んだ時間を返してくれ、と言いたくもなる。が、何よりも安堵の気持ちが大きかった。
 思わずほっと息をつきかけ、彼はまだ告げるべき事が残っていることを思い起こす。気が重いが、告げずにいるわけにはいかないことだ。
「姫。あと、ひとつ、伝えなくてはならない事が」
 ミレーネは黙ってただ首を傾げる。
「君は瀕死だった。私は君を失いたくなくて、勝手な事をしてしまった。私の力の一部を、姫の命として与え、蘇生させたんだ。その『契約』の証として、姫の左の瞳は朱く染まってしまった」
「良く、意味が分からないのですけれど」
「ある程度の力を持つ魔族は、更なる力を求める人間に自分の力を与える代償として、その人間を支配下に置く事が出来る。その『儀式』を姫に行ったんだ。だから、今の姫には魔力がある。望むなら魔術を使う事も出来るんだ」
 それを聞いて、ミレーネは瞳を輝かせた。
「まぁ、本当に? 絶対に、教えて下さいね?」
 いや、そんな事ではなく、と否定しかけて、セルレインは微苦笑する。どのような事を伝えても、この姫が返す反応は同じなのだと、ようやく気付いたのだ。その本当の心はわからない。けれども、彼女は自分に負担をかけまいとして、同じように振舞うのだろう。
「姫。いや、ミレーネ」
 名を呼ばれて、ミレーネは軽く眼を見開いた。こんな風に、名前で呼ばれたのは初めての事だ。
「これから、バルゼのアルセルムへ向かおうと思っているんだ。これまでのような暮らしはもう、出来ない。それでもミレーネは、私について来てくれるかい?」
 その言葉を聞いた瞬間、彼女の顔中に笑みが広がった。幸せそうに眼を細め、小さく何度も頷いてみせる。
「追手がまだ来るかも知れないから、距離を稼いでおきたいんだ。馬に乗っても、大丈夫か?」
「追手?」
 きょとんとしているミレーネの髪を撫ぜながら、彼は小さく笑ってみせる。
「経緯は道を行きながら話すよ。どう? 大丈夫そうかい?」
 頷く妻の血でどす黒く汚れた夜着を見やり、「まず服を買わないとね」と呟きながら己のマントを羽織らせ、彼はミレーネを抱き上げた。
 まず彼女を馬上に上げてから、自らも背に跨り、優しく馬の鬣を撫ぜる。栗毛の馬を見て思いを馳せたのか、ミレーネがふと首を傾けてセルレインを振り返った。
「先生は?」
 表情を翳らせて、彼は力なく左右に首を振ってみせる。その仕草で、アルスが辿った運命を察し、ミレーネは何も言わずに前を向き俯いた。哀しいような、苦しいような、形容し難い想いにとらわれたセルレインは、やはり無言で妻を抱きしめる。
 そうすると、腕に、彼女が小さく震えながら泣いているのが伝わって来た。セルレインにはまだ、騎士団の者達が残されているが、彼女には、もう誰もいないのだ。
「私は、ずっとミレーネと共にあるから」
 耳元に囁いて。
 ミレーネが多少の落ち着きを取り戻すまで、彼は長い間妻を抱きしめていた。

 やがて、出発の時。彼が口にした、ひとつの『名前』。

「行ってくれ、『セシア』」

 それは、五年前にアルスがその雌馬に名づけた、彼が愛した女性の名前であった。


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第六章.迷走 ―3― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

 夕刻。
 その深い森を抜ける頃、再び人の気配を感じてセルレインは緩く手綱を引いた。馬は従順にそれに従い、ゆるゆると速度を落として行く。
 ロザリーが諦めず追って来たのかとも思ったが、彼女にはそんな様子もなかったし、何よりも気配が違う。
 彼はミレーネを抱く左腕にわずかな力を込めて、大きく息を吸い込んだ。
「誰だ?」
 窺うように小声で誰何すると、茂みの影から一人の男が進み出て来る。
「アスファ!」
 息を飲んで、セルレインは男の名を呼んだ。そして、ミレーネを抱えたまま、馬から飛び降りて彼の前に立つ。
「私を、捕らえに来たのか?」
 どこか悲愴な覚悟を決めて、セルレインはそう問うてみる。もしも彼が、自分の行く手を阻むのならば、容赦はしないつもりだった。
「いいえ。ご報告に参りました」
 顔色を変えず、穏やかな口調で言いながら、アスファはその場に膝をついた。それは以前と何ら変わりのない態度だった。
「報告?」
 思わぬ反応に、セルレインは虚をつかれる。そして上ずった声で聞き返し、首を傾げた。
 事がまだ公にされていないとはいえ、身内連中には知れ渡っていると当然のように思っていたのだ。
「何の、報告だ?」
 伝わってはいないのかと安堵して、彼はわずかに声の調子を緩めて話を促した。何故、アスファがこのような森の奥深くにいるのかなどと不審に感じたことはすっかり忘れ去っていた。
「内々の話ではありますが、貴族議会の代表であるファシナス様より発表がありました」
 ぴくりとセルレインの頬が強張る。そして忘れていた不審感がじわじわとこみ上げてくるのを感じた。胃の辺りに、鈍い痛みがある。
「四年前のロイスダール前公爵夫妻の暗殺。そして、先日の国王一家暗殺の首謀者はセルレイン様であると。一味は全員捕らえたものの、セルレイン様は逃亡。その際に妻であるミレーネ姫と、殿下の教育係であったアルス子爵を手にかけ姿を消した。との事です」
「…………」
 淡々と言葉を並べるアスファを見つめながら、セルレインは沈黙して唇を噛みしめた。
「始めは皆、そんな馬鹿な事がと、言っておりましたが。セルレイン様が魔族であると知らされて納得した様子でした。――決定として、セルレイン様。ロイスダール家は公爵位を剥奪される事となり、領土や我々騎士団はそのまま、伯爵位に就かれるディムス様に引き継がれます。我々の中でそれを不服とする者は、騎士団を去る事になりました。が、多くの者は留まる事を決めました」
 アスファは言葉を切って、まっすぐにセルレインを見つめてくる。そんな気分ではなかったのだが、彼は笑って見せた。無理やりにつくろった笑みにはどうしても苦いものが混じってしまう。
「迷惑をかけてしまったな。すまない。それで? 新たな主人の命令で、私を捕らえに来たと言うわけか?」
 それ以外には考えられない。そう思って無意識のうちに表情を険しくする彼に、アスファはきっぱりと答えた。
「いいえ」
 優しい瞳でセルレインを見つめ、彼はゆっくりと立ち上がる。
「以上のご報告と、我々の意志を伝えに参ったのです」
「意志?」
「ええ」
 セルレインは歩み寄ってくる彼を、直立したままでただ見つめていた。まだ、疑う心は捨て切れない。
「我々は、セルレイン様を信じています」
 その言葉に、セルレインは身体を竦ませた。拒絶するような感情が湧き上がって来る。彼には信じる事が出来ないのだ。
 戸惑うような素振りを見せてそのまま答えを返さない彼に、アスファは優しく笑いかけた。三十になる中年男の、歳月が培った優しい笑みだ。
「今、この状況を覆す事は難しいでしょう。国外へお逃げになるおつもりかと存じます。我々は、セルレイン様に付き従い、国を出ることは致しません。ロイスダール家の騎士団は、この国が正しい方向へ向かうよう、国内から微力ではありますが努力致します。しかし、これだけは忘れないで頂きたいのです。我々が、セルレイン様をお待ちしている事を。……あの様子では、ディムス様が黒幕で、ファシナス様が王位に就かれるのでしょう。このままでは、この国の行く末が心配なのです。ですから! いつの日か必ずこの国にお戻り下さい。そして、どうか正統なる王家をお守り下さい。それが、我々からの願いでございます」
 言いながらアスファはミレーネを一瞥する。王女さえ生きていれば、それは夢物語ではないのだ。
「これを見ても、同じ言葉が言えるのか? アスファ!」
 泣き出したいのを必死に堪えるような表情で、セルレインが問う。その声は掠れていて、弱々しかった。この瞳の色を見れば、彼の態度は覆される。そう、思っていたからだ。
 しかし、鮮やかな紫に変わる瞳を見ても、アスファはたじろぐ事すらしなかった。
「存じておりましたよ」
 ただ短く一言を告げ、微かに眼を細める。
「レイルド様より伺っておりました。私の他にも、幾人かが真実を存じております」
 噛み殺せない嗚咽が、セルレインの喉から漏れた。
 アスファの優しい眼を見つめながら、唇を噛みしめて込み上げてくる想いを堪える。
「セルレイン様の馬をひいて参りました。乗り慣れた馬の方がよろしいかと」
「いや」
 力なく首を横に振り、セルレインは栗毛の馬の首筋に触れた。
「アルスの馬なんだ。共に行きたい」
 アスファは深く頷いて、笑みを消し表情を真剣なものへと改める。
「ファルクへお戻りになられた時には、我々にご連絡下さいますよう」
「ああ。いつになるかはわからないけれど、なるべく早いうちにね」
「向かう先は、お決まりですか?」
「いや」
 少し迷うような表情を見せながら、アスファは小声で告げた。
「北の大国、バルゼの霊峰アルセルムに魔族が集っているとの噂を聞いた事があります」
「そうか、バルゼは確か、クシュア大陸の中では魔族差別が緩い国だったね。ありがとう、アスファ。ひとまずそこを目指してみるよ」
 言いながらセルレインは、馬に飛び乗る。アスファは眼を細めて馬上の人となった己の主人を見上げた。紫の瞳に宿る強い意志を確認する。まだ、己の主は大丈夫だと確信して、彼は口元を綻ばせた。
「どうか、ご無事で」
「ああ。なぁ、アスファ」
 セルレインは頷きながら声の調子を落として、気がかりであった事を訊ねてみる。
「アルスは、どうなってしまうのだろうか」
「アルス殿は、エルク子爵家の墓地に埋葬されるそうです」
 それを聞いてほっと息をつき、彼は馬の腹を軽く蹴った。
「もし、私が戻らなかったら。私は死んだのだと、そう思ってくれ」
 最後に、ちらりとミレーネを見やりながら、硬い表情で呟いて。
 彼は、その場から姿を消した。


