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3.霧の谷 -4- [虹色の花、緋色の草]

 夜明け前。
 大神殿の門から、黒毛の馬が駆け出した。
 騎上の人は、全身――頭部までを黒色のマントで覆い隠しており、いかにも人目を忍んでの出発と見えた。ハインとレフィアの二人である。
 ルメアに事情を話すと、彼女は二人の旅行を快諾した。それは拍子抜けをする程にあっけなく。
 しかし、レフィアは聖巫女になろうという人物である。通常であれば、そのような振る舞いは許されない。そこで、ルメアはレフィアを軽い病だと公表し、大事をとるためと称し面会の謝絶を命じたのである。
 出発は夜明け前に。神殿の見張りの交代の時間に、隙をついて脱出する。それを決めたのもルメアだ。
 その、過剰なまでに協力的な姿勢に、ハインは何か釈然としないものを感じたが、レフィアとの外出が許されたことのほうが重要であったので、あえて詮索はしなかった。
 少なくとも、ルメアがレフィアの敵にまわることはない。そうであるなら、自分がレフィアを守ろうとする以上はルメアも自分を悪いようにはしない。
 そんな確信もあった。

「なんだか、駆け落ちみたいだね」
 手綱を握るハインの前に座ったレフィアが、無邪気にそう呟いた。そして、身を捩ってハインの顔をのぞきこもうとする。
 彼女に他意はない。それは、もう充分すぎるほどわかっていた。
 けれども、胸が傷む。
 ハインは軽く目を伏せて、殊更に平静な口調で彼女に告げた。
「黙って大人しく乗ってろ。舌を噛む。しまいには……落ちるぞ」
 レフィアは不服そうに頬を膨らませたものの、黙って彼に従った。馬上はひどく揺れたし、落ちるのは怖かったからだ。
 ハインは小さくため息をつきながら、そんな彼女の背中を見つめた。
 残された時間は、あと僅かだ。
 聖巫女就任の儀。
 それまで。それまでに、彼女を、振り向かせねばならない。
 レフィアが聖巫女になってしまったならば。もう、今までのように彼女に接することは出来ないだろうから。いかにルメアの支持があろうとも、彼は一介の剣士にすぎず、聖職者でさえも滅多に会うことの叶わぬ人物に話し掛けることは愚か、会うことすら許されない。
 一生を捧げたいと、思った彼女だから--。
 彼女は、暗闇を彷徨うような彼の心にさした一条の光だから。
 だからこそ、何をおいてもこの腕の中にかき抱きたいのだ。この先の、未来を生きていくために、彼にとって必要な存在だから。
 けれども。
(どれだけの確率があるのだろう)
 そう、彼は思う。
 レフィアが、彼に好意を抱いていることは、もうわかっている。しかし、その好意がどれほどのものなのかはわからないのだ。
 聖巫女として生きる事を捨てて、神殿を追われることを受け入れてくれるか否か。それは、とても難しいことのように思えた。
 少なくとも、今のレフィアには……。
(ま、……やれるだけのことを、やるだけさ)
 あと、一ヶ月はあるんだ。そう、ハインは心に呟く。
 それで駄目だったら、どうしようかな。そんなことを、チラリと思った。
 思った端から、彼の唇がくっと歪んだ笑みを作り出す。

 決まっている。
 どんなことがあろうと、彼女を手に入れると決めたのだ。
 手に入らないならば、攫うまで--。


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3.霧の谷 -3- [虹色の花、緋色の草]

