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3.過ぎゆく日々の中で ―8― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

「リイルアード=アーグ=ラルゼ=イセナーダ」
 彼は笑みを強め、威厳すら感じさせる声で名乗りをあげた。
「その通りだ。私は、このイセナーダ王国の第一王子だよ。知っているのならば、話が早いな」
「王子が、何故ラティアに構うんだ。あんただって、婚約者がいるだろう。ラティアだって、一年後に結婚するって言ってた。お互いに婚約者がいて、それに、身分だって違うじゃないか。そんな相手についてまわって、どうするんだよ」
 益々大きくなり、もはや怒鳴り声に近いリギアの言葉に、リール――リイルアードは嘲笑をもって答える。
「おまえは、本当に何も知らないのか」
 面白そうに、そして嘲るように己を見つめるリイルアードの顔を睨み付けるうち、リギアの眼から次第に力強さが消えていった。ひどく、嫌な予感がする。この先の言葉を聞いてはならないと、彼の心が警鐘を鳴らしていた。
 しかし、彼にはリイルアードの言葉を遮る事は出来なかった。
「ラティアだ。私の婚約者はラティアだよ」
 彼の中で生まれ密かに育っていた小さな違和感が、一気に膨れ上がる。リギアは耳を塞ぎ、その場から逃げ出したい気持ちに駆られた。
「ラティアは、商人の娘なんだろう……?」
 拳を握り締めたリギアの、その強さとは裏腹に力無く吐き出された言葉に、王子は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「彼女が、私ではなく別の男を見ている事は知っていた。……初めて身分を偽って彼女の元を訪れた時は、ほんの出来心だった。けれども、二度目からは別の理由が出来ていたのだ。彼女に心を開いて欲しいと思っていた。自分が婚約者であると告げて、身構えられたくはなかった。しかし、彼女は私を見てはくれなかった。何故だかわかるか? 彼女の心には既に貴様がいたからだ!」
 それまで平静を装っていたリイルアードが激昂し、叩きつけるように言葉を吐いた。その激しさに、リギアは返す言葉を失くしてその場に立ち尽くす。
「わかるか、リギア。ラティアは事の重大さに気付いてはいないようだが、貴様にならばわかるだろう? 私との婚姻を破棄して逃亡すれば、彼女は反逆罪に問われる事になる。無論、おまえもだ」
「そう、だろうな」
 握り締めた拳の内で爪が皮膚を傷つけたのか、リギアの拳から紅い雫が零れ落ちた。
「ラティアは私が七つの時に定められた相手だ。いずれ、この人と連れ添うのだとずっと思って生きて来た。けれども、その人には既に想う相手がいる。機を見て、私は自分の身分を明かそうとしていた。しかし、私こそがおまえの婚約者なのだと、言うきっかけを奪われてしまった。この虚しさが、おまえにわかるか?」
 積年の恨みとは、こういうものを言うのだろうか。堰を切ったように言葉を放ち続けるリイルアードを見つめ、リギアは思う。
 ラティアの口からは告げられていない事実だった。出会ってからの長い年月、それを隠されてきたのだと思い知り胸が痛む。しかし、己とて全てをラティアに明かしているわけではないのだ。そう思い直す事で、彼はどうにか心を落ち着ける。
「彼女は、五代前に王族から分家した公爵家の娘だ。ラティア=ルナ=エヴァランス。耳にした事くらいはあるだろう?」
 不意にリギアは大きく眼を見開き、凍り付いたように全ての動きを止めた。「高名な家柄だからな」と、続くリイルアードの言葉さえ耳に入らなかった。
「エヴァランス公爵家……だと?」
 震え、掠れる声に、リイルアードははっきりと頷いてやる。
「ああ、そうだ。……リギア。私は、私の責任に於いて、必ず彼女を連れ戻す。年が明けた春に予定されている婚礼の儀までに、必ず彼女を説得してみせる。ラティアを反逆者にするわけにはいかない」
 その声が届いているのかいないのか、リギアは何の反応も返さなかった。瞳は虚ろでぼんやりと冷たい月を見つめている。リイルアードは不審そうに小さく眉を寄せながらも、言いたい事のみを告げて彼に背を向けた。
「その時に、邪魔はしてくれるなよ」
「…………」
 やはり、リギアは何も答えない。焦点の合っていない彼の眼を気に留めたのか、リイルアードは何回も振り返りながら去って行った。
「ラティア……ルナ……エヴァランス?」
 一人、取り残されたリギアは呆けたように呟いて、がくりと雪の上に膝をつく。
「エヴァ、ラン……ス」
 爪から血が滲み出す程に強く、ぎりりと雪を掴みリギアは乾いた笑い声をあげた。滲んだ掌の血が、純白の積雪に鮮やかな色を落とす。

 ――間違った認識で人を傷付けてはいけない、と――

 耳に蘇えるのは、馬車の中で聞いたラティアの言葉だ。どうしてだろうか、遠い昔の出来事のように、彼の脳裏を通り過ぎる。
(金持ちや貴族なんて、みんな同じだと思っていたのに)
 リギアは雪の上に伏し、狂人のように身を震わせて笑い続けた。
(魔族を平気な顔で踏みにじる、人間への、復讐だったのに)
 ふと顔を上げると、先程ラティアが作っていた雪だるまが視界に飛び込んで来る。
「ラティア」

 ――おまえの事が好きなんだ――

 それは、いつかの自分の言葉だ。今思えば、伝える事など許されるはずもなかったのだ。
「ラティア!」

 ――ずっと一緒にいられる――

 一刻もたたぬ前に伝えた言葉が酷く悔やまれる。自分には、それを言う資格などありはしなかった。
(初めから、無理な話だったんだ。なにもかも!)
 くいしばった歯の隙間から鳴咽が漏れる。
「く……はは……っ! ……あははは……っ」
 どうしようもない、やりきれない想いは、ひきつった笑い声となってリギアの唇から放たれた。
「ラティア……ラティア、ラティアっ」
 笑いが、止まらない。痙攣するように、喉から乾いた笑いが漏れた。愛しい人の名を呼ぶ、悲鳴のような細い声が辺りに響き渡る。
 やがて彼は、力なくその場に身を横たえた。いつしか流れ出た涙が頬を伝い落ち、真白き雪を溶かしていく。
「どうして……?」
 繰り返される問いは、きっと永遠に答えを得る事はないのだ。
 底知れぬ虚しさを抱きながら、リギアは笑い続ける。
 お互いに、はじめから偽り続けていた事。何もかもが真実ではなく偽りであった事。それなのに、お互いを愛してしまった事。