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第六章.迷走 ―2― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

 時刻が昼をまわる頃、セルレインは王都から遠ざかるべくしてアルスの馬を走らせていた。
 事切れていたアルスの身体に疾る裂傷を全て癒した後、怯えて逃げて行ったこの馬を探したのだ。アルスの愛馬であったこの栗毛の馬は、遠方へ逃げ去ることはせずその場近くに留まっていた。その為、容易に探し出すことが出来たのである。
 アルスの遺体はあの場に置いて来た。ディムスの口調から判断して、彼はエルク子爵家の墓に埋葬される事になるだろう。
 遺体を攫う事で、アルスまで反逆者と公表されるのは避けたかった。もしかしたら、傷一つないアルスの遺体に首を傾げてくれる者もいるかも知れない。甘い期待だと、わかっていながらも、彼はそう思わずにはいられなかった。
 森の中の獣道を行く馬上にて、己の思考の中に沈んでいたセルレインは、ふと何かを感じて思い切り手綱を引いた。止まった馬の数歩先に、腰を抜かした様子で座り込んでいる一人の娘が目に入る。
「ロザリー」
 固い声で、セルレインは呟いた。
 ファシナス公爵領を避ける為に街道を通らず、森を選んだのに何故出会うのか不思議に思う。それを悟ったのか、娘――ロザリーは震える足を踏ん張って立ちあがり、強張った笑みを浮かべて見せた。緊張を隠せない、作り物めいた笑みだった。
「街道を通られるはずがありませんもの。徒歩でいらっしゃるわけもありませんし。それならば、この道を行くより他にないと思いました。どうしてもお願いしたい事があって参りましたの」
「ロザリー。そこを退いてくれないか?」
 彼女に対しては、これまでに発したことのない冷淡な口調で、彼は言う。
「お願いです、セルレイン様」
 常時とは異なる彼の様子に怯みながらも、どこか縋るような瞳でロザリーが声を張り上げた。
「わたくしを貴方の妻にして下さいませ。今ならばまだ、間に合います。ミレーネ姫とて、幽閉されはしても、殺される事はありません。ですから、どうか! 明日には、貴方を反逆者とする触れ書きが出まわってしまうのです」
 馬から降りようともせず、セルレインは唇の端に哀れむような笑みを浮かべる。そして、それをロザリーへ向けた。
「君は知らないのかもしれないが、私は君を側室とし、王位を継ぐ事になっていたんだ。それが決定した途端、姫が襲われた。救おうとした私も、この有り様だ。まぁ、遅かれ早かれ私も始末される事になっていたようだけれどね」
 そんなはずは、と口許を両手で覆うロザリーは、強く衝撃を受けた様子で肩を震わせていた。
「それにね、ロザリー。君には悪いけれども、私が妻として愛する事が出来るのはミレーネ、唯一人なんだ」
 眠っている様子のミレーネにちらりと視線をやって、セルレインがうっすらと微笑む。それは、ロザリーが羨望する、あの微笑みだった。
「ここへは馬で?」
 問われて頷くロザリーに、穏やかな口調で彼は別れを告げようとする。
「ならば、送って行かなくてもいいね? 早く帰るんだ。こんなところに長くいては、ファシナス様が心配なさるよ」
「セルレイン様、どうかお願いです!」
「ロザリー、君だってわかっているのだろう? もう、無理なんだよ」
「けれど、わたくしがお願いすれば、兄上様とて」
 哀願するような口調で、ロザリーは彼を見上げた。セルレインは嘆息して苦く笑うと、己の眼を変色させている魔術を解く。
「これを見ても、君は、同じ事が言えるのか?」
 穏やかな声で問うセルレインの、その紫眼を目の当たりにしてロザリーは動きを止めた。瞬間、彼の表情に緊張が奔る。彼女は己の瞳を見開き、食い入るようにセルレインの瞳を見つめた。
「まさか、そんな事が」
「あるわけがない? どうしてそんな事が言える? 君は私のことを何も知らない。そうだろう?」
 ロザリーの瞳に疾った嫌悪と怯えの感情を見逃さず、セルレインは我知らずきつい口調になってしまう。
「通してくれるね?」
 紫の瞳で見据えられたままそう問われ、ロザリーはよろめくようにそびえる木に寄りかかった。
「君は、私の本質までは愛せない」
 通りすがりざまに、吐き捨てるように言葉が投げつけられる。
「気付いているかい? 君は私に、幻を見るような眼を向ける。君が見ているのは私ではなく、別の何かだ。君が想う私は、君自身の中で作り上げられた幻想に過ぎないんだ」
 彼女はびくりと身を硬直させた。己の心の中を見透かされたようで、ひどく心細い思いに駆られる。無性に悔しくなって、ロザリーは八つ当たりのように叫んだ。
「けれども! ミレーネ姫も。あの方とて、貴方のその瞳を見たなら!」
 馬を止め、ゆっくりと振り向いたセルレインの鋭く細められた瞳を見て、彼女は息を飲む。言ってはならないことを言ってしまった――。後悔するよりも先に恐怖で身が竦み、ロザリーはそのまま崩れ落ちるように膝を地面につく。
「そうかも、知れないね」
 瞳の険を和らげて、セルレインは呟いた。
「その時は。姫が私を拒絶した時は」
 静かに微笑みを浮かべ、何故か乾いていく唇で先の言葉を続ける。
「私がこの手で、姫の生命を奪う」
 ロザリーは耳に入った言葉が信じられなくて、動きを止めた。彼の声は穏やかで、それだけに恐ろしいものを感じる。
「姫が今なお生きているのは、私の力を受けたからだ。もし、姫が魔族を厭うのならば、姫はその厭う力で生かされている事になる。そんな事は、させたくない。だから、その時は。私の手で姫を殺す」
「セルレイン様」
 既に彼を引き止める為の言葉を失くしたロザリーは、ただ、彼の名を唇にのぼらせ諦めの色濃く双眸を閉じた。
「例え、他人に歪んだ愛だと誹られても、私は姫を離したくないんだ」
 きっぱりと言いきって、セルレインは馬の首を撫ぜる。軽く横腹を蹴って、馬を進め始めた彼の背に、瞳を開いたロザリーが縋るように声をかけた。
「セルレイン様、どうかこれだけは、お聞き下さい! 兄上様を恨まないで下さい! 許されない事です。それは承知しております。けれども、これだけはわかって下さい! 兄上様も、苦しんでおります。己の過ちに気付いておられるのです。どうか、それだけは、察して下さいませ」
 振り返らぬまま、セルレインは微かな笑みを浮かべる。ファシナスが首謀者なのだと知った時の、あの空虚な気持ちが心に蘇った。けれども、彼はその感情を心の内で押し殺す。
「わかっているよ、ロザリー。正直なところ悲しかったが、ファシナス様を恨む気持ちはない。私が憎いと思うのは、ただ一人だから。殺したいと心の底から思うのも、その一人だけだから」
「セルレイン様」
「もう、二度と会う事もないだろうけれど、――元気で」
「セルレイン様も」
 軽く片手を上げてそれに答えながら、振り返らずに遠ざかって行くその人の後ろ姿を、ロザリーは立ち上がることも出来ずに見送った。
 虚しく、切ない想いがきりりと胸を締め付けたが、彼女にはどうすることも出来ない。拒絶したのは自分なのだ。そして、その拒絶はひどく彼を傷つけたに違いない。
 彼女には、セルレインを留めておく術も、引き止める資格もないのだ。