「いつもながら……」
 諦めにも似た嘆息を吐きながら、ハインは頬に落ちかかる薄茶の短髪をかきあげた。アルフィラ人の特徴である赤銅色の肌に、良く映える彼の濃青の瞳が呆れたような色を含んでいる。
「なんだって、あんたはたかが買物にこんな時間をかけるんだ」
「そんなにかかってないでしょ? それに何よ、たかが買い物って」
 頬を膨らませながら、レフィアはそう応じた。
 ブローチを買いたい。そう言って護衛であるハインを伴いこの市場にやってきてから、小一時間が経過している。
 この時間を短いと判断するか長いと判断するかは、人それぞれだろう。しかし、ハインにはハインの思惑があり、彼女が買物を済ませる時間が途方もなく長く感じられたのである。
 このところ、レフィアの私的な買物にハインがつきあうのは恒例の事となっていた。大勢の護衛が付き従うのを彼女は嫌がっていたし、ハインの腕の程が神殿の神官騎士に保証されたこともあって、遠出をするのでなければ護衛はハイン一人で構わない。という、いわばお墨付きをもらったのである。
「ごめんね、毎回付き合わせて。でも、ハインの他の護衛の人とじゃ、買物来てもおもしろくないしさ」
 その言葉はハインにとって、嬉しいものだ。緩みそうになる表情をひきしめて、なんてことのない表情を繕ってはいたが。
「いいけどね。どうせ、俺も暇だからさ。エダールが、しばらくこっちには来るなって言ってるもんでな」
「え? どうして?」
「そりゃぁ、やっぱりな。神殿に部屋まで与えてもらっている俺が、盗賊団のアジトから通っているのはまずいだろうし。それに、おまえを狙っている奴らに、俺の素性がわれたりしたらやばいだろう?」
「まぁ、そうだけれど。でも、ハインは寂しくないの?」
 真剣に問われて、ハインは苦笑した。
「あのな……。ガキじゃあるまいし。おうちが恋しい年でもねぇよ」
「うぅ。そういう意味で言ったんじゃないもん」
 頬に思い切り膨らませて、レフィアが唸る。「じゃあ、どういう意味だよ」と言ってやりたい言葉を飲み込んで、ハインは眼を細めてみせた。
「馬鹿にしてる?」
 それをどう解釈したのか、少女は益々頬を膨らませている。
「破裂するぞ、そのうち」
 そう、冷たく言ってから、ハインは軽く彼女の髪を撫ぜた。
「なによぅ」
 完全に拗ねきった様子でレフィアが呟く。
「それよりも、今日はレフィアに頼みがあってな」
「頼み?」
 完全に想定していなかった彼の言葉に、レフィアは目を見開いて首を傾げてみせた。
「なぁに?」
「ん。二,三日でいいんだけれど、俺につきあってくれないか? 見せたいものがあるんだ。幸い、儀式も一段落しているし、後、一週間程は、神殿の予定は何もないだろ?」
「うん。ないけれど」
 レフィアは思案顔になって、俯いた。
「二,三日って、遠いところにあるの?」
「まぁ、そこそこ。ケムンって山があるだろ。そこの近くに、小さな丘があってさ。ケムンと挟まれた場所を『霧の谷』って呼んでいるんだ。目的地は、そこ。馬を借りて行くつもりだから、二,三日」
「わたし、馬なんて乗れないよ?」
「心配すんな。俺が、乗っけてやるさ」
 穏やかに笑っているハインを上目遣いで見つめながら、レフィアは小さく唸っている。
「行ってみたい気もするんだけれど、神殿がいいって言わないよ。こうやって、買物にくるくらいならば、いいって話になっているけれどさ。流石に、何日かっていったら、絶対に駄目って言われるよ」
「知ったこっちゃないって。ルメアさんにだけ断って、ルメアさんにだけ許可してもらえば大丈夫だろ。いざとなったら、攫ってくから。俺は、レフィア自身が行きたいのか行きたくないのか知りたい」
「だから、行ってみたい気もするって。でも、見せたいものって何なの?」
「それは、見てのお楽しみだな。実際、口じゃうまく言えないんだ。でも、レフィアに見せたい。見て欲しい」
 そう言うハインの瞳は、かつてない程に真剣で。レフィアは思わず息を止める。
「…………」
 吸い込まれてしまいそうだと、心の片隅で思った。更に、ハインが見せたいと言うものを、自分の眼で見てみたい、と。
「行ってみたい」
 思わずそう答えてしまってから、レフィアは両手でばっと己の唇を押さえた。
「うわ、あのね、でも、ルメアおばさんが、いいって言ったらだよ!」
 慌てたようにつけたすと、ハインはにやりと笑ってみせる。
「いいって、言うさ。それよりも、あれだ。泊りがけで出かけるのいいって言ったんだから……俺の女になるってのも、承知したってことか?」
 言われている意味が理解できずに、レフィアはしばし黙り込んだ。それから頬を真っ赤に染めて、ハインを睨み付ける。
「そういうこと言うなら、行かないから」
 ふいっと反らした彼女の顔をのぞき込み、彼は苦笑した。
「冗談に決まってるだろ」
「だったら、いいけど」
 実際は半々で吐き出された言葉だったが、それは胸にしまっておくことにする。
 すぐさま尖らせた瞳を和らげて屈託のない笑顔になるレフィアを、ハインは形容し難い表情で見つめていた。


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3.霧の谷 -2- [虹色の花、緋色の草]

「何かね、気持ちが落ちつかないの。傍にいたりすると、ざわざわする感じ」
 ハインについて彼女がそう語った時、思わずルメアは相好を崩してしまった。そして、我に返った後、怪訝そうに自分をうかがう少女に曖昧な笑みを返す。
「どうしちゃったんだろ、わたし」
 ぼんやりと吐き出された言葉を、きかなかった事にして何も答えず、ルメアは黒眼を細めた。彼女の発言は、決して聖巫女として望ましいものではなかったけれども、ルメアにとっては望ましい言葉だったのである。
「傍にいて欲しくないのかしら?」
 わざと、そう訊いてみる。少女はルメアの思った通りに、大きく首を横に振った。
「ううん。どっちかっていうと、傍にいて欲しいって思うよ」
 これといって仕事のない、緩やかに過ぎる午後のひととき。
 レフィアは高司祭ルメアの私室を訪れて、紅茶を振る舞われていた。お茶菓子として共に出された焼き菓子は、香ばしくて微かに甘みのあるレフィアの大好きなものだ。その焼き菓子をかじりながら、レフィアは溜め息をついた。
 窓から差し込む日の光は、冬だとは思えない程に明るく暖かい。そんな光に手をかざしてみても、もやもやした心はどこまでも晴れないままだ。
「ハインは、何か不思議な人なの。傍にいると、何だかほっとするんだ」
 盗賊なのにね。と、レフィアは心の中だけでつけたした。
 そんな思いが、口元に悪戯っぽい笑みとなって現れている。小悪魔のようなその微笑に、ルメアは苦く笑った。
「何を考えていたの?」
「ん? 別に、なんにも」
 自身の、そんな悪戯な表情には気付かないまま、悪びれずにレフィアが答える。
「彼といる時のあなたは、とても楽しそうよ」
「うん。楽しいよ。ルメアおばさんといる時、神殿のみんなといる時。楽しい。ハインといる時も、そんな感じ。何だろう。わたしのこと、わたしとしてみてくれる人といるのは、とっても楽しいことだから」
 ルメアは、ふと胸が痛むのを感じた。
 幸せそうなレフィア。けれども、彼女はきっとその胸に宿った想いが何であるのか気付いていないのだ。
 その感情が芽生えてくれる事を、ルメアは心待ちにしていた。けれども、既に手後れなのだ。ほんの少し、遅かった。
 レフィアが、その想いを強くもつほどに、彼女は心を痛めることになってしまう。
 還俗を許されず、その一生を神に捧げる『聖巫女』。
 彼女が誰かと想いを遂げる事はあってはならない。レフィアの想いは叶わないのだ。たとえ、お互いに想い合っていたとしても。
 だから、願わずにはいられない。淡すぎる想いのまま、彼女がその心に気付かないでいてくれることを。
 しかし、同時に望んでしまうのだ。彼女が添い遂げられればいいと。
 矛盾以外の何ものでもないその二つの思いが、ルメアの胸を締め付ける。
「ルメアおばさん?」
 己の思考の中に沈んでいたのだろう。戸惑うような声に呼びかけられて、はっと顔をあげると、大きく瞳を見開いたレフィアが顔を近づけていた。
「なんでもないわ」
 穏やかにそう答え、彼女は笑顔を繕った。
 最近のレフィアは、歳相応な表情を浮かべていることが多くなった。それだけで、充分とも言えるのではないだろうか。そんなことを、思いながら。
「レフィア。……今、あなたは幸せ?」
 ふと、そんな言葉が零れ落ちた。少女の瞳を見つめながら、ルメアは答えを待つ。
「うん」
 頷きながら、何故かレフィアは涙を堪えるように忙しなく瞬いた。そして、ルメアの首にきつくしがみついて、俯いてしまう。
「すごく、しあわせ……」