 これが、その報い。


 痛々しく虚ろなその声は、夜明け――空が白む頃まで途絶える事はなかった。




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3.過ぎゆく日々の中で ―7― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 ラティアの姿が見えなくなったところで、不意に殺気のような鋭い気配を感じた。息を呑む間もなく、すぐ傍の繁みががさりと動く。
 はっとして振り返った先には、月の光を受けて銀に煌く髪を持つ男――リールが立っていた。濃青の瞳が、静かな怒りに揺らぎリギアを見据えている。
「おまえは」
 言いかけて彼は息を飲んだ。彼の雰囲気が昼間とは全く異なっている。まるで、別人のようにさえ見えるのだ。
「リギア。ラティアをどうするつもりなのだ?」
 話し方や声音すらも、昼間の彼からは程遠い。
「ふん。あんたこそ、何のつもりだよ」
 しばらくの間、面喰っていたリギアだったが、すぐに気を取り直してそう毒づいた。それに対して、リールは眉一つ動かさずにただ瞳を細める。
 その仕草だけで、辺りの空気がいっそう冷えて行くようだった。
「彼女は、私がお世話になっていた商会の娘御なのだ。貴様のような男と共に行動させるわけにはゆかぬ。元々彼女を連れ戻しにやって来たのだが、早急にせねばと思い直した。黙って彼女を置いて去れ。さもなくば、人攫いとして役人に突き出してやるぞ」
 微かに、金属音がした。
 リールから眼を反らさない範囲で、ちらりと腰に佩かれた剣を窺う。案の定、柄が僅かに鞘より浮いていた。
「はっ。いい加減にしろよ? 何だって俺があんたに命令されなきゃならないんだ!」
 思わず大声になるリギアを、蔑むように見つめながら彼は瞳を細めたままで笑う。
「王都でな、彼女の行方不明が人々の話題に上るようになった。婚礼まであと一ヶ月弱と言うこの時期にな。この失態は、彼女の一族にとってはさぞ大きいものになろうな」
「そんなこと俺の知った事か! 俺は、彼女を連れて」
「知っている。いや、悪いが聞かせてもらった」
 冷たい瞳に、冷たい口調。冷静と言えば聞こえがいいが、リールの場合はそれを通り越していた。
「リギア。忠告してやろう。それは君のためにも、彼女のためにもならない。例え、国外に逃げおおせたとしても、一生追手はつきまとうぞ」
 ラティアの婚約者とやらは、余程の大貴族なのだろうか。そんな事を思って、リギアは口を噤んだ。
「あんたも、あいつの事が好きなんだろ? 命令だか恩だか知らねえけど、そんなことして、ラティアが幸せになるとでも?」
「一生追い回されるよりはよかろう」
 きっぱりとリールは言い切る。リギアは皮肉げに唇を歪めて彼を見た。
「ラティアは両親を殺した暗殺者を探している。少なくとも見つけ出すまでは帰らないだろうな」
 唇を笑みの形にし、穏やかに彼は答える。
「それは、国がやる仕事だ。彼女のやるべき事ではない」
 危険な目にはあわせられない。静かに、しかし、他の意見を拒絶するようにリールが言い放った。
「私は、彼女を幸せにしたい。初めて彼女に出会った時、そう思ったのだ」
 微笑むその様子があまりにも幸せそうで、リギアの頭に血が昇る。心の中で繰り返し問うて来た答えを、無理やり目の前に突きつけられたような気持ちだった。
「俺といたら、あいつは不幸だって言うのかよ!」
「その通りだ。生涯、追手の影に怯え、満足な暮らしは出来ぬだろう」
「物質的なゆとりだけが、幸せって事じゃないだろ?」
「そうだな。しかし、彼女は豊かな階級で生まれ育った」
 淡々と言ってのけるリールを睨み付け、リギアは強く唇を噛んだ。そして、心の内にわだかまる一番の疑問を吐き出してみる。
「あんた、どういうつもりなんだ。誰が行商人だって? あんたが、行商人のわけがない! 俺は、王都であんたを見た事がある。あんたは、リイルアードだ。リイルアード=アーグ――」
 リールは意外な事を聞いたというように眼を見開いた後、表情を変えてゆっくりと微笑んだ。剣の柄から手を放し、穏やかな口調でリギアの言葉を奪う。


