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4.残酷な記憶 ―5― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 申し訳程度に扉を叩く音がする。それとほぼ同時に扉が開いて、重い靴音が響いた。その気配から訪れた相手を察し、扉に背を向けていてたリギアは億劫そうに寝返りを打った。
 起き上がる気力はない。色々と考えを巡らせていたせいもあり、熱があがったようなのだ。ぼやけた彼の視界に、長身の男が映りこむ。
「熱がぶり返したようだな?」
 これが、彼の本来の口調なのだろう。力強く、有無を言わさぬ雰囲気を孕んでいる。
 彼は、冷たいようなそれでいてどこか暖かい眼差しをリギアに向けた。
「昼に食事をとった後、もう一度薬を飲んだほうがいいな」
「いや、いいよ。あの薬、高いだろ? 本来なら俺なんかが口にすることはない類のものだ」
「気にする程でもない、黙って飲んでおけ。これでも多少の負い目は感じているのだ」
 言葉とは裏腹な口調で、胸を張ってそんなことを言う。リギアは彼に気取られぬよう、こっそりと嘆息した。
「それで、用事は何だ?」
 訝るような視線をリギアに向け、リイルアードは眼を細める。
「ああ。俺は機を見て姿を消そうと思っている。だから、その後のことを頼む。けれど……あと少しだけでいい。もう少しだけ、あいつの傍にいたいんだ」
「急がせるつもりはない」
 ぽつりと呟いてから、はっとした様子でリイルアードは曖昧に微笑んだ。
 リギアが去る事はラティアを傷つける事と承知している。彼と行かせるわけには行かないが、彼女を傷つけたくはない。その矛盾した想いに、リイルアードは苛立ちを覚えていた。
 彼女を連れ帰ることは、必至だ。
 ラティアに反逆者の汚名を着せない為に。エヴァランス公爵家を守るために。そして、王国の均衡を守るために。
 当然の事をしているという自負はある。しかし、何故か後ろめたい思いもあった。
「婚礼の準備に間に合えば、それでいい」
 確かな気遣いを彼の声音の中に聞き、リギアは眼を見開いた。それからゆっくりと唇に笑みを刻む。
「あんた、供もつけずにほっつき歩いていいのかよ。ラティアが失踪したって騒ぎになったと言っていたが、あんたが失踪するほうが騒ぎになりそうだ」
 からかうような調子を含むその声に、リイルアードはにやりと笑みを返した。
「問題ない。信頼の置けるもの一人だけに、置手紙をしてきたからな。今頃はやつが必死になって、私の不在を伏せているはずだ。こんな時は、王族が滅多に人前に姿を見せないという我が国の習慣を便利に思う」
 口調から察するに、リイルアードが置手紙一つで姿を眩ますことは珍しくないのだろう。リギアは面識もない、王子の側近達に軽く同情を覚えた。
「何を考えているか、手に取るようにわかるぞ、リギア」
 憮然とした面持ちでリギアに声を掛けてから、リイルアードは小さく独白する。
「このような事が許されるのも、私が『王子』である今だけだ。即位した後は、全くの自由を奪われた生活を覚悟している。だからこそ、やつらも私の愚行を見逃している」
 言葉に出してしまってから、彼は不思議そうに眉をしかめた。
「何故、貴様にこのような話をしているのだろうな」
 己のした事ながら腑に落ちぬと首を傾げているリイルアードに、リギアはおもむろに真剣な眼差しを向け口を開く。
「リイルアード。あんた、ラティアのことが好きか?」
「ああ。それは、間違いない」
 即座に返って来た言葉に、リギアは微笑み頷いた。
「ずっと傍にいてやってくれな。俺にはもう、出来ないことだから」
 その言葉の重さに、リイルアードは怪訝そうに眼を細める。けれども、深く訊くことはしなかった。……否、訊けるはずもないのだ。
「何者からも彼女を守る。この剣にかけて、誓おう」
 だからこそ、彼はただ、それだけを口にした。