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第四章.瓦解 ―5― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

 そう言いながら彼は、右手で懐を探り銀色の短剣を取り出す。ミレーネは大きな緑の瞳を見開いて、鞘を払うディムスの手元を見つめた。そうすることしか出来なかった。銀の刃が燭台の灯りを受けて、白く、赤く、光を放つ。
「永遠にお眠りなさい。ミレーネ姫」
 ここへ来て、ようやく逃れようとする彼女の目前に、ディムスが素早く間合いを詰めた。咄嗟の事態に慣れていないミレーネには、神聖魔法で身を護るというような行動が取れない。目前に迫った危機に対して、どう対処して良いのかすらわからないのだ。
「セルレイン様!」
 悲鳴の代わりに夫の名前を小さく叫び、ミレーネは固く眼を閉じる。吸い込まれるように銀の刃が彼女の左胸を貫いた瞬間――。
 乱暴に扉が開け放たれた。驚く様子もなく、ディムスは短剣を引き抜き、小声で呪文を唱える。
「貴様……」
 殺気を漲らせてこちらに向かって来るセルレインを振り返る事なく、彼はその姿を消した。短剣を抜かれた傷口から多量の血を溢れさせ、ミレーネが床に沈む。
「姫!」
 出血のショックで身体を痙攣させているミレーネを抱き起こし、彼は唇を噛んだ。彼女の意識は既になく、危険な状態だった。廊下を駆けてくる途中で、魔術によって深い眠りに落ちている衛兵達を眼に留めた瞬間よりも、彼の鼓動は逸っている。開け放たれたままの窓から吹き込む風が頬を撫ぜ、その冷たさに彼は身震いをした。
「あの男は」
 奥歯が鳴る程に強く歯を噛みしめて、セルレインは昏い炎を瞳に灯す。その間にもミレーネの体内の血液は、心臓が脈を刻むよりも速くに失われてゆく。
(許さない)
 脳裏に刻まれた中背の男の後ろ姿にそう呟き、彼はミレーネの白い頬に触れた。血の気が失せ、蒼ざめた頬は冷たくて、彼の背をも凍らせる。
「姫」
 それは、四年前のあの日と同じ想いだった。哀しいのか、悔しいのか。それとも恐ろしいのか。区別のつかない緩慢な心。
(また、間に合わなかった)
 自分がどれほど強い力を持っていても。誰しもが認める剣の腕前であっても。肝心な時、そこにいなくては意味がないのだ。
 かみ締めていた唇を緩め、セルレインは水の精霊の力を借りて、彼女を癒すための呪文を唱えた。ミレーネの傷口が塞がってゆくが、意識は遠く戻らない。それどころか、生命の光が急速に薄れて行くのがわかる。
「姫っ!」
 無我夢中で、彼は呪文を唱え続けた。けれども、その腕の中で、彼女の息は細くなるばかりだ。
 セルレインの瞳が淡く紫に揺らめき、印を結ぶ手には紫銀の光が集う。やがて彼は呪文を止め、きつく妻を抱きしめた。弱々しい脈が伝わってくるものの、もう殆ど息がない。
 絶望に包まれた彼の胸に、ひとつだけ思い浮かぶ光があった。しかし、それを実行すべきなのかひどく迷う。もしも、目覚めたミレーネが拒絶を示したら――きっと自分は生きてゆけない。
 彼は、永遠に彼女を失ってしまう恐れと、拒絶される恐れとを無意識に比べていた。どちらの恐れも深く、哀しくて、セルレインは自嘲的に唇を歪める。
 迷っている時間などないのだ。今ならば、『まだ』間に合う。
「許して欲しい、姫。もしも、この生命を君が拒むなら。その時は、私が決着をつけるから」
 ミレーネはぐったりと彼に身を預けていた。腕の中の彼女を見つめ、セルレインは切ないばかりの声音でそう囁きかける。彼は騎士剣を抜き、妻の背に回した左手で彼女の手を取ると、刀身の柄に近い部分で甲に浅く傷を付けた。
 じわりと朱いものが滲み出す。彼は傷口に唇を押し当て、溢れる血液を舐めとるようにして飲み込んだ。
 誰から教わったわけでもない、魔族の『血』が伝える『記憶』。それは、人間に力を与えるための『儀式』だった。力を欲する人間の生命を代償に、己の力の一部を生命として与える。その儀式によって、死にゆく者の魂を繋ぎ止める事も可能だ。その場合は代償となる生命が希薄なため、魔族にかかる負担は大きくなる。故に大きく力を削がれることとなるし、何人もに儀式を行うことも出来ないのだ。
(目覚めた姫がこの瞳の色を見て、もしも侮蔑や嫌悪の表情を浮かべたなら)
 その時は、何も告げずに眠りの魔術を唱えよう。そう決意して、セルレインは左手に剣を持ち変えた。剣に己の右手を押し付けて、甲に傷をつける。
 滴る血を口に含んでから、ミレーネの顎に手をかけて唇を押し開いた。
(もう、失いたくないんだ)
 眼を閉じて、彼は妻の唇に己のそれを重ねる。半身を起こすようにして血を飲み込ませると、セルレインは騎士剣から手を離して小さく何事かを呟いた。
 その瞬間。紫銀の光がミレーネを包み込む。光は、ゆっくりと彼女に吸い込まれて行った。
 やがて、光が消えた後――。弱々しくはあるものの、妻の息は先程よりも安らかなものになっている。ほっと息をつき、一瞬だけ表情を緩ませたセルレインだが、すぐにその紫眼を鋭く尖らせた。