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3.過ぎゆく日々の中で ―6― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 青白い月明りの下で、金の髪をもつ男が竪琴を爪弾く。雪でも降りそうな凍える寒さの中でも、彼の指は止まらない。積雪に反射する光を受けて、金の髪が銀に染まる。
 身を包むローブが雪にまみれしっとりと濡れてしまうのも構わずに、彼はそこにいた。静かな凍れる空間に、澄んだ弦の音を響かせていた。
「リギア! ……リーギアっ」
 時間さえ止まっているかのような静寂が、遠くから彼を呼ぶ少女の声によって破られる。彼は指を止めないまま、少女がやって来るのを待ち受けた。
「リギアってば!」
 寒さのためか走って来たためか、頬と鼻を赤くして息を荒げた少女――ラティアが彼の前に立つ。防寒用のマントの上に、更に毛布を頭から被っている……その姿には、さすがにリギアも弦を弾く指を止めて吹き出した。
「何よ、だって、寒かったんだもん」
 唇を尖らせて言いながらも、彼女の頬は先程よりも赤くなっている。
「雪、降りそうだもんな」
「うん、二月だものね。このくらい北に来れば当たり前かも。ヤーグなんてもっと凄いんだよね? でも、リンヒルはここと同じイーシュ湖畔なのに、あんまり雪降らなかったなぁ」
「そりゃそうだろ。あっちは海沿いで、こっちは内陸だからな」
「ふーん?」
 わかっているのかいないのか、一応そう相槌を打ってから、ラティアはその場に座り込んだ。
「こら、そんなところに座ったら濡れるぞ」
「リギアは?」
「俺はいいんだ」
「じゃあ、私もいいよ。宿に帰って乾かすもの」
 くすくす笑いながら近くの雪をかき集めている彼女を、あきれたように見やってからリギアは竪琴を布にくるむ。
「そんな格好してまで来たんだから、何か用だったんだろ?」
「ん。特に何も。何だか、今日一日慌ただしかったでしょ。今ね、アスエルがルフィをお風呂に入れてて。で、リールは自分の宿に戻ったし。リギアはいつも外で竪琴弾いてるから。この辺にいるかなぁって思って」
 かき集めた雪を丸く固めながら、顔を上げずにラティアが言った。
「あのね、リギア。リールは悪い人じゃないの。ただ、少し変わってるけど」
「ああ、悪人じゃない事はわかる。ま、俺とは少し波長が合わんだけだろう」
 不本意ながらもそう言ってやると、ラティアは嬉しそうに笑う。そして、丸くした雪玉を二つ、縦に重ね合わせた。
「良かった。リールは私にとって、お兄様みたいな人だから。だから、リギアがリールを嫌いだったら悲しいもの」
「兄様ねぇ……。多分あっちはそう思ってないぜ」
 独白のように吐き出された言葉は、案の定ラティアの耳には届いていないようだ。重ねた雪玉の上にほうに、小さな窪みを作っている彼女の姿を横目で確認し、彼はこっそり嘆息した。
「みてみて、リギア! ユキダルマ」
「はいはい。言われなくてもわかるよ」
 もはや苦笑いするしかなく、リギアは投げやりに答えを返す。
「ね、リギア」
 ラティアは己の手指に息を吐きつけながら、甘えるように彼の腕に寄りかかった。無意識に肩を抱き寄せるリギアの顔を、じっと覗きこむようにする。
「あのね。私、あなたに言いたかったの」
「何を?」
「私、一年前に王都に戻る時にね。あなたのこと、諦めたつもりだった。このまま婚約者と結婚して、それで一生を終えるんだって思ってた」
「ああ」
「でもね、リギア。こうやって一緒に旅をして。リギアの色んなところ見て。あなたのこと、もっともっと好きになってしまったの」
 言葉を切って沈黙するラティアの髪を、己も沈黙したままでゆっくりと撫でた。それに促されるように、彼女は俯いたまま言葉を紡ぐ。
「もう、王都に帰りたくない。リギアの傍にいたい。リギアと一緒にいたいよ。もう、離れたくないの! だから、お願い、リギア」
 感情の昂りと共に、次第に大声になっていく彼女の口をリギアの手が塞いだ。
 彼女が言いたい事はわかっている。それは、自分が胸に抱えている想いと同じものだ。だからこそ、先に口にされたくなくて思わず遮ってしまったのだ。
 けれども、彼女はそれを違う意味にとったようで、大きく瞳を揺らし勢い良く立ち上がった。今にも泣き出しそうな表情で、身を翻す。
「待てよ、ラティア!」
 慌てて立ち上がったリギアは、手を伸ばしてラティアの腕を掴んだ。
「違うんだ。誤解すんな。先に言われたくなかっただけだ。この旅が終わったら……この国を出て、バルゼに行こう。アスエル達がバルゼに行くんだってよ。だから、彼らと一緒に、な? そうすれば、ずっと一緒にいられる。国を出てしまえば追手も来ない。俺はこの竪琴一つとおまえさえ居ればいい。どこに行っても暮らしていける」
 驚いたように振り返るラティアを抱きしめて、彼はその耳元に小声で言葉を落とす。
「一年前、おまえが消えた時。俺は諦めざるを得なかった。諦めたくなんかなかったのに。離さないと誓っていたのに。だから今度こそ、もう離さない」
「リギア……」
 彼の名と共に短く息を吐いた途端、ラティアの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「ありがとう」
 一度、きつくリギアにしがみついてから、腕を突っ張って身体を離す。
「嬉しい。でも、何だが照れくさいな。こんなこと言う気、全然なかったもん。なんか、顔、見てられないから、帰るねっ」
 早口にそう片言で言いきってから、彼女は素早くリギアの頬に口付けて身を翻した。
「明日ねっ!」
 頬を朱に染めたラティアが、少し離れた場所で両手を大きく振りまわしている。彼女の頬を彩る朱の色を、美しい色だと感じながらリギアは相好を崩していた。