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第六章.迷走 ―1― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

 己を守る結界が消失した。セルレインはびくりと身体を強張らせ、呼吸を止める。確信のような予感を胸に抱き、振り向くか否かを瞬時迷った。
 振り向いてしまえば、自分はここに留まるだろう。心の片隅でそれを理解していた。
 一刻も早く立ち去らなければならないのだ。アルスの想いに報いるためにも。
 そう思う反面に、今、振り返らなければならないという思いもある。セルレインは馬の手綱を、強く握り締めた。が、重い何かが地面に倒れる音を聞いた瞬間、彼の中にあった冷静な部分が消え失せる。
「アルスっ!」
 手綱が手の内からするりと逃げた。逸る動悸を抑えながら振り向いた彼の眼に、地に伏して動かないアルスの姿が映る。大地には彼の生命が流れ出すように、紅い染みが広がっていた。
 昇りゆく太陽に照らしだされたその光景に、彼は大きく身震いをする。次の瞬間、彼の喉から低い雄叫びが吐き出された。悲鳴のような、慟哭のような絶叫。それは、耳にした者の心を震わせる程に狂気を帯びていた。
 彼を取り巻く空気がざわりと揺らぎ、怯えた馬が嘶き走り出す。
「殺したのか」
 アルスが、己を犠牲にしようとしていることは悟っていた。自分が、それを受け入れなくてはならないことも、わかっているつもりだった。けれども、現実となって目の前に突き付けられた今、それを受け入れることが出来ない。
 ぎりりと音がする程に強く奥歯を噛みしめ、セルレインは大きく息を吸い込んだ。
「何故だ」
 声になるかならないかの掠れた声でやっとそう絞り出すと、ディムスは唇を笑みの形にしてちらりと彼を見る。セルレインの黒眼は、必死で堪えてはいるものの涙が滲み、揺れていた。
「邪魔をするからです。まぁ、彼は王子の教育係。大人しくしていたところでじきに殺される運命でしたがね」
 顔色一つ変えずに放たれたその言葉に、セルレインの眉がはねあがった。涙の雫が零れ落ちるのと時を同じくして、紫銀の光が彼を包み込む。
「……さない」
 怒りに震えた、聞き取りにくい声で呟く彼の、ディムスを睨み付ける眼が冷たい紫へと色を変えた。視線が交わった瞬間、ディムスは背筋に冷たいものを感じ、思わず息を飲む。
「私の、大切な人達を。貴様は、ことごとく奪うつもりなのか!」
 彼は、震える声で言葉をディムスに叩きつけた。
 ミレーネを蘇生させたように、アルスに力を与える事は出来ないのだ。一日の間に、二度『儀式』を行える程の魔力も体力も、彼にはない。セルレインは低く、アルスの名を連呼した。
 噛み締めすぎた唇の端から朱い雫が滴り、ミレーネの頬を濡らす。
「貴様だけは、許せない」
 怒り以外の感情が全て欠落した瞳で、彼はディムスを睨み付けた。セルレインをとりまく光が強くなり、風が彼を中心に渦巻き始める。
「許さないっ!」
 鋭い刃と化した風が、セルレインから四方に放たれた。それは、彼に襲い掛かろうとしていた男達の肌を容赦なく切り裂いていく。
 木偶人形のように地に転がる彼らを視界のすみに見て、ディムスは小さく眉を寄せた。対峙する相手の力が、先程よりも圧倒的に強いものに変化したことが見てとれたのだ。
「取引きをしませんか?」
 自らに迫り来る刃を、結界でかろうじて防ぎながら囁きかける。それを聞いているのかいないのか、セルレインからの反応はなかった。しかし、気にも留めずにディムスは言葉を続ける。
「私を殺しても、あなたは逃げきれません。ファルク中の騎士が、あなたを討つ為に立ち上がるでしょう」
「例え、殺されたとしても。引き換えに貴様を殺すことくらいは出来るさ」
「ミレーネ姫を、守るのではなかったのですか?」
 低く、探るようにそう語りかけ、ディムスは唇を歪めた。思惑通りセルレインの頬が強張るのを見逃さず、得たりと笑う。
「取引きを、致しましょう?」
「内容は」
 セルレインは相手を睨み付ける眼の強さをそのままに、低く、短く、吐き捨てるように問うた。
「私は、黙ってあなたを見送ります。あなたは国外へでもどこにでもお逃げになればいい。もちろん、それなりの発表をさせていただきますがね。選ぶのはあなたです。正直に申し上げて、私一人ではあなたに勝てるとは思えませんから。私をここで殺して、姫と共にこの地で果てるか。取引きに応じて、どこか遠くへ逃げ延びるか。どちらを選びますか?」
「貴様」
 獣の唸り声を彷彿とさせるような声をもらしながら、セルレインは大きく息を吐く。ふと視線をずらし、彼はミレーネの顔を見つめた。規則正しい呼吸で、静かに眠る妻の顔を。
「姫」
 わずかにセルレインの表情が和らぎ、ディムスがほっとしたように小さく息をつく。
「良いだろう」
 冷淡な表情に戻って、彼は呟いた。そして、眼はディムスを鋭く睨み付けながら口許だけで微笑んでみせる。
「ただ、これだけは覚えておけ。私は必ず貴様を殺す。いつか必ず殺しに来る」
「結構です。私に必要なものは未来ではなく、現在なのですから。それに、未来は予想できません。来たるべき日の為に、私はあなたを迎え撃つ準備をしますしね」
 ゆっくりと、どこか嘲るようにディムスが答えた。
「今すぐに、私の前から消え失せろ。さもなくば、私はきっと貴様を殺してしまう」
「それでは、また。いずれお会いしましょう。セルレイン様」
 ディムスはそう言い置いて、倒れている男達にちらりと眼を向けた後、呪文を唱えて姿を消した。それと同時にセルレインは地面に膝をつき、深呼吸を繰り返す。
 堪えていた衝動と、激しい怒りとをどうにか抑え込んで、彼は滲んでいた涙を乱暴に拭った。その後、ミレーネをその場に横たえてから、自らはゆっくりと立ち上がる。