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4.残酷な記憶 ―4― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 扉の軋む小さな音に、浅いまどろみの中を漂っていたリギアの眉間に僅かな皺が刻まれた。運ばれてきた食事を胃に流し込み薬を飲んだ後、戻ってこないリイルアードを待っているうちに眠ってしまったようだ。
 欠伸をしながら寝返りを打ち、彼は身体を扉の方へ向けた。
 薬のおかげだろうか。何を考えるのも億劫だった頭が、随分とすっきりしている。飲まされた薬はさぞかし高価なものなのだろうと、頭の隅でちらりと考えた。
「リイルア」
「少しは熱が下がったかい?」
 礼を言おうとした彼の言葉に重ねて、リイルアードがそう問うて来る。その口調が、あまりにも先程とは異なっていてリギアは怪訝そうに眉を寄せた。しかし、まだぼんやりとしている思考でも、すぐにそれが何を意味しているかに気付く。
 誰かがいるのだ。猫を被った、好青年風の話し方をしなくてはならない相手が。
 このまま正体を暴露してやるのも面白そうだ、などと思わず考えるリギアだったが、恩義を感じていたこともありどうにか言葉を堪えた。
「おかげさまで、助かった。さっきはろくに礼も言わないで悪かったな」
 当たり障りなく礼を言いながら、リギアはゆっくりと半身を起こす。
「気にすることはないよ。それよりも、まだ薬で熱が下がっているだけなんだから横になっていたほうがいい」
 穏やかな好青年の仮面を被る王子の、隣に立つ少女を見てリギアは一瞬表情を凍らせた。それに気付くことなく、少女――ラティアは心配そうな顔でリギアを覗き込む。
「大丈夫? 朝になっても帰って来ないんだもの。心配したのよ。アスエル達も心配してたわ。ついさっき、高熱を出して倒れているってリールが知らせに来てくれて」
 ラティアの手が、慈しむように優しくリギアの額に触れた。鋭い刃物の切っ先で突かれたかのように胸が痛む。呼吸までもが浅く苦しくなり、リギアは固く眼を閉じた。
「じゃあ、僕はしばらく階下へ行っているよ。用事があったら呼んでくれ」
 リギアの心境などわかるはずもなく、優雅な微笑みを残しリイルアードが部屋を立ち去る。
「熱は、だいぶ下がっているのね?」
 少女の、冬の大気に凍えた冷たい指先が、彼の額から頬へ滑っていった。寝台が僅かに沈み込みリギアが眼を開けると、ごく近くにラティアの顔が見えた。
 彼の涙に濡れた瞳を熱のせいと合点し、少女は気遣うような表情を深める。頬に触れていた手をリギアの首筋にあて、彼女は強い口調で訴えた。
「無茶なこと、しないで」
 熱をもった首筋に、彼女の冷えた手が心地良い。眼を細め、リギアはどこか自嘲的に唇を歪めた。
 胸を締め付ける、どうしようもない想いの理由は二つだ。心を押しつぶしてしまいそうな強い悔恨と、罪悪感。そして、虚しさ。
 リギアは少女を見つめながら、何度か唇を開閉させた。
 何か話そうとして、言葉にならない。そんな様子の彼を、ラティアは戸惑った表情で見つめ返す。
(離れなくては)
 決して離すものかと。そう誓った相手を沈黙したまま見つめながら、リギアはそう強く思った。その反面で、何も告げずに彼女を連れて逃げてしまおうか……そんなことも考えてしまう。
 反逆者として追われるだけならば、それはそんなに恐ろしい事ではない。バルゼ国まで逃れてしまえば、きっと大丈夫だろう。ラティアが望むのならば、そうしても良い。