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3.過ぎゆく日々の中で ―5― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 力強い男の腕に抱きすくめられて、ラティアは呆然としていた。
 クルスの町に辿り着いた翌日の事。この先の旅路に馬車を望むこと難しい故、旅支度を整えようと、宿屋を出た途端の出来事だった。真っ昼間の往来で、まさかこんな目にあうとは思いもよらず、ラティアは見事に硬直していた。
 後から出て来たリギアがあからさまにムッとした表情で男を引き剥がし、それを見てアスエルが楽しそうに笑う。その後ろで、ルフィがきょとんとして義父を見上げていた。
「ラティ! 久しぶりだね。こんな所で会えるなんて、思ってもみなかった!」
 引き剥がされても周囲を気にする様子もなく、男はラティアの手を己の両手で包み込む。
「えぇ、と」
 困惑の表情で、ラティアは男を仰ぎ見た。
 男はリギアには劣るものの、かなりの長身である。簡素な厚手の旅服だが、その布地はとても高価なものに思えた。髪は銀に近い色素の薄い金色で、瞳は深い青。冷徹そうに見えかねない容貌だが、今は優しくラティアを見つめている。
「んん、と」
 顎のラインで綺麗に切り揃えられ、さらさらと揺れる男の髪を見つめながらラティアは眉を寄せた。しばらく唸りながら悩んだ後、あっと叫んで小さく笑う。
「リールよね。思い出した」
 嬉しそうににこにこと笑いながら、ラティアは彼の手を握り返した。大きく嘆息して、その男は小さく首を傾ける。その芝居がかった動作にリギアが嫌悪感をあらわにした。
「たったの二年で忘れてしまうなんて、ひどいなぁ。僕は、一日も君を忘れた事はなかったのに」
「ううん、忘れたわけじゃないのよ。ただ、ちょっと、んー」
 ごまかそうとしてしかし良い言葉が思い浮かばず、言葉を濁す。小気味よさそうにリギアは笑みをつくろった。
「俺なんてたったの一年で忘れられたんだ。二年でゴタゴタ抜かすなよ」
「ち、違うわ! リギア、忘れたんじゃないんだってば。だいたい、あなたのは、あなたが髪切っちゃうからいけないんでしょ!」
 顔を真っ赤にして理不尽な抗議して来る彼女を、楽しげに眺めていると「リール」と呼ばれた男が手を差し伸べてくる。怪訝そうな表情で見返すリギアに、男は手を差し伸べたまま笑いかけた。
「リギアだね? 彼女の屋敷にいるのを何度か見かけた事があるよ」
「俺は、あんたを見た事はないな」
「僕は君とは違って、長居はしていないからね。彼女に聞かせるものもないし」
 気のせいだろうか、リールの言葉はひどく棘々しい響きを含んでいた。
「リール、とか言ったな? あんた、俺に何か恨みでもあんのか?」
 その棘を敏感に感じ取り、リギアは薄い水色の目を可能な限り鋭くして凄んでみせる。しかし彼は、微笑んでそれを受け止めた。
「別に、何もないよ」
 興味なさげにそう言いのけて、自然な動作でラティアの肩を抱き寄せる。娘を抱き上げたアスエルが、頬をひきつらせて言葉を飲み込んだリギアの耳元に小声で囁いた。
「あいつ、絶対にラティアちゃんの事好きだぞ?」
「言われなくてもわかる」
 苦虫を噛み潰したような顔とは、かく言うものか。嫌悪感を剥き出しにして唸りながらリギアは小さく嘆息する。
「けど、奴は」
 呟きかけた時、少し前を歩いていたラティアが振り向いた。満面の笑みを浮かべながらリギア達を手招きしている。
「あのねぇ。リールはうちの屋敷に出入りしていた行商人なの。今はお休み中で、旅をしているんですって。でもね、いいお店知ってるって言うから、連れていってもらいましょう?」
「おお。いいな、それ。安くなるか?」
 思わず我を忘れて身を乗り出すアスエルを、リギアが恨めしそうに見つめた。
「仕方ないだろ。俺は金無しなんだ。背に腹は変えられないんだ」
 ばつが悪そうに頬をかきつつ、開き直ってアスエルが目を反らす。諦めたように溜め息をついたところで、リールの声が耳に入って来た。
「ところで、ラティ。こんなところにこんな人達といて、大丈夫なのかい? リンヒルの君のお屋敷の人達は心配しているんじゃ……」
 ラティアの表情がたちまち硬くなり、リールははっとして口を噤む。
「あの、ね。今は王都のほうへ戻っているの。大丈夫。誰も心配したりしないわ」
 強張った表情のまま、声を潜めるように言うラティアの髪を撫で、リールは小さく詫びた。
「悪かった。何か理由があるんだね? 言いたくないのなら、訊かないよ。けれども、これだけは、譲らない。僕も、君と一緒に行くよ」
「リール。でも、お仕事は?」
「休暇中だといったろう? 長期休暇なんだ。僕は南に下るところだったんだけど。ラティは北へ?」
 問われてラティアは首を傾げる。訊かれてみれば、自分は進路を知らなかった。今どの辺りにいて、これからどこへ行くのかも曖昧にしかわからない。
「進路を決めているのはリギアよ」
「北へ行くのかい?」
 二人の傍に近づいて来たリギアに問うと、彼は無愛想に頷いた。
「そう言うわけだ。おぼっちゃんは、さっさと南へ行けよ」
 何気なく二人の間に割って入り、更に何気なくラティアの肩を抱き寄せながらリギアが言う。剥き出しの敵意に構う事なく、リールは口許だけに笑みを貼り付けた。
「僕は、ラティと共に行くと決めたんだ。誰が何と言おうとついて行くぞ。いいよね? ラティ」
「え? あ、うん。別にかまわない、けど……」
 唐突に話題を振られ、思わず頷いてしまってからラティアはリギアの顔を見上げた。窺うような素振りのラティアと、眼も合わせずにムスっとしている。
「決まりだね。じゃぁ、行こうか。ラティ、リギア。……ええと?」
 勝ち誇った表情でリギアを一瞥してから、彼は二、三歩離れて立っている親子に視線を移した。
「俺はアスエル。流れの剣士だ。娘はルフィと言う」
「僕はリールだ。ラティの紹介通り、行商人をしている。よろしくな。アスエル、ルフィ」
 リールはアスエルが抱いている少女の手を取り、甲にそっと口付けをする。その動作の優雅さに、アスエルは己の目を疑った。
「ぱぱ。あたらしい、お友達?」
 無邪気に訊いてくる娘に頷いてみせてから、今は黒い娘の瞳の色を見破られぬようにせねばと、彼は思う。
 悪意のなさそうな笑顔を浮かべ、歩き出すリールをきつく睨みつけながら、リギアが一人、足を止めた。
「誰が、行商人だって? この大嘘つきが……」
 誰にも届かぬような声で、低く唸るように呟いた。


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3.過ぎゆく日々の中で ―4― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 拓けた場所で火を起こし灯りを確保してから、アスエルは行方不明の御者を探しに行った。彼が様子を確かめに外に出た時には、御者の姿はなく馬車を引く馬は制御を失っていたという。それも、ひどい興奮状態だった。
 待っている間に眠ってしまった二人をぼんやり見つめていると、沈痛な面持ちでアスエルが戻ってきた。そして、深く息を吐きながら火の傍に座り込む。
「思った通りだった」
「殺られてたか?」
 低く問い返すと、彼は小さく頷いてみせる。
「左胸に矢が一本。即効性の毒が矢尻に塗ってあった。あれは素人の技じゃない」
「それにしては、やり方が手ぬるくないか?」
 抱きかかえていたルフィをアスエルの腕に返しながら、そう問う。
「警告だろうなあ」
 涼しい顔で言いのけて、アスエルは積み重ねてある小枝をいくらか手に取った。
「あんた、暗殺者に警告を受けるような事したのかよ?」
「あぁ。あー、まぁ、したのかもな」
 曖昧な調子で呟き、小枝を火の中へと投げ入れる。
 答えるつもりが毛頭も感じられないその口調に、リギアは口を噤んだ。人には触れられたくない事もあるものだ。
「埋めて来たのか?」
 袖口が土で汚れているのを見て取り訊ねると、アスエルは無言で頷いた。
「クルスについたら、馬車商会に行って、死体を引き取らせよう。ここからクルスまでは歩いて行くしかないし、そうなると運んで行くのは無理だからな」
「ああ」
 相槌を打ちながら、リギアは自分の膝に頭を預けて眠っている少女の髪を撫ぜる。
「おまえ……本当にその娘の事が好きなんだな」
 唐突にそう断言され、リギアは大きく眼を見開いた。それから照れ隠しなのか不愉快そうな表情を浮かべる。
「なんだよ、それ」
「いや。いつも硬くて、どっちかと言えば冷たい眼をしているおまえがさ。ラティアちゃんを見ている時だけは、優しくて暖かい眼をしているんだ。とても幸せそうに見えるよ」
「こいつは、俺にとって救いだから。俺の闇を光で満たしてくれるのは、こいつしかいないから」
 表情を和らげると、彼はアスエルからは眼を反らしたままで小さく呟いた。
(一年前、何も言わずにいなくなられた時は、荒れたよな)
 自虐的に笑い、俯くリギアを横目で見る。歯がゆいような表情を浮かべていたアスエルだが、不意に顔を上げ闇の中に耳を澄ました。
「リギア。何か、妙な気配を感じないか?」
「ああ。野盗か、何かか」
 平然と言ってのける彼に呆れた視線を向けながら、アスエルは再びルフィを彼に預ける。そして、立ち上がると同時に長剣を抜き放った。
「まぁーな。この稼ぎのなさそうな季節に、女子供連れて森の中にいればな。いい餌食には違いねぇ。野盗くらいは俺一人でどうにかなるさ。ルフィとラティアちゃんを頼むぞ」
 何か言いたげにしているリギアに、心配ないと笑いかける。
「出向いて行って、片付けてやるさ。ま、殺しはしないけどな」
 そう言って夜闇にまぎれたアスエルが戻って来たのは小一時間後の事であった。「一網打尽だ」などと豪快に笑っていた言葉どおり、クルスへと向かう道すがらにはロープできつく縛られた人相の悪い男達が転がっていた。
「あの人達、どうしたのかしら」
 ラティアとルフィは彼らをしきりに心配し、その背後ではアスエルとリギアが顔を見合わせて苦笑いを浮かべていた。