「アルス」
 感情の抜け落ちた虚ろな瞳のまま、彼は足を進めた。恐怖でも苦痛でもない。ただ、いつもの表情で倒れているアルスの前で立ち止まる。
 名を呼べば、起き上がり、いつものように返事をするのではないか。そんな気さえしてしまう。けれども、アルスは動かない。もう二度と、話す事も、笑う事も、ない。
 セルレインは鳴咽をもらしながらその脇に座り込み、まだ暖かい彼の手を握りしめた。
「アルス。ありがとう」
 そう小さく呟いて、アルスの手を己の額に押し当てる。名を呼びながら、彼の頬を撫ぜた。セルレインの咽び泣くような細い声が、次第に慟哭へと変わっていく。
「ありがとう……」
 やがて、太陽が空高くから大地を照らし始めるまで、彼はその場を動こうとはしなかった。


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第五章.愛惜 ―3― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

「あなたの思惑どおりにはいかせませんよ」
 セルレインを庇うように彼の前へ飛び出し、アルスは唇を笑みの形にする。
「私はあなたが、嫌いなんです」
 そう吐き捨てるのと同時に、結界が消えた。
【我、地深く眠る炎の精に命ず、力を打ち消し、更なる力となれっ!】
 凛とした声で呪文を唱えながら、走るようにセルレインを促す。
「セルレイン、姫は」
 あなたが魔族だと、知っています。そう言いかけて、アルスは言葉を言い換えた。それは、彼らが解決しなくてはならない問題なのだ。自分が口を挟んで良いことではない。
「姫は、心からあなたを愛しています。何があっても、きっと」
「ありがとう。アルス」
 血が滲むほどきつく唇を噛みしめて、セルレインはアルスの顔を見つめる。赤茶けた金の髪に縁取られた細い顎。理知的に整った表情。何の感情も映さないかのような冷たい黒眼が、本当はとても優しく笑うことを知っている。
 自分よりも十程年が上で。ずっと大人で落ち着いていた。ラルバートが頼りにしている事もあって。いつからだろう。この人を頼って、甘えて、過ごして来たのは。
 セルレインは奇妙な具合に唇を曲げた。笑顔を作ろうとして、失敗したのだ。
「忘れない」
 涙に掠れた声でただそれだけを告げ、彼は踵を返した。それが精一杯だった。他に何か言うべき言葉を見出すことが出来なかった。
 涙を零すまいとして、引き結んだ唇の脇を熱い雫が伝わり落ちる。セルレインは嗚咽を堪えながら、アルスが乗って来た馬を探して足を進めた。
「アルス=エルク」
 淡い水色の右眼と、契約の証である赤い左眼を細めて、ディムスが唇の両端をわずかに吊り上げる。
「私も、あなたが嫌いでしたよ」
 そう言われてアルスは眼を細め、皮肉な笑みを顔に刻んだ。
「光栄です」
 本心からの言葉を吐き、彼は両手で複雑な印を描いた。印を切った瞬間、氷の矢が彼の周囲に現れる。ディムスは迎え撃とうと己を防御するための呪文を唱えた。しかし、矢が向かった先はディムスではなく、妻を抱えて走るセルレインに襲い掛かろうとしていた男達だった。
「ほぅ」
 驚いたように声を漏らし、ディムスが小さく笑みを浮かべる。
「よほど、彼を救いたいらしい」
 彼は呪文を唱え、手の内に火球を生み出した。それを弄びながら、アルスの様子を窺うように呟く。
「その身を投げ出してまで、彼らを庇ってどうなるのです? 彼は魔族。受け入れようとするものなどいませんよ」
 吐き捨てる彼に嘲笑を向け、アルスは再び呪文を口にした。
「セルレインは必ず生き抜いてみせますよ、ディムス殿。彼は、いえ、彼らは大丈夫です。互いがいれば、何があってもきっと支えあって行けるはずです」
「ミレーネ姫とて、彼が魔族と知れば、どうなる事やら」
「それは、あなたが心配なさる事ではありません」
 口元の嘲笑はそのままに、今度はディムスに向かって力を放つ。同時に、アルスへと放たれた火球は、彼の放った氷の矢を包み消し去り、その威力を減らさぬまま迫って来た。
 けれども、アルスは表情を変えない。力の差など、始めからわかりきっていたのだから。少しでも時間を稼げるなら、それで良いのだ。
「あなたのような人を、愚か者と言うのでしょうな」
 全身に細かい火傷を負ったアルスに囁きかけ、ディムスは嘆息した。
「そっくりそのままお返ししますよ。その言葉は、あなたにこそ相応しい」
 顔色一つ変えることなく、アルスは優雅に微笑んだ。ディムスの頬がひきつり歪み、彼をとりまく精霊力が膨れ上がる。
 アルスはちらりとセルレインの方を見て、肩の力を抜くように小さく息を吐いた。セルレインは既に馬を見い出し、その手綱に手をかけている。もう、大丈夫だ。
「あなたは、ご自分の立場というものを理解しておられぬようですな」
 険悪な表情で、押し殺したような低い声で呟くディムスに、アルスは侮蔑の意がこもった笑みを向け、大きく両腕を広げてみせた。
「充分に承知しておりますよ」
 その口調には、どこか人を馬鹿にしたような響きが含まれており、ディムスは苛々と手を払うような仕草を見せる。
「ならば、覚悟は出来ていましょうな?」
「もとより、そのつもりでしたからね」
 余裕すら感じさせる彼の態度に、内心、ディムスはひどくうろたえていた。目の前にあるものを、これ程、静かに受け入れようとする者を見たのは初めての事だ。彼の心情が己には全く解らない。
「望みの通りに」
 複雑な印を、もつれるような指先で描ききり、彼は呪文の終わりと共に両手をアルスへと向ける。それでも尚、眉一つ動かさぬアルスに言いようのない苛立ちを覚えながら、彼は魔術を解き放った。
(セルレイン。どうか無事で)
 ゆっくりと双眸を閉じて、二人が逃げ延びる事を心の内で光の神に祈りながら、アルスは大きく息を吸い込んだ。