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第四章.瓦解 ―4― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

 重苦しい、胸をしめつけられるような夢を見ていた。夢の内容を覚えているわけではないが、それだけはわかっている。
 悲鳴を上げて眼を開けたミレーネは、横たわったまま深呼吸を繰り返した。震える指で水色の掛け布団を握りしめる。それからゆっくりと身を起こし、彼女は深く溜め息をついた。頬を濡らす涙を、夜着の袖口で拭いながら、再び嘆息する。
 両親と、兄の暗殺を聞かされた彼女はその場で意識を失った。はっきりと目醒めたのは二日後の夕方で、もしかしたら悪夢の類であったかもしれないと、ミレーネは淡い希望を抱く。しかし、周囲の空気がそれを許してはくれなかった。
 落ち着いたところを見計らったように、彼女に事の顛末が伝えられた。そのショックの為に出た高熱がひいたのが、つい昨日。この一週間、彼女に安らかな眠りはない。
 ミレーネは寝台を降りて、薄暗い燭台の光を頼りに、寝室の中央に位置する四足の木机に近づいた。夜明け前に光が消えてしまうことが嫌で、寝付く前に侍女に取り替えさせたために、まだ燭台の明りは勢いを失っていない。
 昨日の昼過ぎ、王城から帰ってきたセルレインは彼女と騎士の数人を呼び、王城で決まったことを淡々と告げた。その後、彼女の部屋はこの場所に移されたのだが、元々の彼女の部屋と大差ないよう計らわれている。けれども、違和感や不安を拭うことは出来ずに、彼女は縋る様に明りを望んだ。
 机の上に置いてある水差しとグラスを、手を伸ばして取り少量の水を注ぐ。そして、それを一気に飲み干して喉を潤すと、急に冬の冷たい空気が肌を撫でるように感じ、彼女は小さく身震いをした。閉塞感を恐れ、窓を覆うための木戸を開け放したままなので、満月に近い月の光が柔らかく室内を照らしている。窓に近づきはせずに空の様子を窺うと、まだまだ深い藍色をしており夜明けまでには幾時間もありそうだった。寒さを感じながらも、ミレーネは木戸を閉める気にはなれない。
「もう、今日は、眠れませんね」
 みたびめになる溜め息を吐き出し、彼女は机の上の燭台を手に取った。それから、窓際からは離れた廊下側に位置する寝台へ向かう。枕元の小さな机に置いてあった燭台に火を移し、中央から持ってきた燭台を隣に置いた。どちらも銀製で、大輪の花を模した複雑な紋様が掘り込まれている。
 もう一度中央の机へ足を向け、そこから厚い本を二冊持ち、ミレーネは寝台の上に腰掛けた。薄い生地の夜着では寒いため、枕元にたたんであった厚手のショールを羽織る。
 学ばなくてはならない事は、まだ沢山あるのだ。眠れないのであれば、この時間を有効に使えば良い。ミレーネは軽く息を吸い込み、心の中にわだかまるもやもやした気持ちを振り払おうとした。気丈に振舞わなければならない。彼女は自身にそう言い聞かせていた。このような時こそ、弱さを見せてはならない――と。
 ゆっくりと、目で文字を追いかけていると、一人の男の顔が脳裏に浮かんだ。三十三の歳にして賢者などとうたわれている男――兄の教育係であったアルス。何故だか無性に、彼の顔が見たかった。そして、いつものように優しい声で話し掛けて欲しかった。それは己の弱さを認めることでもある。しかし、誰かに手を伸べて欲しかった。夫であるセルレインには、これ以上の負担はかけたくない。
「アルス先生」
 頼りなく呟いて、本を閉じた瞬間。ぞわりと背筋に寒気がはしる。
「だ、誰ですっ?」
 震える身体を押さえながら鋭い声で誰何すると、どこからともなく男の声が返って来た。
「なかなか、カンの鋭い方ですね。気付かれないうちに始末してしまおうと思っていたのですが」
 ミレーネは本を投げ出し、寝台から飛び降りて、裸足のままで扉へ駆け寄る。
「逃しはしません」
 含み笑いと共に、男が姿を現した。ミレーネと扉の間に。突如、彼女の行く手を遮るように。
「ディムス神殿長」
 現れたその人の顔を見て、彼女は息を飲んだ。王城にて良く見知った顔だったのである。彼は、ミレーネのような神官や司祭を束ねる、ファルク王国において最高位の司祭だった。常時と同じように足首までを隠す長い黒色のローブを着ている。神殿で定められた、神官の正装だ。
「何か、御用なのですか」
 そう問いながら、彼女はそっと後退る。酷薄な笑みを浮かべながら、ディムスは彼女を壁際へ追いつめた。
「あなたを殺しに」
 神殿長が、その位に似つかわしくない言葉を平然と言い放ち、ミレーネは息を飲む。光の神に仕える司祭の言葉とは、とても思えなかった。
「まさか、あなたが?」
 驚きを隠さず緑色の瞳を見開くミレーネに、ディムスはにやりと笑いかける。
「そう、全ては私が仕組んだ事です。全てね。本当は、セルレイン様を首謀者としたかったのですがね。彼は私が思っていたより賢かったので、標的を変えざるを得ませんでした。まぁ、思ったよりも上手く行きましたよ。あとは、貴女を殺せば、それで終わりです。ああ、私が直接に手を下したわけではありませんよ。あなたのお父様方も前公爵夫妻もね」
 醜悪に歪むディムスの表情を見つめながら、ミレーネは唇を噛みしめた。不思議なもので恐怖は感じていないのだ。ただ、怒りのみが強く胸にある。
「この国の王となる貴女の夫に敬意を示して、貴女だけはこの手で殺しましょう。もっとも、あの方の在位もロザリー様との間に子を成されるまでですが」
「そして、あなたがその子供の後見人となるのですね? その頃にはファシナス様も消してしまうおつもりですか?」
 自分を見据えながら放たれたその言葉に、ディムスは大きく目を見開いた。まさか、夢の中で暮らしているような印象の姫から、このような台詞を聞かされるとは思ってもいなかったのだ。
「あなたも、賢い人ですね。可愛いばかりの姫君だと思っていましたが」
「神殿長。あなたは、何を望んでいるのですか?」
「この世界です。この国を手にいれ、次はこの大陸を。そして、世界を手に」
 何でもない事のように、さらりと言ってのけて彼は微笑んだ。
「まぁ、色々とありましてね。私は、世界を創り変えたいのですよ。あぁ、ご安心下さい。今の私には、神官としての力はありませんから。神殿長になる少し前に、神の奇跡は使えなくなりました。悪しき者には扱えぬ力と言うのは真実です。……なってしまえば、あとはどうとでもね」
 口を噤んで、ディムスはわずかに眉をひそめる。
「気付かれましたね」
 呟いてディムスは口許に微笑をはりつけ、怯えた様子も見せないミレーネに視線を戻した。
「貴女は、とても賢い。もう少し、貴女に欲があれば、こちら側に引き込みたかった。殺すには惜しい人ですが、やむを得ません。死んでいただきますよ」