 数日後。彼らは何事もなくクルスの門をくぐる。


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3.過ぎゆく日々の中で ―3― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 安値の乗り合い馬車は酷く揺れる。初めてこれに乗った者はたいてい酷く酔うもので、ラティアも例外ではなかった。しかし、リルカの町を出る頃にはだいぶ慣れたようで、馬車の中でルフィとはしゃぐ程になっている。
「ぱぱ。みて」
 ラティアに結ってもらった髪を示しながらルフィがそう言った。はずんだ声音と、上気した頬がとても可愛らしい。
「おぉ、可愛いなぁ、ルフィ」
 頭の頂点近くで二つに結んだ髪に結んである朱色のリボンを見つめながら、アスエルが言う。
「鼻の下伸びてるぜ? おっさん」
 娘の姿にだらしなく相好を崩しているアスエルの隣で、高く足を組みつぶれきったクッションにもたれたリギアが呟いた。ルフィがラティアの傍から離れようとしないために、隣を取られ男二人で並ぶ事になったのである。小型の馬車だけに大変狭苦しいのだが、文句も言えず二人は大人しく座っていた。
「ぱぱ。ルフィね、次のまちについたら、お姉ちゃんにドレス作ってもらうの」
 満面に浮かべた嬉しそうな笑みに、父は思わずそうかそうかと自らも嬉しそうに首を振る。しかし、頷いてからはっと我に返り、大慌てで両手を振りまわした。
 そんな様子を見ていて、ラティアがくすくすと飲み込めない忍び笑いをもらす。
「ドレスと言っても、古着屋さんで綺麗な服を買ってバラして作るだけだから大丈夫」
 作る過程を考えているのだろう。ラテイアの表情も楽しげだった。大きく安堵の息を吐いて、アスエルは軽く頭を下げる。
「ならば、頼むよ」
 笑顔で放たれた言葉の終わりにかぶさるように、異変が起こった。
 大きく馬車が揺れた後、馬の嘶きがあがる。酷く怯えた様子のその声は、何事かが起きた事を物語っていた。
「きゃぁっ!」
 突然の事に踏ん張りきれなかったラティアが、幼い少女を腕に抱いたまま馬車の側面に身体を打ちつける。そのまま倒れて転がりそうになるところへ、リギアが腕を伸ばしてルフィごと抱きとめた。
 義娘の無事を横目で確認しながらアスエルは馬車の扉に手をかけ、錠をはずすと同時に大声で叫ぶ。
「何があったのか確かめる。リギア、二人を頼むぞ!」
 その間にも、馬車はその速度を増して行った。今にも壊れてしまいそうにぎしぎしと響く木造りの馬車の音を聞きながら、リギアは首を横に振る。
「無茶だ!」
「このまま行けば、もっと大変な事になるだろう。出来ると自信があるから行くんだ。黙ってろ」
 扉が開いた瞬間に流れ込んでくる風の強さに、一瞬、息が詰まった。この速度では、地面に叩き付けられただけで命の保証はないだろう。
 ぞっとして、もう一度止めようと口を開きかけた時には、もう彼は外へと飛び出していた。二人を固く抱き締めて、祈る事だけが今のリギアに出来る精一杯だった。
 誰も何も言わない。ただ、木の軋む音と、馬の蹄の音。そして、不気味なほどの風の音だけが流れて行く。
「馬を放す! 衝撃に備えるんだ!」
 轟音に混じり聞こえてくる声に従い、リギアはきつく歯を食いしばった。腕と足に力を込めて、衝撃を堪えるために身構える。
「歯を食いしばれ」
 震えている少女と何が起きたのか理解できないでいるラティアに忠告し、彼は腕の力を更に強めた。その瞬間、大きな衝撃が疾り、馬車は今まで進行していた方向とは逆へ飛ばされる。
「くっ……」
 二人に傷などを負わせぬように、リギアは背と足をつっぱった。完全に揺れが収まるまでその体勢を守り、落ち着いたところで仰向けに倒れた姿勢のまま、力のみを緩め大きく息を吐く。
 その気配が伝わったのかどうか、突然ルフィが大声で泣き出した。様子を見に来たアスエルが、慌てて彼女を抱き上げなだめている。
「ラティア?」
 いつまで経ってももう一つの重み――ラティアが動かない事に気付いて、彼は怪訝そうに眉を寄せながらそっと首をもたげた。
「どうした?」
 視線の先で彼女は微動だにせず、小刻みに震えている様子だ。手を伸ばし、ラティアの額に触れると、彼女は大きく肩を揺らした。
「大丈夫か?」
「リギア」
 呟いて、ラティアは彼にしがみつく。
「こわかった」
 言葉と共に涙が溢れて、ラティアはしゃくりあげながらそう言った。リギアがふと目線を上げると、義娘をあやしているアスエルと眼が合う。彼は微苦笑を浮かべて、視線を返して来た。
「お互い苦労するみたいだな」
「俺は、こいつの保護者じゃないんだけどな」
 諦めにも似た響きは闇へと吸い込まれ、リギアはひどく虚しい気分になった。