 しかし、それが甘い夢に過ぎない事を彼は良く理解していた。彼を追う組織は、裏切り者を決して赦しはしない。二つの組織に追われることになるのだ。逃げ場は少なく、平穏な暮らしなど望めないだろう。
 双眸を伏せ、彼は唇を噛みしめた。苦しげに歪む表情に、ラティアが益々心配そうに眉を寄せる。
「どこか痛い? リギア、横になっていたほうがいいよ。ね?」
 リギアは小さく首を横に振り、心配ないからと言いながら弱々しい笑みを浮かべた。彼女と再び出会った日のことを思い返し、その笑みが微苦笑へと形を変える。彼は、あの日に少女が浮かべた昏い表情を心に刻み込んだ。
(俺には迷う資格すらないんだ)
 心の中でそう呟きながら、彼の腕はラティアを抱き寄せている。その腕の思わぬ力強さに、ラティアが驚いたように身を竦ませた。
「リドルをどうしても探したいか? なぁ、このまま二人で遠くへ行ってしまっては駄目か?」
「リギア?」
 ラティアは大きく眼を見開いて、言葉を失ってしまう。彼女は、彼の懇願するような口調を初めて耳にしたのだ。
 戸惑いを隠せずにいるラティアを、彼は更にきつく抱き締めた。
「二人で、遠くに行こう。ラティア……」
 涙が、零れ落ちた。
「熱、あるよ、リギア」
 リギアが額を押し付けている右肩が、熱く湿っている。ラティアは彼が泣いていることを悟ったが、気づいていないように振舞った。
 彼の金の髪を指で梳き、それからきつく抱き締め返す。
「リギア。今すぐにこの国を出たいのならば、それでもいいよ?」
 己の胸の奥から込み上げてくる想いを、必死で押さえ込みながら彼女はそう呟いた。
 その言葉に、はっと我に返ったリギアが閉ざしていた眼を開く。そして、幸せそうに微笑んだ。その言葉だけで、もう何も望むまいと彼は心から思ったのだ。
「ごめん。何か、少し混乱している。たぶん、熱のせいだ。大丈夫、リドルを探そう。今すぐに逃げる必要なんてないんだ」
 ラティアは一瞬、怪訝そうに眉を寄せた。彼の言葉にどことなく、奇妙な違和感を感じたのだ。しかし、熱が高いせいだろうと、深く追求することはしなかった。
 ラティアを離し、その頬に軽く口付けてから彼は優しく微笑んだ。それから、表情を一転させて真剣そのものの顔になり、言葉を紡ぐ。
「ラティア。好きだ。俺は、おまえのことを愛している。……何があっても。例え、何があっても、それだけは、どうか信じていて欲しい」
 淡く頬を桜色に染めて、ラティアは嬉しそうに笑った。
「うん。信じてる。ずっと」
 リギアは再び溢れそうになる涙を堪えながら、唇に自嘲的な笑みをはりつける。
 仮に、真実を隠しとおして、ラティアと結ばれたにしても。幸せになどなれないだろう。真実は変えられないものだ。隠されていた真実を、もしも知ってしまった時には、隠していた時間の分だけお互いの傷が大きくなるだけなのだ。
 だからこそ。そうなる前に、自分は消えなくてはならない。
 屈託のない笑みを向けてくる少女を見つめながら、そう決意を新たにする。
「ラティア。アスエルを呼んでくれないか? 二人で話がしたいんだ。ついでにリールにも声を掛けてくれ」
 そう頼んでくるリギアの瞳がいつものもので、様々な感情が揺れ動く彼を、心細いような思いで見つめていたラティアは明るく頷いて見せた。
「わかった。行ってくるよ。アスエルがこっち来るなら、私はルフィと一緒にいるね。後で、また来るから、ちゃんと休んでいてね?」
「ああ、大丈夫だ」
 笑顔を残し去って行くラティアの後ろ姿を見送りながら、彼は心の内でひっそりと呟く。
(けれど、どうかお願いだ。もう少しだけ、共に歩ませてくれ)
 ゆっくりと身を倒し眼を閉じる彼の脳裏に、淡い緑の、澄んだ瞳の色がやきついて離れなかった。