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第四章.瓦解 ―3― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

 喉が引き攣る様な声を上げながら、セルレインは飛び起きた。切なく、悲痛な声だった。跳ね除けた毛布が、ぱさりと乾いた音をたてて床に落ちる。
「嫌な夢だ」
 そう呟きながら、彼は溜め息をつき胸の辺りを押さえた。時刻は真夜中だろうか。
 夕刻に、セルレインは召されていた王城からロイスダール城へ帰った。街道を行く途中、国王一家の国葬の準備や、公示へ向けて走り回る伝令と幾度かすれ違い、その度にこれは夢ではないのだと思い知らされた。ラッセル王が暗殺されてから数日間。城下町や主だった貴族の領地は、どこもかしこも人の出入りが多く慌しい空気に包まれている。ロイスダール領の住人達も例外ではなく、騎士連中のぴりぴりとした空気に感染し、苛立っている様相の者が多かった。ロイスダール城へ帰りついたセルレインは、ミレーネや身内の騎士達を集め、自身が承諾した一件を伝えた。側室に関する部分は、どう切り出すべきかを迷い省いてしまった。騎士達の中には巡ってくる噂で側室の話を伝え聞く者もいたが、それをあえて口にする者はいなかった。
 ぼんやりとその時のことを頭に思い浮かべながら、セルレインは呼吸を整えた。額に滲む汗がおさまる頃、彼は異変を感じて注意深く辺りを見回す。『あの日』と同じような激しい嫌悪感が、セルレインの胸に湧き上がっていた。
「今度は、私か?」
 王位に就く事を承諾した途端、こうなると言う事は、敵は宮廷内部の事情に詳しい者なのだろう。苦い笑いが自然と唇に浮かぶ。
「誰が、黒幕だ」
 呟きながらセルレインは寝台を降りた。素早く靴を履き、昨晩着たまま眠ってしまった簡素な藍色の上下服の上に黒いマントをはおる。
 そして、長椅子に立て掛けてある騎士剣を右手で力強く掴み、大きく息を吸い込んだ。今回感じる魔力の主は一人ではない。
 ゆっくりと息を吐き出しながら、彼は侵入者達の動きを探った。あちらこちらに散らばった気配は、まるで何かを探しているかのようなまとまりのない動きをしている。今のところ、城内で魔力が放たれた気配はないが、もしかしたら直接的な攻撃を受けた者がいるかも知れない。
 セルレインはそっと扉を押し開けて、廊下の様子を窺った。人の気配はなく、騒ぎも起きてはいない。規則正しく並ぶ燭台も、間をおいて灯され最低限の明るさを提供していた。
 しばらく迷った後、彼は大声で叫ぶ。
「賊が入った! 戦おうとしなくていい。皆、外に逃げるんだっ!」
 息を吸い込みながら、セルレインは歯噛みした。城内に感じる、一番強い魔力の主。それがミレーネの許にあるのだ。ある程度このような事態を予測していた彼は、妻の寝室を階をひとつ下り回廊を巡った先の部屋に移していたのである。しばらくの間、己の自室から遠ざけ、もしも何かが起きた時に彼女には害が及ばないように。そう考えた結果が、仇になった。
「ミレーネの許には、私が行く」
 魔術を操る相手ならば、自身も魔術をもって対抗する必要があるかもしれない。その場合、他の人間は邪魔以外の何者にもならない。故に、セルレインはそう叫んだ。ちらりと脳裏を、傍に幾人か衛兵を付けさせた事がかすめるが、大事の前の小事と拭い去った。
 やがて、巡回の衛兵達が彼の声に気付き集まってくる。セルレインは彼らに起き出しつつある使用人達を外へ逃がすよう命じた。衛兵達はそれを受けて立ち去ったが、彼らより少し遅れてやって来た騎士達は首を縦には振らない。王宮騎士ではなく、ロイスダール公爵家に仕える騎士達だった。この城内に部屋を与えられ、生家を離れ過ごす者も多い。中にはセルレインが子供の頃に、剣を教えてくれた者もいる。
 口々に反意を唱える騎士達に、再度命令を下す事は彼には出来なかった。
「わかった。しかし、無理はしないでくれ。人命を最優先させるんだ。年の若い者は戦わず、宿直以外の者に伝達を。それと――」
 セルレインは声を低め、速度を緩めずにいた足をぴたりと止める。
「私と、共には来るな」
 きつい瞳で見据えられた者達は、首を横に振ることが出来なかった。聞き慣れている、穏やかなセルレインの声が有無を言わさぬ響きを持っていた。ひどく恐ろしく、逆らってはならないもののように聞こえたのだ。
 セルレインは小さく息を吸い込んで、右手に持つ騎士剣を握る力を強めた。そして、踵を返す。
 走り去る彼の姿が階段に消えるまでのわずかな間、騎士達は呆然と立ち尽くしていた。ひときわ高い、石段を急ぎ下る靴音で我に返る。直後、彼らは各々が成すべき事を果たす為に動き出した。