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3.過ぎゆく日々の中で ―2― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 竪琴を爪弾きながら、リギアは大きく息を吐いた。冷え切った空気が震え、月明かりに息が白く色をつける。
 あの時、ねだられたのは確かこの曲だった。拒絶され、ラティアはとても傷ついた顔をしていた。眼を閉じ、遠い記憶を思い起こしながら、彼の指先は弦を滑っていく。
 ふと、違和感を感じて双眸を開くと、目の前に旅の連れとなった男が棒立ちになっていた。
「よぅ。隣いいか?」
 リギアが己の存在に気づくのを待っていたようで、アスエルはそう声を掛けてくる。
「好きにしろよ」
 竪琴を奏でる指を止めて乱暴に言い捨てると、明るく礼を言いながらリギアの隣に腰を下ろした。
 宿から少し離れた空き地の中央である。薄く雪の積もった大気はひどく冷たく、地面に触れている尻からぬくもりを奪われるようだ。
「凍えるぞ?」
「別に、平気だ。慣れてるから」
 小さく身を震わせたアスエルに冷たい一瞥を投げて、彼は平然と答えた。嫌ならば宿に戻ればいいという態度が見て取れる。
「何、してたんだ? こんな所で」
 それを黙殺して怪訝そうに問うと、リギアは仰のいて月を見上げた。
「自然に。この地の恵みに感謝を捧げる為の曲を」
「こんな、寒いところで?」
「ああ。落ち着いて弾けるから。一人でこういう所にいるのは、好きなんだ。わりと」
 言いながら、膝の上に広げてある白い布で竪琴を包む。
「ルフィは? ついていてやんなくていいのか?」
「あー。ラティアちゃんが面倒見てくれるってさ。ルフィもすっかり懐いちまって。俺は部屋から叩き出された感じだよ。父親としては淋しい限りだが……まぁ、女の子には女性との交流も必要だろう」
「あいつもたいがいガキだけどな」
 言いながらリギアは、彼女の怒った顔を思い浮かべて唇を笑みの形にした。ちらりと横目でそれを見ながら、アスエルは真剣な表情になる。
「なぁ? おまえはいくつなんだ? あの娘は? おまえら、本当にただの駆け落ちなのか?」
 リギアはゆっくりと彼に視線を向けた。この男はこれが聞きたくて、この寒い中を歩いてきたのだろう。ご苦労な事だと思いながら、口を開く。
「俺は二十七になる。あいつは……確か、十九だ。駆け落ちとは、少し違うかもな。俺とラティアが昔好きあっていたのは確かだけれど、再会したのはつい最近だし。放っておく事が出来なくて、一緒にいるんだ」
「あの娘が時折放つ影、か」
 言われて、リギアは軽く眼を見張った。アスエルが気づいていた事が意外だったように。
「ああ、昏い影だ。両親を暗殺者リドルに殺られたんだってよ。ただ一人生き残った兄からそれを聞いて、仇を討つ為にリドルを探しているんだそうだ。あまりに危なっかしくて見てらんねぇから、一緒に行く事に……どうした?」
 ラティアの影に気づいているのならばと、一気に事情を語っていたリギアは、表情を強張らせたアスエルに気付き、眉を寄せる。
「リドルって、あの……紫眼の暗殺者とか言われてるアレか?」
「ああ」
「そんな馬鹿な! リドルは標的以外に接触する事は絶対になく、過去にしくじった事もないって話じゃないか。そんな奴が、あの娘の兄を逃したってのか? ありえないだろ、そんなことは」
 その言葉に頷いて同意を示し、リギアは溜め息をついた。
「あいつはさ。そんな、誰もが知っているような事すら知らなかった」
「それは……確かに心配だな」
「おそらく、あいつの両親を殺ったのはリドルじゃない。だから、本当に手を下した奴を探し出して、俺が殺してやる。あいつの手を、汚したくない」
 軽い口調で言うリギアの眼は、ぞっとする程に冷たい光を宿している。すぐに消え去ったその光には気づかないふりで、アスエルは彼の肩を軽く抱いた。
「そういう事情ならば、その日までつきあってやるぜ。吟遊詩人の細い腕じゃ、暗殺者相手には心もとないだろ?」
「あんたには関係のない話だ」
 腕を邪険に振り払い、その申し出を断るリギアの眼に、真剣な薄茶の瞳が映り込む。アスエルはまっすぐに彼を見つめていた。
「本当に初めてだったんだ。あんなまっすぐな澄んだ瞳で、娘を人として扱ってくれた人は」
「確かに珍しいよな。豪商や貴族なんて連中は、一般人の事すら人として扱ってない奴が多いし」
 その瞳の強さに圧倒されて、それをごまかすようにリギアは右の小指で頬を掻く。
「そんな教育をあの娘にしていたという、両親を殺した暗殺者は許せない。リドルだろうが、なんだろうが一矢報いてやるさ」
 決意に満ちた眼差しでそう言いきるアスエルに、彼は返す言葉を持たなかった。
「それに、リギア。おまえは吟遊詩人なんだろう? その手でどうやって暗殺者と対峙するつもりでいるんだ」
 言葉を失ったところを、そう畳み掛けられる。悔しげな様子を見せる事も癪で、リギアは唇に笑みを張り付かせてみせた。
「好きにしな」
「言われなくとも」
 我が意を得たりとばかりに笑いながら立ち上がるアスエルに、妙な違和感を覚えリギアが眉を寄せる。
「なぁ。あんた、何者なんだ?」
 怪訝そうに自分を見つめる青年に、アスエルはどこかぎこちない動作で顔を向けた。
「昔、罪を犯した。決して償う事の出来ない深い罪だ。二年前に道端で、泥まみれのあいつを拾ったのは、その罪を、少しなりとも償えるのならと、そう思っていたからなのかもな」
 もの問いたげなリギアの視線から顔を背け、アスエルは悔恨の念を込めて苦く笑った。「その罪が何であったかは、まだ言うわけにはいかん」
「言えないものは、無理には聞かないさ」
 誰にだって触れられたくない過去はある。泣きたいような笑いたいような、複雑な思いでリギアは唇を歪めた。
「ああ。礼を言う」
 アスエルはゆっくりとリギアから視線を反らし、振り返らないままその場から立ち去って行った。


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3.過ぎゆく日々の中で ―1― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