 ――おまえ、いい年してなんで結婚しないんだよ?――

 不思議そうに問うて来るラルバートには、適当な返事をして茶化していたが、きちんと理由はあったのだ。恋人と呼べる女性もいた。けれども、共に生きて欲しいとは、決して口に出せなかった。それは、自分がいつ死んでもおかしくない立場だったからだ。自分が守るべき第一は、恋人や家族ではなく王子であったからだ。
 その王子を、守れなかった贖罪に。セルレインが魔族だと知って、一時でも嫌悪感を抱いた罪滅ぼしに。誰よりも大切にしていた彼が、兄のように慕っていたセルレインを。彼の妹姫が、無償の愛を向けるセルレインを。
 何よりも、見守るうちに弟のように思い、世話をやいてきた彼をここで死なせたくはない。
(すまない。セシア)
 静かに心の中で、恋人に詫びながら――。アルスは己を滅ぼす魔術を、抱き入れるかのように更に大きく両腕を広げた。
 死を受け入れる、最後の瞬間に脳裏に浮かんだものは。自分と、恋人と、見る事のなかった彼らの子供と。三人で笑いあう幸せな、決してありえない未来の風景――。


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第五章.愛惜 ―2― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

「私の道は私が決める。あなたに示されたくはない」
 邪険にその手を払い、セルレインは唇の端をわずかに歪める。
「私は殺されるつもりはないし、あなた方と共に歩むつもりもない」
「そうですか。それは残念な事です」
 予め予測していたのだろう。特に驚く素振りもなく、言葉と共にディムスが腕を振り上げた。それを合図に、今まで成り行きを見守っていた男達が襲いかかってくる。
 咄嗟にはった結界が、男達の手にする得物の切っ先と飛来する魔術を防いだが、いつまでもつかはわからなかった。先程のミレーネの蘇生で、セルレインは力の殆どを使い果たしているのだ。
「ああ。そう言えば、セルレイン様」
 どうでも良い事を訊ねるような口調で、ディムスが呟く。
「何故、前公爵夫妻の蘇生をなさらなかったのですか?」
 その瞬間、ぐらりと結界が揺らいだ。遠目にもわかる程、はっきりと表情を強張らせる彼の左腕を氷の矢が掠めて行く。
 答えは簡単だった。四年前の自分には、その力がなかった。力ばかりか、その『魔族の記憶』すらなかったのだ。
「貴様には関係のない事だ……」
 低い、喉の奥から絞り出すような声音に、アルスは背筋を凍らせた。ちらりと眼をやれば、風とは違う方向にセルレインの髪がなびいている。彼を中心にして、風が巻き起こっている様子であった。金の髪にまとわりつく淡い光の粒子を、美しいとも、恐ろしいとも、まとまらぬ感情でただ見つめる。
「セルレイン」
 彼は、痛みに耐えるようなそんな表情で、祈るように呟いた。明朗で優しい少年なのだ。暴走などしないで欲しい。そう、心から思う。
 ふと、アルスの脳裏をよぎる言葉があった。自分が仕えていた、誰よりも大切に思っていた王子が、いつかセルレインとの話の途中に言っていたものだ。「いつだって、引き金をひいてしまうのは、人間なんだ」と。扉の外でそれを立ち聞いていたアルスは、胸を打たれてしばらく室内に入ることが出来なかった。
「本当、ですね」
 呟いて、彼は自嘲的に唇を歪めた。すぐ目の前に、引き金をひいた者がいる。そして、自分はそれを止められなかった。
(ならば、私は。私が成すべきは)
 セルレインの腕の中で、ミレーネが微かに身じろぎをする。
(姫)
 ぼんやりと彼女が眼を開けた。しかし、ディムスを睨み付けているセルレインはそれに気付かない。
(守ること)
 妖しく光るミレーネの左の赤い瞳を見つめながら、アルスは覚悟を決めた。ミレーネに微笑を向けると、彼女は安心したように小さく笑い、再び瞳を閉じてしまう。大きく息を吸い込んでから、アルスはセルレインの肩に手を添えた。
「セルレイン。これ程の人数相手には戦えないでしょう? ここは私に任せて、一旦逃げて下さい。命さえあれば、好機はいくらでもあります」
 耳元にそう囁きかけたが、伝わってくるのは拒絶するような心ばかりだ。
「姫を。護れるのは、あなただけなのですよ」
 諦めず、強くそう囁く。すると、彼の肩がわずかに揺れた。
「アルス」
 光の戻った正気の瞳で、少年はアルスを仰ぐ。
「けれど、それでは、アルスが」
 揺れる声と想いが直に伝わるのか、結界が薄く弱くなっていった。
「私はもう良いのですよ。セルレイン」
 ある種、独特の穏やかな声で、アルスはゆっくりと言葉を紡ぐ。そして、柔らかく微笑んだ。ディムスらの動向に眼を配りながら、呪文を唱え弱まった結界を強化する。
「私は王子の教育係です。政権が転じれば、邪魔な存在でしかありません。王子以外の人間に仕える気はありませんし、この国を出て行くつもりもありませんしね。それに、殿下には私の生命をあずけているのです。追いかけて、返してもらわなくては」
 今にも泣き出しそうな瞳で、自分を見上げてくるセルレインの頭をくしゃりと撫でてから、彼は笑んだ瞳を真剣なものへ戻した。
「そのかわり、あなたは必ず生き延びて、いつかこの国を正しい方向に導いて下さい」
 心では、そうするより他にないのだとわかってはいる。けれども、セルレインは頷く事が出来なかった。そんな彼を軽く抱きしめて、アルスは口元に淡い笑みを浮かべる。
「結界を解いたら、全速力で走って下さい。私の馬がすぐ近くにいます」
 セルレインの答えを待たずに、彼はディムスに向き直った。余裕の笑みでディムスがそれを受ける。
「話はまとまったようですね」
 淡々とした調子で呟き、彼は自らの手に魔力を集めた。悪意のないその声音が、余計に恐ろしさを感じさせる。
「では、お遊びはここまでと致しましょうか」
 誰の眼にも見て取れる程の魔力の渦が、その手から放たれた。
 それは、まっすぐにセルレインを狙った一撃であった。