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第四章.瓦解 ―2― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

 誰かに名を呼ばれているような気がしていた。聞き覚えのある男の声だ。己の大切な存在の声。
 そう、解るというのに、それが誰のものであるのかを思い出すことが出来ない。何故か、切ないような想いが溢れ、呼吸をする度にきりきりと胸を締め付けた。
 自分を呼ぶ声が、誰のものなのか。声の主を見ようと、彼は眼を開けようと必死になっている。しかし、瞼が意思を持ち、彼を妨げているかのように開かない。もどかしさに歯噛みしながら、彼は叫んだ。
 何を叫んだのかは、彼自身にもわからない。ただ、獣のように太く唸っただけなのかもしれなかった。
「セルレイン……」
 声は恨めしそうな調子を含み、ただ、自分の名を呼んでいる。そんな声で呼ばないで欲しい。彼はそう吐き出して、空を掴んだ。ひどく悲しくなり、鼻の奥がつんと痛い。涙が零れそうになるのを堪える、その感覚だ。
 彼は双眸を閉じたまま、めちゃくちゃに両手を振り回した。そうすることで、名を呼ぶ誰かを捕らえられるような気がしたのだ。
 結局、手には何も掴めなかったが、生暖かい感触が伝わった。ぬるりと指先がすべる。覚えのある感覚に、彼は心が冷えていくのを感じていた。同時に、恐怖がふつふつと湧き上がる。
 眼が開かぬために何も見えぬ空間の中、自分以外の誰がいるのかもわからない。腕を伸べれば指先が触れるところに、血液のような感触がある。声を上げることは堪え、セルレインは大きく息を吸い込んだ。すると、むせるような血の匂いが彼の嗅覚を刺激する。
 強烈な吐き気をもよおして、彼は両手で口を押さえた。己の指先についた何かが、口元に触れる。それで、滴るそれが何であるのかはっきりと悟った。唇に伝う雫が口に入り、苦さに眉を寄せる。ますます酷くなる吐き気は、堪えきれぬ寸前だった。
「セルレイン。おまえにもう一度会いたかった」
 名を呼ぶばかりだった声が、そうはっきりと彼の耳元に囁く。まだ、青年になりきらぬ男の声だ。彼は必死で両手を伸ばして、声の主を探った。両手の先には確かな感触があり、逃すまいと強くしがみつく。
 声の主は抗うでもなく、成すがままになっていた。彼を抱きしめるようにしたところで、セルレインは強い違和感を覚えた。聞こえてくる声は、間違いなく人間のものだ。それなのに、この身体は氷のように冷たかった。そして、生命もつ者の柔らかさを失くしていた。
 違和感は次第に強くなり、彼の全身が緊張のために小刻みに震える。声の主が何者であるのかという初めの疑問は、彼の脳裏から綺麗に消えてしまっていた。
 その時、眩いばかりの閃光がはしる。眼を閉じている彼にも感じられる程に、それは凄まじい光であった。
 セルレインは閉じている眼を更にきつく閉じ、光が治まるのを待った。しかし、一向に治まる気配がない。彼は恐る恐る瞳を開き、辺りの様子を窺った。あんなにも必死になっていた先程は開かなかったと言うのに、今は容易に瞼を開くことが出来る。
「……」
 言葉を失い、彼は眼を開いたことをひどく後悔した。閃光は魔術が作り出した光だった。そして、その魔術は人を殺めるためのものだ。
「例え俺が死んだとしても、貴様らの好きに世界は動かない!」
 叫ぶ声の主はラルバート。彼の大切な、妻の兄。魔術の光に照らし出されたその場所は、彼の自室だった。
 乱雑に散らばった書物や、手紙の類。辺りに飛び散って付着した朱色の雫。魔力を持たぬ彼には、決して抗うことの出来ない力を前に、それでも必死で抵抗した様子が垣間見える。ラルバートと対峙する五人の男達の、半数が深い刀傷を負っていた。
 魔術により深く傷を負ったラルバートは、もう立っているのがやっとの様子だ。セルレインは必死で癒しの呪文を唱えるが、彼にその力は及ばない。何故だと焦る彼の心に、次第に苛立ちが生まれていった。
 ぐるりと部屋を見渡すと、かき乱された机の上にラルバートが使いつけていない便箋がある。セルレインはそれに視線を止めて、何故か胸が苦しくなった。彼には似合わぬ、草木染めの便箋だ。言葉を書きなぐっては破くということを繰り返したのであろう、書き損じた便箋が幾枚も丸められて転がっていた。おそらく、婚約者である侯爵家の姫へ宛てたものだ。
 ひときわ魔術の気配が膨れ上がり、セルレインははっと我に返った。ラルバートは剣を杖に立ちながらも、意思の弱まっていない緑の瞳で男達を睨み付けている。輝く金の髪は、今やこびりついた血で赤茶けていた。けれども、凛とした姿は変わらない。
 セルレインは言葉をもつれさせながら、呪文を唱えた。彼を守りたい一心だった。心の片隅では、それが無駄な行為であることを理解していたが、それでも彼は魔術を放つ。
 その瞬間、――視界が真紅に染まった。