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4.残酷な記憶 ―3― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 途切れることなく溢れ出す涙を拭いもせず、ラティアは弱く微笑んだ。その表情はあまりに危うく、彼は言葉を詰まらせる。
 己の保身のために重ねてきた発言が、どれほど彼女を傷つけていたのかを彼はようやく悟ったのだ。
 いつでも己に向けられていた、心を映したかのような清廉な眼差し。それが、打ちひしがれた様子の彼女に重なる。
「ごめん、リギア。もう、変なこと言わない。だから、いなくならないで。たまには、吟遊詩人として、家に来て。もう、困らせたりしないから」
 眼を合わせることも出来ない様子で、言葉が終わる前に彼女は踵を返していた。
 扉に向かう後ろ姿に、わけもなく彼の胸が締め付けられる。
「これでいいんだ」
 そう呟きながら、言葉とは裏腹に彼の腕は動いていた。自分では意識しないままに、去ろうとする彼女の腕を掴んだのだ。
 ラティアは身を竦ませ足を止めるが、泣き顔を見られたくないのか振り返ろうとはしなかった。
「違うんだ。おまえのほうこそ、わかってねぇよ。俺が、どんな想いでいるのか」
 そう言うリギアの表情に、一瞬、後悔の念がよぎる。
(俺は大馬鹿者だな。せっかくうまく行きかけたってのにな)
 けれど、もういい。きっと、心は偽りきれない。その証が、今、彼女の腕を掴んでいる己の手だ。
 そう思い直し彼は自嘲的に頬を歪め、ラティアを引き寄せ背後から抱きしめた。
「認めたくなかった。ぬくもりなんて、俺には必要ない。俺は一人でいい。優しさを知ってしまったら……約束を交わしてしまったら、二度と一人では生きて行けない。俺は、とても弱い人間なんだ。どうしようもなく弱いことを自分でわかっているんだ。他人のぬくもりを手に入れたら、きっと離せなくなる。けれど、永遠に変わらないものなんて皆無に等しい。ならば、俺は何も要らない。何も望まない!」
 背中に伝わるリギアの鼓動が、僅かに速い。それが、何故だかわからないラティアの鼓動もつられたように速くなる。
「ラティア、俺は、おまえのことが好きなんだ」
 リギアの腕の中で硬直していたラティアは、唐突に告げられた言葉に目を見開いた。
「いつからかなんてわからない。気がついたら、いつも思うのはおまえだった。もしかしたら愛情とは違うのかもしれない。おまえが、俺の心の内にある闇を埋めてくれるからなのかも知れない」
 ラティアは微かに震える彼の声を聞きながら、息苦しさを覚えるほど強く自分をかき抱くリギアの腕に身を委ねる。背中に彼のぬくもりを感じながら、ゆっくりとまばたきし大きく息を吸い込んだ。
「俺がおまえを想うのと、おまえが俺を想うのは、違う形だと思っていた。おまえは、いつか必ず俺から離れて行くだろう。だったら、初めから拒絶したほうが楽だ」
 いつの間にか涙は止まっていた。頬に残る雫を払うラティアの耳元に、身を屈め唇を寄せてリギアは独白を続ける。彼の言葉と共に吐き出される吐息が、彼女の髪を揺らし耳朶を撫ぜた。今までにない程、近くに彼の存在を感じてラティアの頬が上気する。
「でも、今、思い知った。離れて行かれるのは嫌なんだ。離さない。離れないでくれ」
 ラティアは静かに身じろぎし、己を抱き締める彼の腕に手を添えた。
「私の想いは、私だけのものよ。いくらリギアにだって、決めて欲しくない」
 僅かに天井を仰ぐように顎を上げながら、彼女は双眸を閉じる。唇から零れ落ちた言葉は、弱々しく掠れていた。
「憧れなんかじゃない。リギア、あなたが好きよ」
 微笑と共に告げられた言葉に、彼女を抱き締める腕に力がこもる。
「ラティア。傷つけて、すまない」
「もういいよ。大丈夫。リギア、本当のこと言ってくれたもの」
 瞳を開き、静かにラティアが答えた。リギアはやや乱暴に少女の髪を撫でながら、喉元だけで笑い声をあげる。
「早く、大人になれよ」
 その調子には、先ほどまでの重苦しさはなく、全くいつも通りの彼だった。頬を上気させリギアの腕を振り解いたラティアが、唇を尖らせながら身体を反転させる。
「それ、どういう意味? 昼間は、もう嫁に行く年なんて言ってたくせに」
 見上げる先に、楽しそうなリギアの瞳があった。怒りを込めた視線を保ちたいラティアだったが、優しく細められたその瞳につられて破顔してしまう。
「世間一般では嫁に行く年だろ。でも、俺はもうちょっと育っていたほうがいい」
「ひどいっ」
 頬を軽く膨らませたラティアを改めて抱き締め、彼は小さく笑った。その背に、ラティアもそっと腕をまわす。
「私、そろそろ帰るね」
 ああ、と応じたはずのリギアの腕が、いつまでも彼女を解放しない。ラティアは困惑したように小首を傾げ、すぐ近くにあるリギアの瞳を仰いだ。
「もう少しだけ、このままでいてくれないか?」
 見つめ返しながらそう囁くと、たちまちラティアの頬が朱に染まる。
「う、ん」
 紅潮し、熱をもった頬を隠すように、彼女は俯いてリギアの胸に額を押し当てた。