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第五章.愛惜 ―1― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

「しつこい奴等だ」
 アルスが住まう、ファルク城へ向かう途中の開けた野原を馬で駆けながら、セルレインは眼を眇めて低い声で呟いた。
 屋敷を離れて、もう随分と時間が過ぎた。なお、追ってくる人数の多さに苛々と歯を噛みしめる。完全に息の根を止める自信のない相手や人数に、紫の瞳を明かすわけにもいかず魔術は使えない。ミレーネに対する儀式の為に、彼自身の体力も魔力も疲弊していた。
「っ?」
 鋭い殺気を感じ、セルレインは妻を抱えて馬から飛び降りる。
 その一瞬後、騎手を失った馬に光の矢が降り注いだ。直撃は免れたものの、幾重にも魔術を浴びた馬はぞっとするような声で大きく嘶く。そして、四肢を痙攣させて地面に転倒した。受け身を取って地面に転がった彼は、素早く立ち上がり騎士剣を抜き放つ。そうしながら意識を研ぎ澄ませ、周囲の状況を探った。
(十、二十? いや、いったいどれ程の)
 こちらへ向かってくる人数を察して、セルレインは苦く顔を歪める。彼らはそれ程までにミレーネを殺したいのかと、そう思う。
「ロイスダール公爵様。ミレーネ姫をこちらへ。さすれば、貴方に危害は加えません」
 彼の前に進み出た男の、冷たく事務的なその口調をきいて彼は冷笑を浮かべた。
「信じていた、のに」
 そして、先程から何度繰り返したかわからぬその言葉を口にして、高く天に剣を掲げる。
「王宮騎士団、第一隊千騎長ガディウス率いる第六小隊百騎長にして、ロイスダール公爵家当主たる、私。セルレイン=ティオル=ロイスダール。私は貴様らを、絶対に許さないっ!」
 騎士団の定めた口上を吐きながら、ゆっくりとした動作でその男に剣先を定める。騎士風の格好をしている男は怯えた様子もなく、左手を一振りして見せた。彼の後ろに控える様々な年恰好の者達が、一様に殺気だち呪文を口にする。やはり、その中には魔術師が数多くいるようだ。
「ならば、もろともに滅ぶが良いっ!」
 騎士風の男の言葉尻にかぶさるようにして。先程、馬を襲ったのとは比べ物にならない強い魔力を含んだ光の矢が迫って来た。
 瞬時、セルレインは迷う。彼が、心を決めて呪文を唱え始めた時には既に遅かった。視界が光で溢れ、熱が肌を灼く。妻を庇うように抱きしめ、詠唱を続けていると、ふと彼を覆う光が霧散した。
「無事ですかっ? セルレイン!」
 聞き慣れたその低い声に、セルレインは思わず首を動かして声の主を探す。そして、自分が向かおうとしていた方向から駆けてくる馬の上に、求める青年の姿を見出した。明け方に近い白みがかった空の下、見まごうはずもない。
「アルス、が?」
 呆然と呟くセルレインの脇を掠めるように炎が地を疾り、男達を捕らえようと猛る赤紫の触手を伸ばす。
「アルス」
 身軽な仕草で馬上から降り、当然の様に自分の隣に立ったその人を、彼は信じられないものを見るような眼で見た。アルスは苦笑して、彼の疑問に簡潔な答えを返す。
「私が、魔術を扱えた事が意外ですか? 考えた事はありませんか? 出自は子爵家。武芸に秀でているわけでもない。そんな私が何故、王子の側近を勤めているのか。城内には、近衛騎士団の他にも魔術を使える者が何人かいるのですよ。何かの時に、王族をお守りする為に」
 驚いた様子を隠せないでいるセルレインに、彼は自嘲的な笑みを向けた。
「もっとも、この力は肝心な時に役立ちませんでしたがね。私達は、神殿長の命により王族の寝室から遠い塔の一室で、各々仕事を頼まれていたのです。異変を感じた時にはもう……」
「神殿長」
 悔しげに吐き出される言葉の中の、その名を耳にした途端。セルレインの脳裏に、ミレーネを刺した男の後ろ姿がよぎる。あの時、消えた背中。あれは、神殿長ディムスのものではなかったか。
「ディムス?」
 微かな呟きを耳にとめ、アルスは黒眼を細く眇めた。それから、先程の自分の魔術を受けて、生き残った男達の方へ眼を向ける。
「セルレイン」
 厳しい調子で名を呼ばれ、セルレインは顔を上げた。先程まで自分が跨っていた絶命した馬の向こう側から、ゆっくりと歩み寄って来る人影がある。
 明け方の薄い光の中に、禍々しく赤い輝きがあった。それは、近づいて来るその人の左の瞳の中で、爛々と憎しみの色を灯している。
「あなたは、魔族と契約して力を手にしたのか」
 低く、感情を押し殺したセルレインの声に、彼――ディムスはにやりと笑みを浮かべた。狂気を孕み、醜く歪んでしまった笑みだ。
「契約ではありませんよ。『受け継いだ』のです。我が最愛の人からね」
 唇を噛み締め、ただ、彼を睨み付ける。それが、セルレインに出来る唯一だった。
「四年前。私が神殿長に就任する少し前の事です。将来を誓った女性を奪われました。魔族であるというただそれだけの理由で、彼女を殺した者には何一つ咎めはなく。彼女は私に己の力を託しました。彼女の真意は復讐ではなかった。けれど私は、復讐を心に決めたのですよ。この腐りきった世界を創り変える為に」
 そのために、まずはこのファルクを手中に。そう呟く彼に、アルスは哀れむような眼を向けた。それには気付かず、ディムスはセルレインに濁った眼を据える。
「初めはあなたを操るつもりでした。けれども、想像していたよりずっと、あなたは賢かった。だから、筋書きを変更したのですよ。王族を謀殺し、あなたを王に据え、ロザリー様を側室とし、ファシナス様が実権を握るという、ね。セルレイン様、今からでも遅くはありません。私と共に」
「断る。忘れたわけではないのだろう? あなたは姫を手にかけた」
 ディムスの言葉を遮り、叩き付けるようにそう言うと、彼は得たりとばかりに微笑んだ。
「忘れてはいませんよ。私は確かにあの時、姫を刺しました。息はまだありましたが、死に至る傷でした。それが、何故」
 セルレインが抱きかかえるミレーネに、ちらりと視線をはせてから、彼はもう一度唇を笑みの形に歪める。
「何故、生きておられるのでしょう?」
 奥歯を噛みしめ無言のまま、怒りの燻る黒眼でセルレインはディムスを睨み付けた。
「互いの血を飲み交わす、『契約』を行ったのでしょう? 城に知れない力など、恐るるに足りないと思っていましたが、その逆だった様ですね。とぼけても無駄です、セルレイン様。今のあなたからは、抑えようのない力を感じますから」
 心を、無理矢理に押え込んだような瞳でディムスを睨んでいる彼を、気遣うようにアルスが見つめている。柔かい微笑みをちらとアルスに向けてから、セルレインは神殿長に低く問うた。
「世界を創り変えるとはどういう事だ?」
「魔族が差別されない世界ですよ。それを創るのです。そして、力を持たぬくせに、数で世界を支配する人間共に思い知らせてやるのです」
「それでは、何も変らないな。仮に成功したとして、立場が逆になるだけだ。いつか、また。あなたと同じように考える人間が現れるだろうね」
 あきれた様子も露な口調で言い捨て、彼は大きく息を吐いた。
「私が仮に魔族だったとして、一体誰がそれを信じるのかな?」
「簡単な事です。誰かがあなたを告発する。あなたはあなたの名誉の為に、魔力干渉のできない装置へお入りになる。それで、全てがわかります。その後で、私の瞳を告発しても、誰もあなたを信じないでしょう」
 ディムスは嘲笑めいたものを浮かべ、大仰な身振りでセルレインへ手を差し伸べた。
「選べる道は二つしかないのですよ。こちらへ来るか、殺されるかのね」