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第四章.瓦解 ―1― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

 『国王一家暗殺』の報は、五日のうちにファルク王国中に知れ渡った。
 隣国セフトからも、真偽を確かめる文面の親書が届けられている。セフト王国はその隣国であるラーヤ王国と半年前に同盟を結んでおり、同盟の目的はクシュア大陸の制圧とも言われている。
 セフト王国からの親書は、ファルクの宮廷貴族らに恐怖をもたらした。魔術部隊を組織していない、大陸中もっとも侵略しやすい国――それが、現在のファルク王国なのである。
 これまでは、ラッセル王の良政もあり、国民の国を思う気持ちが強かった。国を征服した後の反乱騒ぎなどを考慮して、隣国は攻め入ることを躊躇っていた節がある。
 国王不在の、正統な後継者がいない時期に攻撃をしかけられては、ひとたまりもない。
 彼らは国王の椅子に座るべき者を求めた。
 神殿に納められている王位の継承権を記した系図には、当然ながらミレーネの名がある。クシュア大陸では、男子の王位継承が優先とされているが、歴代に女系の王がいなかったわけではない。国によっては、女子には王位を継承させないという慣わしもあるが、ファルク王国はその限りではなかった。
 ラッセル王に兄弟はなく、彼の父にも姉が一人いるのみで、しかも他国へ嫁いでいる。更に系図を遡れば、ラッセル王の祖父には妹が二人おり、それぞれが嫁いだ先はリーズライト公爵家とロイスダール公爵家だった。
 故に、リーズライト公爵家の当主にも、王位の継承権があったが、昨年、リーズライト公爵夫妻は暗殺され、本年で五歳になる息子が爵位を継いでいる。その後見人となったファルン侯爵は、何かと良くない噂の付きまとう高齢の男で、国民からの信頼は皆無だった。
 優先権は男子にあるとされてはいるが、リーズライト公爵は五歳。後見人には人望がない。
 その状況から、白羽の矢はセルレインに立てられた。正式には、リーズライト公爵の次位になるが、自身に継承権を持ち、ラッセル王の娘を妻としている。そして何よりも、ロイスダール公爵家は国民からの支持が高かった。今も国の吟遊詩人達は亡きレイルドを詠っている。
 執政の中枢にいる貴族達は、ファルクの両翼と称される両家の力の均衡を保つために、ロザリーをセルレインの側室として彼を国王とする事を決定した。
 当然、セルレインはそれを――とりわけ、側室の話を拒否したが、彼自身にも拒否しきれないことはわかっていた。継承権を持つ妥当な者は他にいなかったし、ファルン侯爵の悪評は彼も耳にしている。
 加えて、事は急を要していた。ファルク王国が大事なく存続する為には、セフト王国に付け入られる前に国内の――貴族たちの混乱を治めなければならないのだ。この期に便乗して、己の地位を高めようとする輩は、掃いて捨てるほどいる。その騒ぎを静観していられるわけもなく、深く悩んだ末にセルレインは承諾の返答を出した。


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第三章.反旗 ―9― [哀歌を詞う、小鳥達【完結】]