 夢に見るのは、幸福なかつての残酷な記憶。
 熱に浮かされ、無意識に戻りたいと願った日々の断片。
(おまえは俺を憎むだろう。もう二度と、俺に笑いかけることもないんだろう)
 ゆっくりと意識が覚醒していく中、彼の頬に冷たい雫が幾筋も零れ落ちていった。


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4.残酷な記憶 ―2― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 窓辺に身を寄せ、冴えた月を仰ぎながら、青年はひとつ大きな息を吐いた。部屋の明かりは消してある。蒼白い月明りだけが、室内と彼とを照らしていた。
『私じゃ、あなたの心を癒せないのかな』
 昼間、彼女が言った言葉だ。
 腹立たしいような思いで、彼はそれを反芻していた。あの少女は、何故こんなにも無防備にこのようなことを言うのだろうか。いつかきっと、彼女は彼女に相応しい相手の許へ嫁ぐのだろうに。
 言葉を遮った後、ラティアは一言も口を利かなかった。傷つけてしまったことは承知している。
 リギアは軽く息を吐いて、思いを振り切るように首を振った。
 ラティアを改めて見つめた時、彼は彼女に囚われてしまった。幼い少女であったはずの彼女は、いつの間にか変貌を遂げていた。あまりに近しい場所にいたためだろう、彼は緩やかに変わり行く彼女に気づかなかったのだ。
 そして、確かな変化は突然のように彼の眼に映った。彼女の浮かべた少女らしい笑みに、彼はひどく狼狽した。
(自分が傷つかないための、予防線をはっただけだ。ラティア、俺は、そういう男なんだ)
 心の中で呟いて、リギアは大きく窓を開け放った。春先のやわらかく快い風が流れ込み、彼の長い金髪をなびかせる。
「リギア!」
 己の名を呼ぶ小さな声が聞こえ、リギアは目を見開いた。紛れもなくその声の主はラティアであり、その姿は見えないが近くにいる事はわかる。大きく嘆息しながら、彼は夜闇に向けて言葉を放った。
「馬鹿か、おまえ。年頃の娘がこんな時間に出歩くもんじゃないぞ」
「だって、色々考えていたら眠れなくて。どうしても、伝えたいことがあったし。このくらいの時間にリギアは良く竪琴を奏でているでしょう? だから、まだ起きていると思って」
 全く悪びれる様子もなく、ラティアが窓の下から顔を覗かせた。リギアのために用意された客室は一階にあるので、爪先立つような格好になれば地に立って覗き見ることも出来る。
「明日だっていいじゃないか。こんな時間に男の部屋に来て、変な噂でもたてば困るのはおまえなんだぞ」
「眠れなかったって言ったでしょ。胸の中、もやもやしてて駄目なの。リギアのせいでもあるんだからね! 話、聞いてもらおうと思って」
 ラティアの言葉を聞いていると、明らかにその前の彼の言葉が耳に入っている様子はない。リギアはこめかみの辺りを指先で押さえ、再度嘆息を漏らした。
 こんな時間にこんな場所で。話しているところを、誰かに見られるわけにはいかない。かといって、彼女を部屋に招き入れることもはばかられた。
 どうしたものかと暫し考えた後、彼は少女に手を差し伸べる。そして、周囲を素早く見回すと、軽々とラティアを抱きあげて室内に降ろした。
「少しは周りの目も、気にしろよ」
 我知らず、幼い子供を叱り付けるような口調になる。ラティアは素直に頷いて、小さく笑みを浮かべた。
「少し考えたの。だから、ね。寝間着で来なかったのよ」
 胸を張り、どこか誇らしげにも見える彼女が纏うのは、麻で作られた部屋着だ。実のところ、寝間着とあまり変わりばえはしない。
 大袈裟に溜め息をついてみせながら、リギアは窓を閉めた。ちらりと周囲に視線をはしらせるが、誰かがいる気配はない。
「影が映るから灯りはつけないぞ」
 少女の視線が部屋の中央にある小さなテーブルの上――燭台に向いたのを察し、彼は無愛想に言った。転ばないように手を貸しながら、ラティアを部屋の扉側へと促す。
 椅子を勧めるでもなく、立ち尽くす少女を見つめていたリギアだったが、俯いたまま動かない彼女が哀れになり話を促した。
「何なんだ? その、話ってのは」
 ラティアは勢い良く顔を上げ、大きく息を吸い込む。乏しい光の中でも、彼女の頬が紅潮するのが見て取れた。
「あの、ね。たいしたことじゃないの。ただ、ただね、リギアに知っていて欲しかったの。リギアが私のこと、どう思っていても構わない。でも、私の気持ちまで誤解されているのは嫌だと思ったの」
 彼の薄い水色の瞳を見つめて、ラティアがゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私が今ここにこうしていられるのは、リギアのおかげよ。あなたに会う前は、次の冬なんて来なくていいって思ってた。でも、リギアに会ってからは、時が経つのがとても待ち遠しかったわ。次にリギアが来る時も、元気でいたいって。頑張れた」
「それは、おまえが頑張ったんであって、俺とは関係ないだろ」
「あるよ。きっかけをくれたのは、あなたなんだもの」
 彼を見上げる瞳はまっすぐで、穢れを知らぬかのように澄んでいた。
 答えを返せずに沈黙しているリギアを、ほんの少し悲しそうに見上げたあと、ラティアはきゅっと唇を噛みしめる。
「だからっ、伝えたかったのは、私の、心で」
 ふいっと目を反らすラティアの肩が、小刻みに震えていた。大きな瞳からは大粒の涙が零れ落ち、悟られまいと鳴咽を堪える様子が痛々しい。何故、心が伝わらないのかと、とても苛立っている心が手に取るようにわかった。
(違うんだ)
 リギアはその胸の内で、強く呟く。思わず彼女に手を差し伸べようとしている自分に気づき、リギアははっと我に返った。
 これでは突き放した意味がない。
 彼女の中で憧れが恋へと形を変えたことを、彼は知っている。けれども、認めるわけにはいかなかった。……彼が彼自身を保つために。
「でも! リギアには迷惑なんだよね」
 ラティアは彼女らしからぬ強い口調で、言葉を叩きつけるかのように放った。堪えきれぬ嗚咽が彼女の喉を震わせ、その頬には幾筋も涙の痕が残る。
 鋭い刃物で胸を抉られるような痛みを感じ、彼は唇を噛み締めた。
「違う。俺が言いたいのはそういうことじゃない。おまえのためなんだ。今、簡単にそんなことを言っちゃ駄目だ。後で絶対に後悔することになる」
 なだめるように言いながら、リギアの唇が次第に自嘲的に歪んでいく。
「そんなの、あなたが決めることじゃないわ! 迷惑なら、はっきり言って欲しかった。そうしたら、困らせたりしなかったのに」