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第四章.瓦解 ―6― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

 その場にそっとミレーネを横たえて、放り出してあった剣を手に取る。強く剣を握りながら素早く立ち上がって彼が振り返るのと、各々の得物を手にした男達が部屋になだれ込んで来るのが同時だった。
「貴様らは、誰の手の者で誰を狙っている?」
 幾分か冷静さを取り戻していたセルレインは、彼らに正面から瞳を見せない様に神経を使いながら、厳しい口調で問いただす。
「さぁな。狙いはそこのお姫様だ。おまえについては命だけは取るなと言われている。安心していいぜ?」
 その言葉に、セルレインはびくりと身体を硬直させた。ミレーネを殺し、セルレインを生かしておいて得になる人物として思い浮かぶ者は一人しかいない。彼の側室にと定められたロザリーの兄。――ファシナス。
「そ、んな。ファシナス様が?」
 怒りと悲しみが同時に湧き上がり、胸が苦しい。混乱する心を抑えようと、セルレインは空いている左手を強く握りしめた。冷えてゆく心とは逆に、何故か燃えるように耳が熱くなる。
「俺達は魔術も使えるんだぜ? 抵抗しても無駄なんだから、大人しくお姫様を渡しな。そうすりゃおまえには手を出さない」
 高圧的に言い放つ男達に、不思議な哀れみを感じて彼は唇を歪めた。彼らには、魔力を封じていない自分の気配を感じる力すらないのだ。
「ファシナス様が」
 両親の暗殺にも、彼が関わっていたのだろうか。頭の中で否定しかけて、セルレインは脱力したように息を吐いた。今回の事と四年前のそれとが無関係だと思えるほど、彼はおめでたい性格ではない。
 項垂れたまま動かない彼の心情をどう解釈したのか、男達は無造作にセルレインに近付いて来た。
「来るな」
 囁くように吐き出された言葉を無視したのか、あるいは聞こえなかったのか。彼らは無防備にセルレインの横を通り過ぎようとする。
「姫に」
 低く、唸るようにセルレインが再び口を開いた。背筋の凍るようなその声音に、彼らの動きが一瞬止まる。
「汚れた手で、姫に触れるな」
 激したふうでもなくそう呟くと、彼は男達の間をすり抜けてミレーネの脇に膝をついた。妻の呼吸は、先程よりもずっと落ち着いている。
「先程の答えだ」
 意識のないミレーネを左肩に担ぎ、セルレインはゆっくりと立ち上がって剣の切っ先を彼らに向けた。
「姫は私の妻だ。守るべき人をおまえ達の手に渡せる程、私の騎士としての誇りは地に落ちてはいない! それでも姫を奪うというのなら、かかってくるがいい」
 無論、彼らはそのつもりだ。ある者は得物を手に。又、ある者は魔術を武器に。十数人が一度に動く。
「っ?」
 そして、一瞬の後、彼らは息を飲んで凍りついた。
 凛としてあげられたセルレインの、双眸の色。強い眼差しを放つその瞳の色。それは、魔族と称される者にのみ与えられた、忌むべき色だったのである。
「何だと?」
 男達はひどく狼狽し、食い入るように彼の瞳を見つめた。ロイスダール公爵家に、紫眼の者が産まれたとは聞いた事がない。
「どういう、ことだ」
 強張った面持ちで唾を飲み込みながら、尋ねるともなく口々に同様の言葉を放つ彼らに、セルレインは感情の抜け落ちた瞳を向けた。
「見ての通りだよ。私は魔族だ。それを知っている者は、もう、この世界に一人しかいないけれどね」
 穏やかな笑顔で彼が言うと、皆一様に息を飲み、身構える。殺気を感じない相手に、これ程の恐怖を感じるのは初めてのことだった。
「畜生!」
 何かの糸が切れたように、一人がセルレインに斬りかかる。それを合図にしたように、他の者も各々の方法で襲いかかって来た。
【我、心の深きに住まう、闇の精に命ず!】
 紫銀の光がセルレインに絡みつき、その周囲に風がまく。彼はゆっくりと腕を突き出して、優美に微笑した。
【この者達の心を壊せ】
 闇の精霊は彼の命令に忠実に従い、男達を包み込む。その心を闇で覆い、記憶から何から全てを喰らい尽くすのだ。精霊が彼らのあるべき世界に去った後には、全てを忘れ、己の名すら思い出せぬ哀れな男達が残される事になる。
「はっ」
 短く息を吐き出したセルレインの表情は、形容しがたいものだった。必死で涙を堪える反面、唇が奇妙に歪んで笑いを堪えているかのようにも見える。
 ――レイルドがこの世を去ってから後、一番に彼を助けてくれたのはファシナスだった。それは、罪滅ぼしだったのか、策略の一端であったのか。前者だと信じたいが、彼の心は麻痺してしまったのだろうか。うまく考えがまとまらない。
「私は、何も気付かずに」
 やがて、倒れている男達を見下ろして、彼は哀しげに息を吐いた。
「信じて、いたのに」
 瞳の色を変えるための呪文を口にしながら、セルレインは大きく足を踏み出す。
「どうして」
 焦点の定まらぬ虚ろな瞳のまま、部屋を後にする彼の頬を、零れ落ちる涙の雫が濡らしていた。