 差し込む影が濃くなって、少女は首を傾げながら仰のいた。見上げる先には、微かに笑んだ薄い水色の瞳がある。
「大丈夫か? 暑くないか?」
「ん。ありがと。大丈夫。……木陰はそんなに暑くないし、湖を渡る風は気持ちいいしね」
「なら、いいけど」
 熱でも出されたらたまらないからなと呟いて、青年は少女の隣に腰を下ろした。イーシュ湖の畔。夏の終わりのまだまだ厳しい日の光を、優しく遮る大木の根元である。
 湖岸に生い茂る植物の緑と、ただ広い水面に反射し光を散らす日差しがなんとも幻想的だった。この場所だけ、時間が切り取られているような錯覚に陥る事もある。
「初めて会ったの、この辺だった?」
 青年――リギアの肩にもたれながら、少女が小さく問うた。その肩を、決して抱き返しはせずにリギアはただ頷いてみせる。
「もう、六年も経つよ。早いなぁ」
「おまえの身体も随分回復したよな。十五って言ったら普通は嫁に行くような歳だろ。良かったじゃないか。間に合って」
 冷たくも聞こえるその言葉に、少女はきゅっと唇を引き結んだ。泣き出しそうな表情にも見える。
「良くないもん。ちっとも、良くない」
 彼に聞こえないように小さく呟いてから、ラティアは気持ちを切り換えるように笑顔を作った。
「ね、それより。実は、ちゃんと許可もらって外に出たのって初めてなの。侍女達がね、『吟遊詩人殿とデートですか?』って楽しそうに言うのよ」
「はぁぁっ?」
 裏返った声でリギアが呻く。何て事を吹き込んでいるんだあいつら。と心の中では大きなため息をついていた。
「そ、それで、さ。思ったんだけれど、リギアって、その……奥さんとか、恋人とかいないの? どう考えたって遅いじゃない?」
 眼を反らしながら頬を染め、精一杯平静を装って問う瞳に見つめられ、ひどく戸惑う。やがて、リギアは静かに息を吐き出しながら、ゆっくりと答えた。
「俺の闇を受け止めてくれる奴なんて、きっといない」
 ラティアとてもうじき自分から離れていくはずだと、そう思う。
 見知らぬ誰かの許へ、嫁いで行く。それを考えた途端、彼の胸がきりりと痛んだ。他の誰かの隣で、こうして微笑みを浮かべるラティアなんて見たくはない。
 唐突にその想いが強く沸き上がり、彼はきつく唇を噛みしめる。少女が自分に寄せる想いは憧れなのだ。決して、自分が抱くような感情ではないのだ。
 だからこそ。そう思うからこそ。リギアは決して彼女に手を差し伸べはしない。やんわりと突き放すだけだ。そうでもしないと、リギア自身の気持ちに制御が掛けられない程、彼の気持ちは強くなってしまっていた。
「リギア? 何か怖い顔してるよ?」
 そう言いながら顔を覗き込まれて、彼は我に返った。
「ああ……いや、悪かったな」
 表情を和ませながら答えると、ラティアは嬉しそうに笑う。
「ね、リギア。ずっと前に、ここで弾いてたの……ききたいな」
「あれは、人に聴かせるもんじゃない」
「じゃ、私、いないと思って」
 無邪気に、さらりと無理をふっかけてくる。ラティアはそんな少女だった。嘆息と共に、リギアは膝の上の竪琴を手に取る。
「おまえは……無理な事ばかり言うんだな」
 やんわりと文句を言いながらも、彼は竪琴を奏でてやる。もともと、この音色を気に入られ、雇われている身なのだ。
「リギア」
「ん?」
「私じゃ、あなたの心を癒せないのかな」
 唐突にそんな事を言われ、リギアは思わず竪琴を取り落とした。澄んだラティアの緑色の瞳を見つめて、微かに自嘲的な笑みを浮かべながら竪琴を手に取り直す。
「無理だ。ラティア? おまえは、いずれ俺から離れて行く。おまえの想いは、憧れにすぎない。いつか、それに気付くさ」
 ラティアはむっとしてリギアの胸元に掴みかからんばかりの勢いでくってかかった。誰だって、言われもなく己の感情を否定されれば苛立ちもする。
「そんなことない! リギア、何もわかってないよ! 私は、私は、本当に……」
 必死の想いで紡がれる言葉を終わりまで聞こうとはせず、リギアは勢い良く立ち上がった。彼は彼なりに、自制心を保とうと必死だったのだ。
「さぁ、そろそろ帰ろう。屋敷のやつらも心配し始める頃だ」
 ラティアはひどく傷ついた瞳で彼を見上げた。それから顔を背けて立ちあがり、ゆっくりと歩き出す。
 気遣って差し出されたリギアの手を、彼女は振り払って黙々と歩き続けた。


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2.湖畔の出逢い ―6― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

「大丈夫か? だいぶ疲れているようだが」
 星々の輝く夜空を馬車の小窓からぼんやり眺めていたラティアは、はっとして声の主を見た。時が経つにつれて口数を減らしていく彼女を、心配そうにアスエルが見つめている。その膝の上では、馬車の揺れなどをものともせずにルフィが規則的な寝息をたてていた。
「大丈夫よ。珍しいものがいっぱいで、慣れていないし、少しはしゃぎすぎたみたい」
 顔の前で小さく両手を振り、無理に笑顔を見せる彼女に対して、アスエルは小さく肩を竦める。
 眼を閉じて物思いに耽っていたリギアが口を挟んだ。ラティアの虚勢が、幼い頃の彼女のそれと重なって見えたのだ。
「昔っからそういうとこ変わんねぇなぁ、おまえ。無理すると、また、身体壊すぞ?」
 隣からあきれたような口調で言われ、ラティアは小さく嘆息して肩を落とした。
「小さい時の事知ってる人って嫌ね! そうやってすぐに昔の事言い出すんだもの」
 眉間に小さく皺を寄せながら、視線を反らし拗ねる様子も昔と変わっていない。安堵のような苛立ちのような、形容しがたい感情がリギアの胸を満たした。
 幼いラティアと過ごした時間。彼はその平穏な時間を留めてしまえれば良いと、半ば本気で思っていたのだ。
 想いを振り切るように一度瞳を閉じ、リギアは窓から星の位置を確認した。
「あと一、二時間でリルカに着く。それから二、三日は馬を休ませるはずだからな。俺達も休もう。ああ、それと、アスエル」
 改めて呼ばれ、怪訝な顔をするアスエルに、彼は薄く笑ってみせる。
「あんたの娘に魔術をかけてもいいか? 傷つけるものじゃない。リルカは差別が激しいんだ。宿とるのに、ふっかけられないですむように」
「傷つける以外のものだったら、そりゃ、構わないが」
 頷いてリギアは手を伸ばし、指先をそっと少女の額に触れた。アスエルは怪訝そうな表情のままで、気遣わしげにその手を見つめている。指先に力を込めたところで、彼はラティアが眼を大きく見開いたまま硬直している事に気がついた。
「どうしたんだ?」
「リギア、魔術なんて使えたの? 私、知らなかった」
 詰問するような口調に、彼は眉を寄せて首を傾ける。
「話した事なかったか? 使えるって言っても、ちょっとした子供騙しなんだけどな。この位の小さな子なら、瞳の色を変えるくらいはできる。十歳を越えると、もう俺の力じゃ難しいけどな」
「話してくれてないよ、初耳」
 軽く唇を尖らせるラティアを、彼は呆れた様子で見やり嘆息してみせた。
「どうでもいいじゃないか、そんな事」
 ひっこめていた手を再びルフィの額に触れ、精霊語で何事かを小さく呟く。「どうでもよくないよ」と恨めしげに呟くラティアを黙殺し、リギアは指先に力を込めた。
 その指先に集まった光が、静かに吸い込まれるようにして少女の額に消えていった。優しくルフィの前髪を撫でつけてから、彼は口元に笑みを浮かべる。
「黒にしといたよ。余程の怒りや憎しみの、魔力の暴走に繋がるような感情を持たない限りは大丈夫だと思う」
「礼を言う。それにしても、おまえ、随分詳しいんだな」
 この大陸で息を潜めるようにして暮らす魔族達は、大抵の者が瞳の色を変えて生きているのだ。紫の瞳を隠さずに生活している者は、協力者のいない幼い子供、魔族として生は受けたが魔力には恵まれなかった者。そして、身に宿す魔力があまりにも強く、隠す事の出来ない者。それだけだ。
 感嘆の溜め息と共に吐き出された言葉に、リギアは曖昧な笑みを返し、竪琴の弦に指をかけた。
「ガキの頃、この身に魔力があると知って一度は魔術師を目指したんだ。一応色々と勉強して、努力はしたんだが……あんまりぱっとしなかったんだよ。まっ、その代わり、俺にはこういう才能が備わっていたわけだが」
 細い指先が奏でる旋律は、深く切なく胸に響く。一節を眼を閉じて聴き、悪戯な笑みを唇に刻んでラティアが小声で呟いた。
「ほんっとにね。ガサツで粗野なリギアが奏でる旋律とは思えないわ」
「あぁ? 何か言ったか?」
「誉めてあげただけよ」
 魔術が使えるのだと、聞かされていなかった事にヘソを曲げているらしい。つんっとわざとらしく顔を背けて窓の外へと視線をやり、しかし次の瞬間にラティアは嬉しそうに歓声をあげた。
「リギア! みてみてみてっ! 雪が降ってる!」
「何だよ、雪か。……寒いはずだよなぁ」
 外を覗きながら、リギアが嫌そうに眉を寄せる。
 月光の下、舞い降りる銀の欠片に、眼を細めうっとりと見入っていたラティアは、それを聞きとがめてくるりと振り返った。その表情は益々不機嫌そうだ。
「リギア。あなた、吟遊詩人のくせにそんなことでどうするのよ! この美しい景色にって即興詞の一つでも奏でるのが、詩人ってものでしょう?」
「ははっ。おまえ、それは物語の読みすぎ。仕事は仕事だ、日頃からそんな歯の浮いた事ばかり言ってられっか」
 鼻先で笑われて、彼女はむっとした表情のまま窓の外へと視線を戻した。
「でも、雪は、嫌いじゃない……。白くて、穢れがなくて」
 ラティアの横顔を見つめながら、囁くようにリギアは独り呟く。
「何もかも。罪も、憎しみも、哀しみも。全てを覆い隠してくれるんだ」
 どこか遠いその声に、アスエルがはっと顔をあげた。訝るようにそっとリギアの表情を窺う。
「穢れを、全て……一時、消し去ってくれる」
 低く、悲しく、その声は心に溶けていった。己を見つめるアスエルの眼差しに気付いて、リギアの表情が険しくなる。薄い水色の瞳と茶の瞳が、空中で交わり空気がぴんと張り詰めた。
「おまえは……」
 呟きかけて、アスエルは嘆息し首を小さく横に振る。一瞬だけ鋭い光を見せていたリギアの眼が、ゆっくりと和み再び静かな色を取り戻した。
「今、幸せか?」
 独白のようにアスエルが問いかける。青年は微かに、しかし力強く頷いてみせた。