 数日後の早朝。
 奇妙な胸騒ぎと共に、ミレーネは早くに眼が醒めた。侍女を呼んだが、誰もやって来る気配がない。彼女は窓に近寄り、その扉を開いた。朝の清らかな風が寝室を巡る。窓から下を見下ろすと、なにやら騒然とした雰囲気だけが伝わってきた。
 ミレーネは急いで衣服を着替え、大雑把に髪を整える。侍女を待つ気はしなかった。こうしている間にも、胸の辺りを締め付けるような嫌な感覚が、どんどん大きく膨れていくのだ。彼女は、逸る動悸を鎮めようと大きく息を吸い込みながら、部屋を抜けて廊下へ出た。
 まだ眠っているはずのセルレインを起こそうと、隣室へ足を向ける。四年前のレイルド夫妻暗殺以後、体調の回復したミレーネが帰って来た時には、彼女の部屋はここに場所を移されていた。室内の内装や間取りに大差はないものの、当初は違和感を覚えたものである。
 何回か扉をノックして、彼女は訝しげに首を傾げた。室内からの反応がない。滅多に見せぬ苛々とした表情で、ミレーネは彼の自室の扉に手をかけた。そこで、ようやく周りの様子に気が向く。
 彼女が立っている廊下には、全く人気がなかった。この時間であれば、何人か行き交う者もいるはずだ。しかし、誰一人通る気配がない。ミレーネは扉から手を放し、注意深く辺りを見回した。耳を澄ませば、階下からの喧騒が薄っすらと届く。
 考える間もなく、ミレーネは人の気配のするほうへ歩き出した。いつもの彼女らしからぬ早足で、薄暗い階段を下りる。二階ほど下り一階につくと、人の話し声や大勢の気配、忙しなく歩き回る靴音などがはっきりと聞こえてきた。
 回廊へと続く廊下は、慌しく行き交う者で溢れている。一瞬、怯むように足を止めたが、彼女はすぐに気を取り直して再び歩き出した。大広間の扉は、頻繁に人が通るためだろうか。大きく開け放たれている。蒼白な表情で室内に走り込んで行く者。興奮した様子で息を切らせながら、走り去る者。混乱している様子が、少し離れた場所からも良くわかる。ミレーネは目立たぬように、出来るだけさり気なく大広間に入った。
 通りすがる騎士達の邪魔にならぬよう歩きながら、首を巡らせて夫の姿を探す。百余名が余裕をもって集う事の出来る部屋の中は、人で溢れていた。彼女の姿を見て、何人かの騎士が息を飲む。止めるべきか否か、迷うような様子を見せる者もいた。あちらこちらで囁かれる言葉が、波のように寄せては引いていく。
 ここへ来て、ミレーネの不安は益々膨れ上がっていた。何かが起きたことは、もう間違いがない。
 では、何が――?
 脳裏に漠然と、嫌な予感が押し寄せる。それが何であるのか、明確な形をとっているわけではない。けれども、押しつぶされてしまいそうな程の強い恐怖に似た感情が胸に渦を巻いているのだ。
 堪らなくなって彼女は立ち止まり、きゅ、と眼を瞑った。聞きなれた足音が、近づいてくる。肩に暖かい手の温もりを感じて、ミレーネは止めていた息を吐き出した。
「セルレ……」
 名を呼ぼうとして瞼を開き、彼女は途中で声を失う。思いがけず、セルレインが厳しい表情をしていたのだ。彼のこんな表情は、今までに一度も見たことがなかった。
 セルレインは何かを言いかけた妻を、まるで壊れ物に触れるかのようにそっと抱き寄せる。その温もりを確かめるかのように、彼はしばらくそのまま動かなかった。
「セルレイン様?」
 怪訝そうに名を呼ぶ声で、我に返る。セルレインは妻の身体をほんの少し自分から離し、両肩に手を乗せたまま彼女の瞳を見詰めた。いつもは優しい彼の黒眼が、昏い感情を含んでいて。我知らずミレーネは、表情を硬くしていた。
「落ち着いて聞いてほしい。姫」
 有無を言わさぬ真剣な口調に、彼女はただ頷く事しか出来ない。
「たった今、王城から知らせが届いた」
 苦しげな乾いた声で、セルレインは言葉を紡いだ。声に反して、どこか事務的な物言いだった。
「昨夜、王城に数人の賊が入った。魔術と思われる力を奮い、騎士数人が死傷した」
 それだけの事で、こんな早朝に知らせは来ない。これほどに、城内が混乱することはない。ミレーネは蒼ざめた顔できつく唇を引き結び、次の言葉を待った。聞きたくないという気持ちが、頭の中を駆け巡っているような気がする。結んだ唇が、小刻みに震えた。
「姫。……陛下と王妃。そして、殿下が……。何者かに魔術でもって殺害された。騎士を襲った賊達は、全て捕らえた後だったそうだ。当然、彼らも関係しているだろうと、騎士達が牢へ向かったが、捕らえた賊は全員息絶えて、――姫っ!」
 セルレインは言葉を切り、全身の力を失って崩れ落ちる妻を慌てて抱きとめる。話の途中で、彼女は意識を手放したのだ。耳に残った言葉は、おそらく肉親の死を告げるもののみだろう。
「姫……」
 強く噛み締めすぎた唇が破けて、赤い血が溢れ出した。それに気付く事もなく、セルレインは妻の白い頬を虚ろな瞳で見つめている。

 何気ない戯れ。
 ――それが、兄妹が交わした最後の言葉になってしまったのだ。


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