 ミレーネを抱え庭園の方へ向かうと、ロイスダール公爵家騎士の隊長を勤める男が心配そうな表情でこちらを見ていた。彼はセルレインを見とめると、ほっとしたように全身の力を抜き、走り寄ってくる。
「姫様は、いかがされましたか」
「心労が重なっただけだろう。心配ない。気を失っているだけだ」
 言う途中で、彼はミレーネが薄い夜着一枚の姿でいる事に気付いた。はおっていたマントを脱ぎ、それで彼女を包み込むようにしてから改めて隊長の顔を見る。
「私の手で、姫を安全なところへ連れて行きたい。城から全ての者が外へ出たら、火を放っても構わない。残らず賊を捕らえてくれ。黒幕はまだわからないが、首謀者はファシナス様だと思う。その話を聞いた奴を、詳しく問いただす前に気絶させてしまったんだ。捕らえて確たる証拠を掴んで欲しい」
 一気にそう吐き出してから、セルレインはすまなそうに眼を伏せた。
「アスファ。後の事を頼む」
「心得ました。セルレイン様は、どちらへ?」
 彼が産まれるよりずっと前からこの家に仕えていた騎士隊長は、わずかに微笑んで問う。
「王城へ。アルス=エルクに姫を預ける」
 短く答えながら、彼は馬を探して視線を彷徨わせた。そして、近くにいた馬の手綱を引きそれに飛び乗る。自分の馬ではないが、長い距離を走るわけではないので、別段気には留めない。
「すぐに、戻る!」
 そう叫びながら、彼は力任せに手綱を引いた。


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第四章.瓦解 ―5― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

 そう言いながら彼は、右手で懐を探り銀色の短剣を取り出す。ミレーネは大きな緑の瞳を見開いて、鞘を払うディムスの手元を見つめた。そうすることしか出来なかった。銀の刃が燭台の灯りを受けて、白く、赤く、光を放つ。
「永遠にお眠りなさい。ミレーネ姫」
 ここへ来て、ようやく逃れようとする彼女の目前に、ディムスが素早く間合いを詰めた。咄嗟の事態に慣れていないミレーネには、神聖魔法で身を護るというような行動が取れない。目前に迫った危機に対して、どう対処して良いのかすらわからないのだ。
「セルレイン様!」
 悲鳴の代わりに夫の名前を小さく叫び、ミレーネは固く眼を閉じる。吸い込まれるように銀の刃が彼女の左胸を貫いた瞬間――。
 乱暴に扉が開け放たれた。驚く様子もなく、ディムスは短剣を引き抜き、小声で呪文を唱える。
「貴様……」
 殺気を漲らせてこちらに向かって来るセルレインを振り返る事なく、彼はその姿を消した。短剣を抜かれた傷口から多量の血を溢れさせ、ミレーネが床に沈む。
「姫!」
 出血のショックで身体を痙攣させているミレーネを抱き起こし、彼は唇を噛んだ。彼女の意識は既になく、危険な状態だった。廊下を駆けてくる途中で、魔術によって深い眠りに落ちている衛兵達を眼に留めた瞬間よりも、彼の鼓動は逸っている。開け放たれたままの窓から吹き込む風が頬を撫ぜ、その冷たさに彼は身震いをした。
「あの男は」
 奥歯が鳴る程に強く歯を噛みしめて、セルレインは昏い炎を瞳に灯す。その間にもミレーネの体内の血液は、心臓が脈を刻むよりも速くに失われてゆく。
(許さない)
 脳裏に刻まれた中背の男の後ろ姿にそう呟き、彼はミレーネの白い頬に触れた。血の気が失せ、蒼ざめた頬は冷たくて、彼の背をも凍らせる。
「姫」
 それは、四年前のあの日と同じ想いだった。哀しいのか、悔しいのか。それとも恐ろしいのか。区別のつかない緩慢な心。
(また、間に合わなかった)
 自分がどれほど強い力を持っていても。誰しもが認める剣の腕前であっても。肝心な時、そこにいなくては意味がないのだ。
 かみ締めていた唇を緩め、セルレインは水の精霊の力を借りて、彼女を癒すための呪文を唱えた。ミレーネの傷口が塞がってゆくが、意識は遠く戻らない。それどころか、生命の光が急速に薄れて行くのがわかる。
「姫っ!」
 無我夢中で、彼は呪文を唱え続けた。けれども、その腕の中で、彼女の息は細くなるばかりだ。
 セルレインの瞳が淡く紫に揺らめき、印を結ぶ手には紫銀の光が集う。やがて彼は呪文を止め、きつく妻を抱きしめた。弱々しい脈が伝わってくるものの、もう殆ど息がない。
 絶望に包まれた彼の胸に、ひとつだけ思い浮かぶ光があった。しかし、それを実行すべきなのかひどく迷う。もしも、目覚めたミレーネが拒絶を示したら――きっと自分は生きてゆけない。
 彼は、永遠に彼女を失ってしまう恐れと、拒絶される恐れとを無意識に比べていた。どちらの恐れも深く、哀しくて、セルレインは自嘲的に唇を歪める。
 迷っている時間などないのだ。今ならば、『まだ』間に合う。
「許して欲しい、姫。もしも、この生命を君が拒むなら。その時は、私が決着をつけるから」
 ミレーネはぐったりと彼に身を預けていた。腕の中の彼女を見つめ、セルレインは切ないばかりの声音でそう囁きかける。彼は騎士剣を抜き、妻の背に回した左手で彼女の手を取ると、刀身の柄に近い部分で甲に浅く傷を付けた。
 じわりと朱いものが滲み出す。彼は傷口に唇を押し当て、溢れる血液を舐めとるようにして飲み込んだ。
 誰から教わったわけでもない、魔族の『血』が伝える『記憶』。それは、人間に力を与えるための『儀式』だった。力を欲する人間の生命を代償に、己の力の一部を生命として与える。その儀式によって、死にゆく者の魂を繋ぎ止める事も可能だ。その場合は代償となる生命が希薄なため、魔族にかかる負担は大きくなる。故に大きく力を削がれることとなるし、何人もに儀式を行うことも出来ないのだ。
(目覚めた姫がこの瞳の色を見て、もしも侮蔑や嫌悪の表情を浮かべたなら)
 その時は、何も告げずに眠りの魔術を唱えよう。そう決意して、セルレインは左手に剣を持ち変えた。剣に己の右手を押し付けて、甲に傷をつける。
 滴る血を口に含んでから、ミレーネの顎に手をかけて唇を押し開いた。
(もう、失いたくないんだ)
 眼を閉じて、彼は妻の唇に己のそれを重ねる。半身を起こすようにして血を飲み込ませると、セルレインは騎士剣から手を離して小さく何事かを呟いた。
 その瞬間。紫銀の光がミレーネを包み込む。光は、ゆっくりと彼女に吸い込まれて行った。
 やがて、光が消えた後――。弱々しくはあるものの、妻の息は先程よりも安らかなものになっている。ほっと息をつき、一瞬だけ表情を緩ませたセルレインだが、すぐにその紫眼を鋭く尖らせた。


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