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2.湖畔の出逢い ―5― [吹きゆく風と、沈む夢【完結】]

「来てくれたんだ! 良かった。もう、来てくれないのかと思ってたの」
 寝室に通された少年の顔を見て、少女の表情がほころんだ。具合がよほど悪いのか、半身を起こす事も出来ずに横たわったままの姿勢である。頬は蒼白く、疲れと諦めが表情に滲み出ていた。彼女の顔を見るのは一年ぶりであったが、胸の奥を衝かれたような息苦しさをリギアは覚えた。
「話したりして、大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。起きられなくてごめんね。今日は寒いからちょっと苦しいだけなの。でも、リギアが来てくれたから大丈夫だよ。だから、ここにいて? お願い」
 そう訴えるラティアは、また一段と痩せたように見える。
「本当はもっと早く顔を見に来たかったんだけれどな。遠くに……南の国境の方まで出かけていたんだ、悪かったな」
 申し訳なさそうに俯くリギアに、少女は微笑みかけた。
「ん。気にしてない。ただ、凄く、長かったよ……もう、会えないかと思った」
 言葉の最後は、消え入りそうな声になっている。あまりの弱々しさに、リギアははっとして少女の顔を見つめた。
「ね、リギア。旅の話してよ。少しは長く居られるんでしょう?」
 重くなってしまった雰囲気を取り繕うとするかのように、ラティアは明るい声を絞り出す。彼は少女の頭にぽんっと手を乗せて溜め息をついた。
「ああ、二、三ヶ月はここにいる。だから、話は明日にしような。今日は静かな曲を聞かせてやるから……とりあえず、寝ろ寝ろ」
 今年で十一になるはずのこの少女は、あまりにも儚く、弱々しい。同じ年頃の他の子供と比べても、明らかに身体が小さく痩せていた。
 けれども、その表情だけは類を見ずに豊かなのだ。基本的には明るく、ころころと良く変化する。苦しげな、こんな時にさえ彼女は笑っている。
「うん。ありがとう」
 寝台の近くに椅子を寄せ、小脇に抱えていた竪琴を構えるリギアを見ながら、少女は素直に頷いた。幸せそうに笑いながら双眸を閉じるラティアを見て、彼は何とも言えない気持ちに心を揺さぶられる。
 純粋に自分を見上げてくる淡緑の瞳は、どこか悲しげで切ないのだ。彼女の無垢な瞳に宿るものは、幼い恋とすら呼べない憧れで、当然彼には応えようもない。
 大切な、妹のようなものではあっても、恋愛対象とはなりえないのだ。
(ま、こいつだってな。もっとでかくなれば、別の男に本気で惚れるんだろうけどな)
 今、これ程に自分に懐いているのは、他に深く関わりあう相手がいない故にだろう。いずれ、彼女が本当に恋する相手が現れるまでは傍で見守ってやってもいい。そんな事を思いながら、リギアは竪琴を爪弾いた。
 やがて眠りについた少女の頬に触れ、わずかに眼を眇めて呟く。
「あんま、ムリしてんなよ。おまえ、まだガキなんだからさ。まだまだ、甘えていい頃だぞ? 周りの奴らだって、皆、心配してる」
 彼は口元に微かな笑みを浮かべて、少女の髪をそっと撫でた。
「ラティア……せめて夢の中だけでも、おまえが心から笑えるように」
 リギアはそう囁きながら、少女の額に指先で六芒星を描く。イセナーダに古くから伝わる悪夢除けの呪いだ。
 夢の中だけでも、彼女の願いが叶うよう。望みが叶うよう。祈りの込められた魔法陣の力なのか否か。静かに眠るラティアの横顔は、穏やかで幸せそうに見えた。


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