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4.残酷な記憶 ―1― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 きっかけは、何だったろうか。
 初めて出会った湖が、とても美しかったことを覚えている。
「お兄さま、たてごとのおけいこをしていたの?」
 無防備にそう訊ねてきたのは、ひどい顔色の子供だった。けれども、その瞳だけは湖にも負けない程の美しい輝きを放っていて。
 魅き込まれるように、澄んでいた。少女と話しているうちに、鼻の奥がつんとしたことを覚えている。何故だろうか、飾り気のない少女の笑顔に涙が出そうになったのだ。
 それは、彼が生きてきた十七年の中で初めて起きた事だった。
 それまで潜めて閉じ込めてきた彼の心が、ゆっくりと溶け出した瞬間だった。

「ラティア……」
 吐息と共にその名を呟いてから、彼ははっと我に返った。覚醒していく意識を感じながら、視線を巡らせる。
 彼が横たわっているのは大きめの寝台のようだが、昨夜は宿に帰った覚えはない。しかも、寝具の質は良く目に映る天井には高価そうな装飾が施されていた。
 どう考えても宿泊代金の高そうな宿で、彼には縁がなさそうだ。
「……だりぃ」
 そこまで思考が辿り着くのに、ひどく時間がかかる。彼は溜め息と共に寝返りをうち、触り心地の良い寝具に頬を寄せた。柔らかい枕とふわふわとした掛け布団に、やはりどこか違和感を感じながら。
 身体がとても熱く、そして寒い。小さく身震いをした彼は、寝台から少し離れた位置にある長椅子に男の人影を見た。ゆったりと長椅子に身を横たえ、毛布を被って眠っているようだ。
「誰だ、てめえ」
 彼は唸るようにそう声を絞り出し飛び起きようとしたが、不意に眩暈に襲われて力なく寝台に倒れ込んだ。
「な、んで……」
 自分の身体が、自分のものでないような。不確かな感覚に彼は戸惑いを隠せない。そんな僅かな音を耳に留めて、長椅子の男は目を覚ましたようだ。
「それだけ、熱が高くてはな。動けないのも道理だろう。まぁ、自業自得というやつだな。しばらくは、大人しくしているがいい」
 低く不機嫌そうに告げてくる声には、聞き覚えがあった。我知らず、リギアは唇を噛み締める。
「おまえの様子が妙だったのでな、あの場所に戻ってみたのだ。そうしたら、おまえが眠っていた。降り積もる雪に半ば埋もれてな。どういうつもりかは知らぬが、死ぬのはやめてくれないか」
 凛とした声が、胸に痛い。ぼやける視界の隅に、銀色と見紛う金の髪が入ってきた。
「そのような去り方をされては、ラティアが気の毒だ」
「うるせぇ。こっちには、こっちの事情があるんだ。安心しろ、死ぬ気なんてない」
 リイルアードと視線を交わさぬようにしながら、彼は投げやりな言葉を紡ぐ。心なしむっとした様子で、リイルアードは大袈裟に溜め息をついて見せた。
「ならば、礼くらい言って見せてはどうなのだ? 私は貴様の生命の恩人なのだぞ」
「一応、そうするのが礼儀だろうな。ありがとよ」
 微塵ほども心のこもっていない礼を面倒くさそうに呟いて、リギアは自嘲的に笑う。
「ところで、何故、おまえはあんなところに倒れていたのだ?」
 心底、不思議そうにリイルアードが訊いてきた。
「おまえには、関係のないことだ」
 王子の質問に深い意味などはないのだろう。けれども、鋭く拒絶するようにそう言って、リギアは王子を睨みつける。
「何だと?」
 無礼な物言いに文句を言おうとして、リイルアードは思わず言葉を飲み込んだ。
 高熱で潤んだ彼の、薄い水色の瞳がひどく冷たい。表情は虚ろで感情を感じられないが、見据えられると背筋が寒くなる。
 我に返って、彼は曖昧な笑みを浮かべた。今、己がこの青年に対して感じた恐怖をごまかすためだ。
「人間にはな、話したくないことの一つや二つあるんだよ。王子様?」
 どこか、人を小馬鹿にしたような口調で、唇を歪めてリギアが言う。
「ふ。高熱で動きが取れない男が口にする言葉ではないな」
 リギアの纏う氷のような空気が和らいだ。それを受けてリイルアードも軽口を叩く。
 不機嫌そうに鼻に皺を寄せたが、それは真実だ。認めるしかなく、リギアは鼻を鳴らして彼に背を向けた。
「宿の者に言って、軽い食事を作らせる。食べ終わったら薬を飲め。おまえの体力次第では、今日の夜には回復するだろう」
 リギアの後姿に向けて言いながら、彼は扉の方へと歩を進める。そして、瞬時迷った後で、無愛想にけれども優しい声音で呟いた。
「昨夜はすまなかった。おまえの心をほんの少しも考えていなかった。即刻立ち去れ、というつもりではなかったのだ。ただ、彼女が私の説得に応じてくれた時には、どうか邪魔をしないで欲しい。それだけだ。私とて、彼女の意に反して彼女を連れ去ることは、最終手段と思っている」
 思いもよらぬ言葉を聞かされ、リギアは驚いて目を見開く。
「わかってるさ。『その時』に邪魔をする程、俺は馬鹿じゃないつもりだ」
 振り返らないまま穏やかにそう答え、どことなく悲しげに微笑した。


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天と大地と精霊と… 1.魔族編:目次 [≪目次:長編≫]

12/09 「1.プロローグ」更新しました。


天と大地と精霊と… Ⅰ.魔族編
第1章・光に選ばれし者 1.プロローグ
2.光に選ばれし者
3.心の華
4.混沌をもたらす者
5.霊峰の
第2章・姫君の願い
列伝1列伝3ネタバレ
1.幼さと無知
2.内に秘めたる我が魔性
3.姫君の願い
4.襲撃
5.再会
第3章・緋色の訪問者達 1.決意
2.どうして……
3.父の思惑
4.離反
5.緋色の訪問者達
第4章・深き森、昏き山の狭間で
列伝5ネタバレ
1.現れた者達
2.侯爵家へ
3.心
4.アークライト侯爵ザンディア
5.深き森、昏き山の狭間で



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第1章 1.プロローグ [天と大地と精霊と… 魔族編]

 新緑がちらほら目につくようになってきた。
 さわやかな日の事である。
 平均寿命が六十五歳前後。平均婚姻年齢が十五歳前後であるこの大陸。
 『クシュア』に春が訪れようとしていた--。


 王立学院ハウゼート。
 クシュア大陸の東方に位置する王国、バルゼ国内において最も優れた学院とされている。この王国の士官になるためには、ハウゼート学院を卒院することが絶対条件である。
 そのために、国内でも選りすぐりの頭脳、剣や魔術の資質を持った者のみが入学を許可される。早い話が、エリートを集めた学院なのだ。
 年の始めの進級試験をストレートにパスすることが出来れば、卒院までは五年間。
 しかし、四、五学年への進級試験、加えて卒院試験にストレートで合格する者は皆無に等しかった。
 魔術科、剣術科、神学科、と三つに分けられた学科があり、どの科も等しく難解ではあるが、入院・卒院の双方共が特に難しいとされているのは魔術科である。

 その魔術科の五学年生であるイーシェン=ファウリス=アークライトは、深々と溜め息をついていた。
 艶やかな黒の長髪に、濃い紫の瞳の美少年だ。
 九歳の時に入院し、現在十四になる。進級試験を難なくこなし、学院始まって以来の秀才と噂される少年であった。
「こんなところに、いたくないなぁ」
 整った唇から漏れる言葉が表すように、イーシェンは好きでこの学院にいるわけではないのだ。幼い頃の彼の夢は、魔術師と称される人に魔術を教えてもらう事だった。
 こんな所に来たかったわけじゃない。
 ただ、侯爵である父が、勝手に入学の手はずを整えてしまっただけなのだ。類まれなる才能の持ち主として、学院から是非にと強く薦められたために。
 自らも子爵の位を授かっている少年は、その美貌を曇らせて歩む速度を落とした。
「イーシェンったら、また言ってる」
 左隣を歩む、同じ五学年の生徒であるノエルが苦笑した。彼女は庶民の出身で、今年で十七になる。いわゆる結婚適齢期を少しばかり行き越しているが、当人は勉学の方が大事なのだと気にも掛けていない。
「最近、大陸の外の人間、こないよなぁ」
 二人の会話を聞いているのかいないのか、イーシェンの右隣を歩く四学年の生徒ファダは、抱えている本を落とさないように気を払いながら全く違う話題を口にした。彼も庶民の出身で、今年で十八だ。
「仕方ないよ、ファダ。僕が他大陸の者だったら、こんなきな臭いところには近付かないと思うもの」
(いますぐ、出て行ってしまいたいくらいだ)
 イーシェンは心の中でそう付け足した。
 大陸に八つある国の中で、優位とされる国は三国。その三国の内、最も強国とされているのがバルゼ王国だ。
 しかし、最近になって残り二王国が同盟を結んでいる。
 バルゼ王国を攻めるためであろうか。そんな憶測も飛び交う中、最南の国ファルク王国では謀反の末に王家の血筋が途絶えたとの話も伝わっていた。
 今は、この大陸全体に不穏な空気がたちこめている。同盟を結んだセフトとラーヤに、いつ攻め込まれてもおかしくない。この状況には、バルゼ王国で暮らす一般市民ですら怯えているのだ。
「イーシェン君」
 背後から呼ばれて振り返ると、白髪の男がそこ立っていた。
 イーシェン達が歩いていたのは、学院の学び舎から寮までを結ぶ簡素な石造りの渡り廊下だ。男は、その途中にある教職員達にあてがわれた部屋へ向かう別の廊下から現れた。
 年の頃、五十前後。くたびれた様子の男だが、この学院の長である。
「私に、何か御用ですか?」
 表情を強張らせて、イーシェンはそう返事をした。
「話がある。応接室まで来てもらえるだろうか」
「応接室ですか? わかりました」
 嫌な予感がして、イーシェンは眉間を僅かに寄せる。それから諦めた様子でファダに荷物を預け、学院長と共に応接室に向かった。


 椅子をすすめられて腰掛けたものの、何故だか居心地が悪かった。
 来客の折に使われるこの応接室は、イーシェン達が日頃生活している寮や学び舎とは大きく赴きが異なっている。
 王族縁の使者達も訪れるためだろうか、壁際には高価な調度品が飾られていたし、絨毯も無駄と思えるほどに毛足が長い。
 壁に掛けられている絵画は、彼の趣味嗜好とは全く異なっていたが、それでも高価なものには違いなかった。
 自分が腰掛けた椅子も凝った彫刻が施された木製のもので、座る部分には手触りの良い布地が使用されている。彼と来客の男の間に置かれた四足の机はやはり木製で、椅子と同様の模様が彫刻されていた。
 窓の方に視線を馳せると、分厚い良質な朱色の布が明かりを遮るために用いられているのが見て取れる。布は窓の両脇に充分な余裕を持って結われ、今は窓からの暖かな日差しが室内を照らしていた。
 そっとと滅多に入ることのない部屋の様子を観察してから、イーシェンは正面に視線を定める。
 学院長の隣に座っている身なりの良い男は、何者なのだろう。三十前後に見える男で、眼光が異様に鋭く発する気が只者ではないと語っている。かなり、剣の腕がきれそうだ。
「イーシェン君」
 そんな事を思いながら男を見つめていると、学院長がにこやかに話しかけてきた。
 正直なところ、話をしたい気分ではなかったのだが、無視するわけにもいかない。学院長に目線を合わすと、彼は手に持った書類に視線を落としながら口を開いた。
「先日、提出してもらった、卒院後の進路希望調査についてだが」
 そう切り出されて、イーシェンはあからさまに顔をしかめた。「またか」という気持ちを隠しきれない。
「君は、腕のたつ魔術師の下で修行を積みたいそうだね」
「何度言われても同じです、学院長。私には王城に勤めるつもりは全くありません」
「しかしね。それでは、困るのだよ」
 学院長は、密やかにしかしわざとらしく眉を寄せて見せた。
「実はね、イーシェン君。こちらの方は、王城からおいでになった使者の方なんだ」
 イーシェンは黙したまま学院長の隣に座っている男に目線を戻す。こちらを見ずに目を伏せているため、その男の表情は計れなかった。
 城から来た使者。
 それが何を示しているのか、イーシェンは不意に悟った。
「無理です。私はまだ、学生の身です。何よりも未熟者で……」
 堰を切ったように言葉を並べようとするイーシェンを、学院長が冷たく遮る。
「君は当院創立以来の秀才だよ。我々よりも、遥かに優れている。はっきり言ってしまえば、君に教えることはもう何もない。先日の口頭試験も全て満点だったと聞いている。来年始めの卒院試験も首席で合格するだろうな。おまけに、君は未知数の力を有している。」
 イーシェンは、頭の中が真っ白になっていくのを感じていた。
 これ以上、人間と交わっていたくない。それが彼の望みだ。この学院を出たら、晴れて自由の身になれる約束だったのだ。
 無意識に彼は、椅子を蹴るようにして立ちあがっていた。
「嫌だ! 僕は……僕は、もう、これ以上は耐えられない! 人と離れて、静かに暮らしたいんだ! もう、嫌なんだ!」
 心の叫びを。そのまま口にするイーシェンに、使者が冷たい眼を向ける。
「イーシェン=ファウリス=アークライト子爵」
 そして、そう声をかけた。空気を震わすような、冷たい声だった。
 言葉を飲み込んでそちらを見ると、使者は羊皮紙を広げて見せている。
「これは、王よりの正式な召喚状。逆らう者は、反逆の意ありとみなされます」
「そんな、反逆なんて……。僕はただ、一人で静かに……」
 不満そうに言葉を返すイーシェンを、男は更に冷えた瞳で見つめた。
「イーシェン子爵。あなたの軽はずみな言動が、御身は勿論、御父上ザンディア侯爵にも害を及ぼすということを、お忘れなきよう」
 イーシェンは黙して、唇を噛みしめた。それ以上、彼は語るべき言葉を持たなかった。
 それを見た使者は満足げに頷いて、羊皮紙を差し出してくる。
≪我々とて、おまえのような魔物を城内へ入れたくはないのだ≫
 彼と手が触れたその瞬間に、イーシェンの中に相手の意識が流れ込んでくる。きつく手を握りしめ、イーシェンはそれに耐えた。


―明朝、城へ参上されたし―
 たったそれだけの言葉が、羊皮紙には記されていた。
 自室に戻ったイーシェンは、それを燃やしてしまいたい衝動にかられながら、机の上に羊皮紙を投げつける。
 簡素な木の机が二つに、二段になった木製の寝台。寮の二人部屋の内装はあくまでも質素だ。各々が持ち込んだ荷物は綺麗に整頓され、収まるべき場所に収められていた。
 同室であるファダは、今は居ない。何処へ行っているのかと頭の片隅で考えたが、今は一人になりたい気分だったので居ない事がありがたかった。
 壁に備え付けてある鏡の前に立ち、イーシェンはそこに映る己の姿を見つめた。その瞳に、次第に絶望のような諦めのような表情が混じってくる。
 紫の瞳。忌み嫌われる力。人の遺伝子の内に、突然現れる魔物の血。一様に紫の瞳をもつ魔族。
 人には考えられぬほどの絶大な魔力を有し、特殊な能力を持つ者も多く存在する。イーシェンの場合、それは頭脳であり、触れた相手の心を感じ取ることであった。
 そして、この大陸に住まう多くの魔族がそうであるように、瞳の色が紫であるという事実だけで云われのない差別を受けて来た。
 紫の瞳が、彼が当然得られるはずであった多くの幸福を奪っていったのだ。
「もう、嫌だ。人間の中で暮らしていくなんて。それも、王城だなんて」
 五学年生に進級した頃から、卒院後の進路について学院長を介して王城へ勤めるようにと再三言われて来た。けれども、父との約束はこの学院を卒院することのみであったはずだ。故に、イーシェンはその薦めを無下に断って来たのである。
 今回も、出来る事ならばそうしてしまいたかった。
 しかし、イーシェンは侯爵家の一人息子なのである。いずれ、アークライト侯爵家を継がなければならない。
 父がこの学院に、自分を入院させた本当の理由は知っている。差別に負けるなと、いずれ、他の貴族達と渡り合って行くために、確固たる実力をつけろということだ。
 確かにイーシェンは、既に皆に認められた存在ではある。けれども、それで差別が収まるかと言えば、それはまた別の話なのだ。
「嫌だ。いや、だ……」
 イーシェンは唇を震わせながら、そう呟いた。
 紫の瞳であることの引き換えのように与えられた美貌。そんなもの、いらなかった。そう、イーシェンは思う。
 何故なら、その美貌は人外のものであり、ある種の禍々しさを感じさせる。彼を、魔性の存在と見せる役割を強めているに過ぎないのだ。
「誰か」
 紫の瞳から、堪えきれぬ涙が零れ落ちた。
「僕を、助けて」
 風が吹いているわけではない室内のこと、彼の長い黒髪がふわりと揺れる。
(お願いだから)

――ボクを助けて――


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